滋賀県大津市 日本基督教団大津教会
UCCJ Otsu church,Otsu city,Shiga
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August 11, 2022 野崎順次 source movie
滋賀県大津市末広町6-6
日本キリスト教団 大津教会会堂
(Otsu Church, United Church of Christ in
Japan, Otsu City, Shiga Pref.)
ウィリアム・メレル・ヴォーリズにより設計された大津教会の会堂は、1928年に竣工し、献堂されました。
(中略)
会堂に託された想い
「教会」とせず「会館」としたのは、広く市民に開放しようという矢部牧師や教会員の願いがあったと思われる。事実、愛光幼稚園のほか、1922年には正規の中学校教育を受けられない人々のために夜間の湖南文化学校を開設し、国語、漢文、英語、数学、地理、簿記などを教えていた。1928年当時50人の生徒が在籍していた。そのほか文化講演会、公開講座、音楽会、映写会などを行い、地域と結びつくことを強く意識していた。
当時の教会員の並々ならぬ決意と情熱、また祈りが思いやられる。私たちはその決意と情熱の結果を今に至るも享受しているし、代々にわたり大修繕小修繕を繰り返し、その維持発展に努めて未だ信仰の先達たちのこの教会に寄せる熱い思いを引き継いでもいる。
特に戦中・敗戦直後の教会迫害の時代、教会の内部までもが荒らされ管理人が逃げ出す程だった。中村牧師一家は当時梅林にあった牧師館(借家)を捨て、現在の談話室、印刷室などに不自由をしのびつつ自ら教会の保全に当たられたことは記憶しておいてよいだろう。
(中略)
設計はヴォーリズ建築設計事務所、施工は石倉工務店。大津組合教会の会員であった石倉善四郎さんの手になる。
1983年1月、日本建築学会から大津教会は貴重な建築であるとの通知があった。その理由は次の4点である。1.姿形がよい。2.すぐれた建築家の設計である。3.特色ある景観を構成している。4.時代の建築様式を表している。
「時代の建築様式」とは何だろうか一。明治以降の建築史は普通5期に分けられるが、当会堂は第3期「両大戦間における折衷主義の時期」にあたり、東西文化の「折衷」でありながら日本独特の建築を追求した時期とされている。
私たちはこの会堂を次世代に引き継いでいく使命を負っているものと思う。
(日本キリスト教団大津教会ウェブサイトより)
北東からの全景
西面と南面
細部のクローズアップ
JR大津駅前
Aug. 2011 中山辰夫
大津市末広町6-6
この建物は、昭和3年(1928)、ヴォーリズ建築事務所の設計、大津・長等の石倉工務店の施工で完成したキリスト教会である。
切妻屋根の二階建て、中央に礼拝堂を設け、左側には談話室などの小部屋を、右側は玄関、階段と幼稚園舎に通じる廊下を配している。
ヴォーリズは教会を、満喜子夫人は幼児教育に情熱を傾注し、各地に幼稚園を設けたが、中でもこの建物は夫婦の理想を表現したものとされ、教会と幼稚園舎を一体に接続して建築された。
教会正面右側の鐘塔と玄関は中でもひときわ特徴のある部分である。
玄関には切妻の屋根をかけたポーチを設ける。屋根は、左右の渦巻状の持送り(コンドール)でヴォールト天井を受けるキャノーピー形式で、ドア上部の壁面には花綱の付いた紋章を浮き彫りにしている。
このように玄関回りだけを他の部分に比べて特に飾っているのは、ヴォーリズの特徴の一つである。
鐘塔は、3.8m角で屋根の持送りを細かく配し、二連のアーチが四辺につくロマネスク風である。
写真
礼拝堂
滋賀県における近代の洋風住宅普及の起爆剤になったのは、近江八幡を拠点とするW.Hヴォーリズの設計活動といわれる。
明治38年に近江八幡商業高校の英語教師に着任したが、あまりに熱心なキリスト教伝道活動が反感を招き、2年後に同校の教諭を解職された。
それと同時に近江ミッションを設立し、その財源確保のために、彼の建築設計活動がはじまった。
ヴォーリズ設計の一戸建て住宅は、戦前までに591軒にも達したとされる。
資料 滋賀県教育委員会発行
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