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滋賀県近江八幡市 青根天満宮

Oumihachiman Aonetenmangu

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Jan.2010 撮影/文:中山辰夫

近江八幡市舟木町1570

主祭神:菅原道真公 例祭:4月2日

市道中村・大房線を行き、舟木に入ると道路に面して大きな鳥居が建っている。

それをくぐると約80段余の石段の参道となる。

緩やかと思える石段を登りきると正面に竹林が目に飛び込む。

その脇道を進むと神木である巨大な杉に囲まれた社殿が現れる。後ろは八幡山である。

普段は人影も感じられない山の中にある神社であるが、4月の例祭には松明や御輿が行き交い大変な賑わいとなるようだ。

神木の杉は、樹高35m、幹周り5.5mとのこと。

社地は天正13年(1585)に豊臣秀次が城を築いた八幡山の西麓にあって、本殿は琵琶湖を望み西側に向って建っている。

平安時代に北野天満宮より勧請したと伝える古社で、延暦寺末社であったが香梅寺が社坊で、山門僧によって運営されていた。

青根天満宮紀という元和元年(1615)香梅寺住職の記したものによると、寛弘2年(1005)青根長者佐弥が建立し勧請者と記されている。

康永4年(1345)社頭再造営が実施され、天正18年(1590)社回禄、天正20年(1592)社頭三造立がなされた。

後陽成院の震翰に天神宝号を賜っている。慶長2年(1597)公儀より御除地、社領を戴いた。

主たる建物:御輿倉、手水舎、神倉、社務所

拝殿

間口一間三尺、奥行一間一尺、入母屋造

拝殿は、擬宝珠銘によって本殿より約200年後の文久2年(1862)建立である。

四周開放型で妻入りとなる典型的な拝殿の形を保っており、本殿とともによく調和の取れた境内景観を形づくっている。

本殿

一間社流造、間口一間一尺、奥行一間一尺、桧皮葺 彫刻がいい。

建立年代については擬宝珠銘によって明らかで、建築様式も年代に合致している。

桁行2.3mの小社ではあるが、細部意匠が非常に巧みに造られており見るべき点が多い。

特に天満宮にふさわしく梅花をあしらった蟇股を二個並べる正面の中備と、こうもり型の実肘木や特徴ある花肘木を?首と大斗の間に入れたりするデザイン感覚には感心させられる。

17世紀中〜後期にかけて蟇股の肩幅と足幅がほぼ同じで、その勾配も急になるが足元が長く変化するため下端長成の比率が5〜6にもなるが、ここの本殿の蟇股はその数値が7と大きく扁平なものである。

脇障子にも彫刻が施されている。

用材も良質な目の積んだ檜に統一され、芸の細やかな技の演出を引き出させている。

 

青根天満宮祭礼

祭礼は、4月第一土曜、日曜日である。

「敬正社」(けいせいしゃ)と呼ばれるワカイシ(若衆)の組織が、太鼓の渡御や松明の奉火を担当する。

長松明2基と笹松明1基、蝋燭松明5基をつくる。長松明は長さ5.4m程である。正面に(タイコ)と呼ばれる作り物をつけて檜葉で天神の紋を入れ、笠には葭(よし)により尾をつける。

宵宮、神事の後、拝殿前で1基目の長松明に奉火する。長松明のあと笹松明を奉火する。その後蝋燭松明で足元を照らしながら太鼓を担いで裏参道を降りる。

翌日は舟木と小舟木にある御旅所へ渡御する。神輿や太鼓が集落内を練り歩く。

祭りの日、昔は各家でヨモギだんご、サバずし、巻きずしなどを作り、親戚の客呼びをした。嫁を迎えた家では、竈見せ(かまどみせ近隣の人に嫁を紹介する)などもあった。

参考資料《滋賀県の近世社寺建築、近江八幡の歴史、近江蒲生史、他》

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