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滋賀県近江八幡市 長命寺
Choumeiji,Omihachiman city,Shiga
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近江八幡市長命寺町157 長命寺護摩堂 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長11(1606) 桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺 19670615
近江八幡市長命寺町157 長命寺三重塔 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長2(1597) 三間三重塔婆、こけら葺 棟札3枚 19230328
近江八幡市長命寺町157 長命寺鐘楼 重文 近世以前/寺院 桃山 慶長13(1608) 桁行二間、梁間東面二間、西面三間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺上棟用木槌1個、棟札2枚 19670615
近江八幡市長命寺町157 長命寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町後期 大永4(1524) 桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、檜皮葺 厨子1基 19040218

Sep.10 2016 瀧山幸伸 source movie

                                                                                                                                



Dec.9,2013 中山辰夫
湖上から見た長命寺 
長命寺山(332m)の中腹、三重塔の「工事用の囲い」しか見えない。
その昔、巡礼の人達は、丹後から若狭の小浜を経て、今津に出、舟に乗って、竹生島の宝厳寺を詣で、そこから舟で、この長命寺を参詣するのが順路であった。
   紅葉は終わっていた。琵琶湖周航碑に導かれて境内へ。
     境内
        本堂周辺(外陣)
     
風雪に曝され、朽ちつつある柱が印象に残った。
     
内陣、後陣も見学したが、質素な作りであった。写真撮影は禁止 「古寺巡礼より引用」
 三重塔
1597(慶長2)に再建された。建築様式や屋根の特徴などから、桃山期の特徴が伝わる貴重な建物で国重文に指定されている。
1964(昭和39)年に行われた解体修理工事から半世紀が経過し、屋根全体に腐朽が進んでいることから葺替え工事を今年6月に着工、来春1月末に竣工する。
見学会が実施されている。幅10cm、長さ30cmの薄い板を重ねていく「こけら葺き」の伝統技法を間近で見学した。撮影は禁止であった。
     こけら葺き資料
    
桧皮やこけら葺材料の入手難と共に手間のかかる「竹釘」の生産者不足が深刻とか。境内磐座群の探訪
日本古来の神信仰の姿を今に留める磐座群。巨岩の露出した所は神が座する山として古くから崇められてきた。
長命寺参詣曼荼羅にも描かれている。巨岩は、この地域一帯に産する湖東流紋岩である。
  六所権現影向岩(ろくしょごんげん ようこうせき)
本堂の裏にある磐座。この巨石が二つに重なった磐座は、天地四方を照らす石という意味とされる。
この山を開いた武内宿禰(たけうちのすくね)大臣(西暦84年生)が、この岩に祈願し300歳以上の寿命を全うしたという前節が伝わる。
       修多羅岩(すたらいわ)
武内宿禰(たけうちのすくね)大臣の御神体とされる。横に切り立った岩で、昔は鏡のように光を反射したものだと伝わる。
   太郎坊権現社
境内の一番奥まった位置にある「太郎坊権現社」。この祠の両脇にも巨石がゴロゴロ。割れ目のある岩は女性とされる。
祀られているのは、太郎坊という大天狗。もとは、長命寺で修行をしていた普門坊という僧で、厳しい修行の結果、超人的、神がかり的能力を身につけ、大天狗になって、寺を守護しているのだとか。
屋根に覆い被さるような巨石は「飛来石」。
愛宕山に移り住んだ太郎坊が、長命寺を懐かしく思って、近くにあった大岩を投げ飛ばし、長命寺の境内に突きささったものだとか。
       絶景
あいにくの曇りで残念だった。「太郎坊権現社」の下には、琵琶湖を眼下に望める展望台のようなスペースが設けてある。
  
真正面に湖を隔てて水茎の岡が裾を開け、その奥に三上山が見える。旅人は、この景色に見惚れ、数多くに歌を詠んだ。長命寺中世墓群
長命寺山の中腹にある墓群。いつどこから、誰が持ち寄ったのか、かなりの域に祀られている。
    
≪蛇足≫ ■大人の遠足東近江市にある200年続く老舗料理店「納屋孫」さんの「大人の遠足」に参加している。
  近江の文化財を専門員さんの解説付きで見学した後、郷土料理とお酒を味わうという企画である。
三回目の今回のテーマは『長命寺とことん探訪と「天然真鴨」・「ひやおろし」であった。見学後の今日のご膳は・・・・・
 
