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滋賀県大津市 本家鶴喜そば

Honke Tsurukisoba,Otsu city,Shiga

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June 2011 中山辰夫

本家鶴喜そば主屋

大津市坂本四丁目

本家鶴喜ソバは、享保年間(1716〜36)に鶴屋喜八が創業したと伝える老舗である。二百八十余年続く味である。

延暦寺の門前でそば店を起こして約280年

浪打ガラスや欄干が残る町屋建物。

北海道旭川産のそばを使用。実が小さく中が詰まっているため香り高く、伝統の技術で打たれた麺は清々しいのどこしで有名。

独特の苦味をもつ琵琶湖特産の小鮎を甘辛く煮た佃煮も素朴な一品である。 

建屋は国登録文化財 建築:明治20年(1887)頃、木造2階建,瓦葺,建築面積167㎡ 基準:国土の歴史的景観に寄与しているもの

木造2階建,入母屋造,桟瓦葺の平入り町家である。

江戸時代中頃から続くそば屋の店舗として,坂本の町並みの入口にあって広く親しまれている。

「庭の見える部屋」「石垣の見える部屋」などの座敷もある。

2階の高欄や屋根の正面に取りつけた向拝風の屋根,千鳥破風の妻飾等に外観の特色がある。

「日吉そば」の前の大路は「作り道 ツクリミチ」と呼ばれ、北国海道から日吉大社や延暦寺へ至る参詣道であったが、この大路の参道から枝分かれして理性院にいたる道のほうを、いまはツクリミチと呼んでいる。「鶴喜そば」はこの道に面している。この通りには製造業に関わる店が軒を並べているためで、この名が残るとされる。

「日吉そば」とある。

「日吉そば」とある。何度みても姿のいい店である。角であるだけに車までときに軒下に車輪をかけるのか路上に大きな自然石がおかれていてそのふせぎにされている。

ところが、この「日吉そば」の横に「鶴喜そば」というマンガ入りの彩色の大看板があがっていて、われわれはそれを視覚に入れつつ、つい「鶴喜」と信じて「日吉そば」に入ったらしい。まことに日吉そばに対して失礼なことをしてしまった。・・・・・・

これは日吉そばにとってもかなしいことにちがいない。この看板に吊られて日吉そばに入ってくるうかつ者も多いにちがいなく、ときに注文せずに出てゆく者もあるはずである。店の娘さんには、客の顔をみて(こいつは鶴喜と間違えているな)と、かんでわかるに相違ない。

彼女はおそらくわれわれを最初からそう見て精一杯の仏頂面をしてみせていたのであろう。軒下の大石と同じで、それが当然の防衛姿勢であるといっていい。 (司馬遼太郎 街道を行く16 叡山の諸道) 

蕎麦 阿闍梨の修行食

比叡山を代表する荒行「千日回峯行」の際、五穀絶ちする阿闍梨がただ一つ食することが許されるのが蕎麦といわれる。

比叡山無動寺大乗院には、今も修行時代の親鸞と蕎麦にまつわる伝説が親鸞作といわれる「蕎麦喰い木像」とともに残っている。

比叡山の宿坊町・坂本でも、僧侶の修行に欠かせない滋養食として受け継がれてきた。

蕎麦粉に山芋などを素材にした素朴な風味が特徴とされる。

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