滋賀県大津市 天皇神社
Tennnojinja,Otsu city,Shiga
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大津市和邇中146 天皇神社本殿 重文 近世以前/神社 鎌倉後期 正中元(1324) 桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺 棟札10枚 19070828
天皇神社は大津市北部の旧志賀町和邇地区の鎮守社です。
かつては牛頭天王社と呼ばれていましたが、明治期に天皇神社と改称しました。
訪れた時は雪がちらついていました。
本殿(重要文化財)
正中元(1324)年の建築
桁行三間、梁間二間、一重、切妻造、向拝一間、檜皮葺
旧志賀町に3棟存在する重文指定の切妻造本殿の一つです。
3棟の中では一番小さいように思います。
真新しい檜皮屋根が美しく、扉の金具の河童(?)がユニークです。
撮影していたらだんだん雪が強くなってきました。
帰るころには撮影に支障が出るほど雪が強くなりました。
大津市和邇中146
祭神:素盞鳴尊(すさのおのみこと)
和邇駅から南西へ焼く1.2km行く。途中に「榎」の交差点がある。ここから西に向うと天皇神社である。
鳥居が道路に面して建ち、参道が真直ぐ延びている其の先に拝殿が見える。参道に祖って社務所や蔵が並ぶ。
境内社は、樹下神社 若宮神社 三之宮神社 松尾神社 大国主神社が並ぶ。いずれも手の込んだ社殿である。
天皇神社の創立は不詳であるが、社伝によれば村上天皇の康安3年(966)創始とある。
京都八坂祇園社の「牛頭天王」をこの地に遷して「和邇牛頭(わにごず)天王社」と称し、和邇中、今宿の産土神として
崇敬された。
天台宗寺院の鎮守社と伝えられる。明治9年(1876)「天王神社」に改称された。
同形式本殿のある小野神社より少し北西に位置し、暦王4年(1341)建立の小野道風神社本殿より少し古い。
拝殿
境内の真ん中に建つ。
間口二間 奥行二間 入母屋造
本殿
国重要文化財 正中元年(1324)の建立
拝殿の後方に建つ。
三間社、間口三間、奥行二間 向拝一間 切妻造
平面は後方中央の方一間が内陣(一室)で、その周囲三方は外陣である。
詳細な説明と図面
天皇神社の本殿は、小野篁神社・小野道風神社本殿と同じ建築様式・手法で、規準も同じである。
切妻造の本殿は全国的にも類例が少なく、小野篁神社・小野道風神社本殿とともに、この地域に集中していることが注目される。
向拝
向拝廻りは、後世の取替材も多く、形式も改造されている。
一間で、柱上舟肘木、柱は角材、庇は角柱、軒は庇とも垂木を二股に配する二軒である。
中備蟇股は内部の彫刻を失ってはいるが、雄渾な輪郭は、創建当時の特徴をよくあらわしているとされる。
母屋の正面中央の間と側面の一間を幣軸板扉構(へいじくいたとびらかまえ)とし、内部中央に一間四方の内陣を構え、
屋根の勾配が著しくゆるいのが道風神社・篁神社本殿と異なる。
母屋の組み物は、柱が円柱で隅延付き、隅柱上舟肘木、側面中央柱上大斗である。
軒は垂木を二股に配する二軒、角柱である。天井は舟底天井、懸魚を付ける。。
江戸時代延宝6年(1678)から安政6年(1859)の間に10回の屋根の葺替え、修復が行われた記録が残る。
大正9年(1920)解体修理、昭和26年(1951)と昭和55年(1980)屋根が葺き替えられた。
狛犬
本殿前に建つ。像高約70cm、彩色 詳細不明である。 社殿の建立と同時に造立された可能性がある。
宝塔や層塔
市指定文化財
鎌倉時代のレア作品と評される二基の宝塔がある。
塔身の平面が円形となる単層の塔で、平面四角の基礎と笠を伴い、笠上に相輪を立てるものが多い。
「法華経」を根本経典とする天台宗で盛んに宝塔が造立された。
由緒
明細書では不詳であるが、社伝によると村上天皇康保三年和邇荘が崇福寺領であった時に京都八坂の祇園牛頭天王を
奉遷して和邇牛頭天王社と称したと伝えられる。
現在の本殿は鎌倉時代正中元年改造の社と云われている。
明治九年天皇神社と改称し村社に列せられた。五月八日例祭は古式祭が中心で、卯ノ刻に斎行される南浜よりの神輿入れ、
続いて南浜の御供、中浜の御供の奉幣祭、午後の湖岸御旅所まで、五基の神輿による古式の神幸祭は、現在もそのまま斎行
されている。
樹下神社について
湖西の各地には「樹下神社」が多くある。その由縁は、比叡山延暦寺の勢力が増大し、共に日吉山王の崇敬が高まってくると、平安期末
から鎌倉、室町の時代にかけて、全国に分霊社が祀られ、特に近距離にある湖西地方は、殆ど強制的に日吉山王の神を祀らされた。
木戸、小松地区では古くからの産土神を退けて、「日吉十禅師」現在の「樹下神社」を氏神として現在に至っている。
樹下神社
祭神:鴨玉依媛命(かもたまよりひめのみこと) 天皇神社の境内社
創立は後醍醐天皇正中2年(1325)「日吉十禅師社」の分御霊を此の地に奉遷し社殿を造営し、同年11月遷宮される。
「和邇牛頭天王社」の摂社と称し中浜の産土神として崇敬されている。元禄3年(1690)社殿を改造されている。
明治9年(1876)「十禅師社」を「樹下神社」と改称された。
社殿の彫刻が見事である。
狛犬
社殿から拝者の方へ顔を向け、前足を少し踏み出して、自然な動きを示している。
滋賀県下では、御上神社の狛犬(平安後期)が現存最古の遺品で、これに続いて大津若松神社像、鎌倉初期の像があり、さらに安貞
元年(1227)制作の白鬚神社像が知られる。
天皇神社境内にある樹下神社の狛犬はこれらに匹敵するすぐれた作品である。
生き生きとしたたてがみの表現や、体温を感じさせるような四肢の肉どり、的確な骨格の彫法に作者の高い技量を感じる。
鎌倉時代、13世紀も初頭の作
三宮神社
祭神:鴨玉依媛命荒御魂(かもたまよりひめのみことあらみたま) 天皇神社の境内社
創立は、後光厳天皇康安元年(1361)「日吉三宮」の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年11月遷宮される。
「和邇牛頭天王社」と称し北浜の産土神として崇敬される。文明3年(1471)社殿を改造されている。明治9年(1876)三宮神社に改称
社殿の彫刻が凝っている。
若宮神社
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと) 天皇神社の境内社
創立は、後小松天皇明徳2年(1391)「日吉二宮」の分御霊を此地に奉遷し、社殿を造営するとともに、同年9月遷宮される。
「和邇牛頭天王社」と称し高城の産土神として崇敬されている。文化3年(1806)改造される。明治9年(1876)若宮神宮と改称される。
社殿雄彫刻が凝っている。
和邇の起源 神社パンフレットより
天皇神社古墳
和邇川左岸の段丘上に営まれたただひとつの古墳群で、天皇神社境内にある。
1号墳は本殿背後の傾斜地に6世紀後半、築かれた円墳である。本殿の南西に墳丘がある。不明な部分もあるが、元来3〜4基から
なる一有力古代豪族のつくる群集墳と推定されている。
参考資料≪志賀町史、神社パンフレット、西近江路、ほか≫
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