鯖ずし、フナの子まぶし、ヒウオ、モロコ、本鴨・・・と琵琶湖の冬の味満喫した。
特に、天然本鴨を、秘伝の出し汁で炊いたという鴨鍋は言葉がない。鯖は焼津から京へ行く途中で下車したもの。フナのまぶしは口当たりよく美味い!
       お酒は、近江の「ひやおおろし」 
「ひややおろし」とは、夏の間貯蔵し、気温が下がる秋に、出荷前火を入れをしないで出すお酒。酒本来のうまみが味わえる。
文化財見学よりお昼の膳に関心が行くのは止むを得ないことと思っている。



July 10,2013 川村由幸

名称:姨綺耶山長命寺
所在地:滋賀県近江八幡市長命寺町

狭い急な坂道を登り詰めると長命寺に向かう石段の途中にたどり着きます。
石段を登るといきなり本堂、山門がありません。
この日はたくさんの参拝者があふれていました。                                                  




Sep.2011 大野木康夫 source movie

2011.8.6撮影 市の北西端、長命寺山(333m)の標高約250mの山腹にある寺院。
西国三十三カ所第31番札所で、「八千年や柳に長き命寺、運ぶ歩みのかざしなるらん」という詠歌のとおり、「寿命長遠」の御利益があるとされています。
3世紀後半から4世紀初頭の景行天皇の時代、武内宿禰(すくね)がこの山で長寿を祈ったといい、開基は聖徳太子と伝えられます。
平安時代前期に寺院の基盤ができたと考えられており、その後、近江守護佐々木定綱(さだつな)が戦死した父の菩提を弔うために、平安時代後期に本堂をはじめ、釈迦堂・薬師堂・太子堂・護摩堂(ごまどう)・宝塔・鐘楼・仁王門などを建立しました。
現在の社殿は戦国時代中期に兵火で焼失したあと再建されたものです。
湖岸のそばから808段といわれる長い石段を登ると、諸堂の屋根の線が美しく重なりあっています。
千手観音を本尊とし、聖観音・十一面観音・毘沙門天など多くの国指定の重要文化財が安置されており、その他、建造物のすべてが県あるいは市の指定文化財になっているという由緒ある寺院です。
四季を通じて多くの参詣者が全国から訪れ、湖辺近くの山腹風景も美しいです。
(滋賀県観光情報HPより)真夏の昼下がりに長命寺を訪れました。
参拝者はまばらでした。
山腹の駐車場まで自動車で行ったので、石段を登るのはほんの少しで済みました。
よく晴れていて琵琶湖をはっきりと望むことができました。               三重塔(重要文化財)慶長2(1597)年の建築
三間三重塔婆、こけら葺

鮮やかな朱塗りの三重塔です。
建っている平地は狭いので、本堂前から離れて撮影しないと全体を撮影することができませんでした。              護摩堂(重要文化財)慶長11(1606)年の建築
桁行三間、梁間三間、一重、宝形造、檜皮葺 三重塔の隣に建っています。
やはり鮮やかな朱塗りです。          本堂(重要文化財)大永4(1524)年の建築
桁行七間、梁間六間、一重、入母屋造、檜皮葺 観音霊場の札所になっており、開門中は常に人が詰めておられます。
斜面地に建っていますが、堂々たる大きな建物です。                       鐘楼(重要文化財)慶長13(1608)年の建築
桁行二間、梁間東面二間、西面三間、袴腰付、入母屋造、檜皮葺 本堂から少し離れた北側の小高い所に建っています。
全体を撮影するのがとても難しいです。                   三仏堂(滋賀県指定有形文化財)室町時代後期の建築
桁行五間、梁間四間、入母屋造、檜皮葺本堂の北隣に建っています。
近年修理されました。      護法権現社拝殿(滋賀県指定有形文化財)永禄8(1565)年の建築
桁行三間、梁間二間、入母屋造、檜皮葺    境内各所を鐘楼付近から撮影しました。         



Jan.2011 中山辰夫

解説:滋賀県教育委員会資料
    


Oct.2009 撮影/文:中山辰夫


長命寺
近江八幡市長命寺町157
天台宗県道26号線バイパスに沿った長命寺バス停で降りると、前は琵琶湖の長命寺港、後ろは本寺への登り口である。長命寺は山号を姨綺耶山(いきやさん)と称し、本尊に観世音菩薩を祀る西国三十三ケ所の第三十一番の札所で、標高424mの奥島山が南に屋根を張り出す小峰、長命寺山(332m)の頂に近い中腹に位置する天台宗の寺院である。
湖岸に接した参道口には、恐らくは巡礼者の憩いの場であった昔の名残を留めるみやげもの屋があり、左右に延びる道路には門前町の面影が残っている。
参道登り口の右側に穀屋寺、左側に日吉神社がある。
          
