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滋賀県大津市 崇福寺跡

Sofukuji ato, Otsu city,Shiga

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Nov.5,2015  中山辰夫

大津市滋賀里町甲

周辺位置図

 

京阪電鉄滋賀里駅で下車し、前の道を進む。八幡神社、桐畑古墳を過ぎ、百穴古墳から谷川に添って上流へ進む。

この道は京都に至る旧道で、古くは山中越えと呼ばれ、人々の往来が多い道であった。

 

間もなく右手に大きな石仏が現れる。百穴古墳から約200mである。

志賀の大仏(おおぼとけ)

鎌倉時代につくられたと伝える弥勒菩薩坐像である。高さ3m、巨大な花崗岩の一石彫り。大きな石板を光背のように持つ。

地元の人は「おぼとけさん」と呼んでいるようだが、ふっくらとして彫りが美しい。西へ向かう人々の往来を守る存在であった。

        

さらに200m行くと道が二股に分れ、左手に進むと山中越え、右手に進むと比叡山根本中堂への山道となり、東海自然歩道と重なる。

   

山中越えは、平安時代は志賀の山越といい、この道を通って女房達も崇福寺に参った。多くの歌が残されている。

崇福寺跡

国指定史跡

説明

 

崇福時は天智天皇の勅願で668(天智7)年に建立され、921(延喜21)年に焼失し、鎌倉期に廃絶した。平安時代には東大寺・興福寺・法隆寺と並んで、十大寺の一つとして重きをなした。

崇福寺跡は大津京を探る一環として1928(昭和3)年と1939(昭和13〜14)年に発掘調査が行われた。その結果、主要伽藍は谷を隔てた三尾根に築造されていた。

主要伽藍位置図 

   

南尾根に「金堂跡・講堂跡」、中尾根に「小金堂跡・塔跡」、北尾根に「弥勒堂跡」とみられる堂宇が見つかっている。崇福寺は平安時代後期に記された『扶桑略記』によれば、天智天皇が近江に都を遷都した翌年の天智6年(668)、 その地に寺院を創建したとされる。

金仙滝

花崗岩の路頭した切り通しを抜けると、右手の谷に金仙滝と石窟があらわれる。この石窟は天智天皇の夢枕に崇福寺を建てるお告げをした法師の住む洞窟といわれている。 約80mの距離、階段を上る。

    

北尾根—「弥勒菩薩跡」

標識に従い山道から右手に入る。約80mの距離、階段を上る。

切り開かれた尾根上に弥勒堂跡の礎石が並ぶ。瓦積み基壇で3間5間の建物であった。建物の奥にも庭園風のいくつかの配石が見られる。

         

中尾根−「小金堂跡・塔跡」

もと来た小道を戻り山道から右手の小道を登ると、東西に切り開かれた尾根の山麓側に小金堂跡、その東側に塔跡がある。谷か結構深い。

   

中尾根遺構 ≪引用:近江の古代寺院≫

  

塔跡

    

方約10mの基壇を持つ塔跡。3間×3間で一辺約6.55m。

舎利容器 ≪引用:近江の古代寺院≫

国宝指定

 

容器は金銅・銀・金の三重で、中には瑠璃壺に舎利として3個の水晶玉が納められ、荘厳具には無文銀銭や瑠璃玉などが入っていた。

塔心礎

塔中央の心柱を支える礎石の側面に開けられた小さな穴(舎利孔)に納められていた。

   

小金堂

東西約11.4m、南北約11.6mの基壇をもつ。3間×2間の身舎に廂をつけたとみられる建物。

    

小金堂横から山道を谷に下り、やや危なげな木橋を渡り南尾根に登る。

    

南尾根−「金堂・講堂」

南尾根遺構 ≪引用:近江の古代寺院 一部修正≫

 

山手側に金堂跡の基壇があり「崇福寺旧址」の立派な石碑が立っている。秋には周辺一帯が見事な紅葉で彩られる。

    

その前面には講堂跡など3棟の建物跡が見つかっていて、いくつかの苔むした礎石に古人の願いが伝わってくる。

金堂跡

    

一段高い基壇の上に礎石列が両国に遺存している。五間×四間の南西する建物であった。

講堂跡

金堂の東に位置する。低い土壇の上に花崗岩の自然石による礎石が残されている。この建物の北側に小規模の礎石を有する建物があった。

       

この建物群は出土遺物や北・中尾根建物群との方位の違いから、延暦5年(786)に桓武天皇が天智天皇の追悼のために建立した梵釈寺跡と推定されている。

≪参考資料:滋賀県史跡調査報告者、案内、近江に古代寺院≫

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