本参道は長い石段が延々と続き、その両側には大杉が林立する。長い石段は808段を数えるといわれる。
江戸時代には一山十九坊あったとされる子院はその後無住となり廃れた。
石段左右にある埋もれた坊跡に僅かそれらしい名残を留めている。
息を弾ませながら登りつめると長命寺の諸堂が眼前に躍り出る。
三重塔・護摩堂・本堂・三仏堂・護法権現社・鐘楼、等の桧皮葺の屋根がズラリと居並び、緑の樹木に映えている。
本堂前境内から下方を眺めると、老杉の間から琵琶湖の小波が見え、北は沖ノ島を通して比良の連峰が、西には内湖、三上山をはじめ湖東の山野が見渡せる景勝の地である。

                                
参道入口から八百八段の石段
穀屋寺
参道入口手前の右側に長命寺の塔頭であった「穀屋寺」がある。かつて寺領から上がる米を納めた所で穀屋と呼ばれていた。
米は長命寺港に舟で運ばれてきた。
後に寺院になったのは、織田一族の春庭慈芳(1492〜1547)に因るとされる。平成9年、ここから僧侶が浄財を集めるために使ったとされる16世紀「安土桃山時代」の「熊野観心十界曼荼羅」が見つかった、国内最古とのこと。
見つかったのは二点で、縦約140cm、横110cmであった。
十界曼荼羅は、寄付や信者を集める勧進活動を担う僧侶が拠点とした境内穀屋寺で見つかった。
上部に誕生から死までの人間の姿が描かれ、下部には地獄や餓鬼道など仏教の世界観を表す「十界」が描かれている。
長命寺は1516年の兵火で焼失、寺の再興のため、16世紀半ばごろから尼僧が全国を歩きながら十界曼荼羅を用いて布教し、浄財を集めた。

    最近では、正面からの石段登り口の左側に、自動車道が出来ていて山上まで車で行けるようになっている。
駐車場からは石段約130段登ると山門となる。

    石段の参道

今も石段を登って参拝する人は後を絶たない。
胸つくような石段を喘ぎつつ登ってこそ長命寺参拝の有難さがあるとの思いのためであろうか。
長い歴史を呑み込んだ石からの語りかけを目にしながら登ると悠久の昔が感じられる。石段がいつ頃造られたかの資料は手持ちにない。 当初は地道であったろう。
ここ長命寺山にはふんだんに岩石が産出する。これを用いたものだろう。
1600年初め頃を描かれたとされる長命寺参詣曼荼羅には石段が刻銘に記載されている。湖南・湖東にある大きな社寺には立派な石段・石垣が残っており、歴史的にも意味深いものが多い。
自然石を積み上げたもので、魅力一杯である。
築造に当たっての政治的・経済的背景とは別に、これら社寺は石工的な技能者を抱えていたこと、付近に用材である岩が豊富にあったこと、寺院間の交流が盛んであったこと、信者や有力者・参詣者からの寄進や参詣が多かったこと、など考えられるが、石段の歴史調査は今後の課題である。長命寺の石垣は、参道の大部分が江戸時代の構築で、部分的に室町〜戦国期の石垣が現存しているとされる。
真静院の石垣は平均1.0〜1.2m超の自然石あるいは粗割石で、間詰石を充填している。
本堂周辺や参道沿いは江戸時代に積み直しが行われたケースが多い。
参道の石積みは石垣よりも早く、中世期頃から始まったと思われる。
必要性にかられ、段階的に、時間をかけて敷きこまれたものであろう。石段は自然石が荒っぽく積まれていたり、再利用と思われる石柱があったりと様々である。
積まれた石は角が取れ、凹凸が少ないことからも踏み込まれてきた年数が感じ取れる。

   石道は道幅約3mと広く、蹴上げ約17〜20cmと適度な高さで、石段毎の幅も約50cmとゆったりしており、程よい間隔に石畳も設けてあり比較的登り易い石道である。でも年配者には厳しいようだ。 4〜50段目あたりの左側に妙覚院の裏入口と真静院へ通じる石道が現れる。
これらの子院は宿坊として今も健在である。

      200段を過ぎる辺りから石段も荒々しくなってくる。
右側には高さ1.2m強の石垣が現れる。子院跡であろう。
そのすぐ上が広場になっている。他の参拝道と出会う場所でもある。
むかし、ここは眺望が利いて琵琶湖が見渡せた。
不慣れな石道を苦しみながら登ってきた人から、思わず歓声があがった場所である。
その昔、船を降りた後、この苦しい参詣道をただひたすら登ってきた巡礼者がホット安堵する光景が目に浮かぶ。
眼下の琵琶湖畔にはつい最近まで木造りの桟橋が、湖上に突き出すように設けてあった。
舟の発着場である。今はコンクリート造りになっている。
むかし、巡礼たちは、丹後から若狭の小浜を経て、琵琶湖畔の今津へ出、船に乗り、第三十番札所、竹生島の宝厳寺へ詣で、そこから舟でこの長命寺へと渡る順路を取った。
そして、この長命寺参詣のあと、次の札所である観音正寺へも水路を利用して行った。
その船着場を目にして苦しかった旅路を思い返す瞬時でもあったろう。
今は竹笹がはびこって視界をふさいでしまっているが・・・。

      また、石段を登り始める。
石段といっても、ありあわせの自然石を積んだもので、大きさも高さもまちまちである。
疲れと共に石を大きく、重く感じる。
何年も経た杉の巨木の間を登ってゆく。
夏の参拝は大変な難行と思われた。
観音さまへの篤い信じ心が乗り越える勇気を与えていたのか。
途中、多くのお参りの人に出会う。
昔は巡礼姿に身を包んだ参拝者が、口々に「南無観世音菩薩」を唱えながら列をなして登ったものだと登り口にある店の主人が話す。
守り仏としての観音信仰が根強く生きていたといえよう。
300段目辺りに冠木門がある。
さらに登ると石垣が現れ古い土塀が見える。禅林院跡、金乗院跡である。
禅林坊は善林坊と書かれたようだが、「信長公記」には、織田信長が天正6年(1578)に二度、鷹狩りの際に逗留したと記されている。
四十余りあった宿坊は、石段の左右に名残の坊跡を残すのみである。

           石段を登り始めてから25〜30分経過した時点で、車道からの登り口と出会う。
ここから山門までは約130段の石段が残っている。
切石を整然と積んだ残りの石段道はかなり急な勾配である。
思わず見上げてしまう。正面には山門が控えている。
山門をくぐると左側に本坊・書院が並び、前方正面にある巨大な石垣が目に飛び込む。
その上に本堂が顔を覗かせている。
曲折する約60段の石段、石畳の道を進むと広い境内となる。
境内に立てられたのぼりや五色の吹流しが風に揺らいで迎えてくれる。

         長命寺の草創については確かな資料はない。
寺伝によると武内宿禰(たけうちのすくね)が山を開き、聖徳太子が寺を創立し、武内宿禰の長寿に因んで長命寺と名付け、太子自作の観音像を安置して本尊とした。
承和3年(836)、近江国野洲郡仁保郷の僧頼智が、小田明神(現近江八幡市小田町小田神社)の示現をこうむり長命寺を再興した。
平安時代は比叡山西塔系の天台寺院として、在地豪族の信仰を篤くし、高い寺格を持った寺院として基盤を強くした。長命寺に伝わる多くの古文書群として滋賀県指定有形文化財の「長命寺文書」がある。
その中で、最古の文書は承保元年(1074)「奥島庄司土師助正畠地寄進状」である。
奥島庄司の土師助正が、亡父の遺志にしたがい蒲生下郡船木郷(近江八幡市船木町・小船木町・加茂町一帯)に所在する先祖相伝の畠地を長命寺に寄進する内容である。
長命寺の寺名が現れる現存最古の史料であるとともに、県内に伝存する数少ない平安期の古文書として貴重である。元暦元年(1184)源頼朝は佐々木定綱に下知して堂舎を造営し、天台座主明雲の弟子尊海が來住して延暦寺西塔院別院になったという。
佐々木定綱は1184年に戦死した父秀義の菩提を弔うために本堂をはじめ釈迦堂、薬師堂、太子堂、護摩堂、宝塔、鐘楼、二王門などを建立した。
六角氏の祖泰綱も大島郷内の田地を寄進し、以後歴代も崇敬厚かった。
永正13年(1516)、一山の堂舎は悉く兵火のため焼失した。
兵火は佐々木高頼とその重臣伊庭貞隆との争いによる。
再興は焼失の翌年より始められた。
永正14年に広く勧進に着手し、6年後の大永2年(1522)本堂の再建に着手した。
その後も守護佐々木氏の崇敬だけでなく、在地士族、僧尼などの崇敬による田地寄進が続いた。
伝存する多数の寄進状で明らかである。観音霊場巡礼が庶民に普及するのは室町時代からであるが、平安末期より観音信仰の普及につれて、遊行聖や特定の人の間では既に行なわれ出していた。
長命寺は鎌倉時代には重要な観音霊場の一寺とされ、西国三十三ケ所霊場につながって行った。
江戸時代に入ると、長命寺はますます巡礼する善男善女でにぎわった。
その隆昌を今日まで持続し現在に至る。
今も長寿へ招く寺として多くの参拝客が訪れる。
近年では紫陽花の寺としても親しまれ、6月下旬には長命寺紫陽花コンサートが開催されている。

  本坊・庫裏
山門をくぐった左側に所在する。
現在の住職は「武内」姓であった。

          手洗所
蟇、手挟、紅梁がみものである。

    納札堂

      閼伽井堂
長寿の霊泉が湧くとされる。 その他、不老の滝など霊所が多い。

       護摩堂
国重要文化財:建造物:指定 S42 6 15
 
桁行三間、梁間三間一重、宝形造、檜皮葺 慶長11年(1606)建造
護摩堂は本堂の東、三重塔との間に建っている。
実長約4.8m、宝形造、檜皮葺の小建築である。
三重塔と同じく桃山時代の建築で、年代は屋根の伏鉢に墨書名が残っており、三重塔に続いて造営された一連の工事であった。
三間四方の正面中央桟唐戸、両側面中の間は板扉又は板戸、脇の間は正面左右と、これに続く側面前方の間だけが連子窓、他は板壁という簡素な造りで、柱もすべて方柱、絵様大斗肘木に軒先は疎垂木木舞裏(まばらだるきこまいうら)という軽やかな装いである。
昭和49年(1974)2月から14ケ月かかって鐘楼と共に解体修理が行われた。

       三重塔
国重要文化財:建造物:指定 T12 3 28 三間三重塔婆、こけら葺 慶長2年(1579)建造
本堂の東に護摩堂があり、その東南に三重塔がある。
造りの形式は一般の三重塔と同じである。
各重とも廻縁および高欄付、外部は総丹塗である。
昭和38年(1963)から同40年(1965)にわたり解体修理が行われ、いま美しい姿を本堂の横に仰ぐことができる。
造営時期は、今回の解体修理で墨書銘が見出され、天正17年(1589)から慶長2年(1597)に至る約8年かけて出来たことが判った。
特別な特色は無いが、比較的遺構の少ない桃山時代の塔として貴重とされる。
優雅な美しさである。様式は和様である。
中の間は各重板扉であること、二・三重は長押を用い、脇の間が連子窓なのも和様の典型である。
初重は脇の間が連子窓でなく横板を入れ、腰長押(こしなげし)をやめて貫(ぬき)としたのは変わっている。
組物も各重とも三手先(みてさき 柱から肘木で三回前へ持出す組方)の和様である。

                七重石塔

三重塔の前に建っている。
佐々木秀義の塔と伝える。
相輪は新しいがその他は古く、鎌倉時代の作。
初重塔身に薬研彫(やげんほり)で梵字を現す。

    本堂
国重要文化財:建造物:指定 M37 2 18 大永2年(1522)建造桁行7間、梁間6間、一重、入母屋造、桧皮葺 附 厨子1基 大永4年(1524)再建
有名な八百八段(はっぴゃくやだん)の石段を登りつめ、本坊を過ぎると大きな本堂の正面が見えてくる。
ゆるやかな屋根の三角部(破風)の美しさに目を奪われる。
それから又少し石段を登って左に行くと西側の石段が数段あって、本堂入口となる。
この本堂は七間に六間、実長は正面20.41m、側面20.50m一重、檜皮葺の大建築である。一見してわかる天台建築である。
この本堂の姿は特に低平穏和、まことに日本的な美しさを持ち、三重塔がさらにこれを引き立てている。
一般の参詣者が出入りする西側からは、破風がよく見え、三つ下がった懸魚も形美しく印象的である。
その奥の白壁には直線的な豕扠首(いのこさす 山形と中央の垂直材)があり、全体が和様で、すぐれた御堂と直感できる。
造営は、大永2年(1522)で、室町時代の天台系仏堂の代表的遺構の一つである。
後方の張出し部を除いて縁がぐるりと回っているが、高欄の擬宝玉は桃山時代のもので刻銘がある。

                本堂内部
内陣厨子に秘仏三体が安置されている。
中央の本尊千手観音立像(国重文・藤原)は、高さ87.9cm、一木彫り、十一面千手の像で、総身に截金文様を施し、円満なお顔とすっきりと流れる衣文に洗練された美しさを感じる。
右の十一面観音立像(国重文・藤原)は、53cmの小像で、一木彫、雄渾なお顔と量感のある仏身で藤原初期の作品とされる。
左の聖観音立像(国重文・鎌倉)は、65.2cm、一木彫、鎌倉的な美しいお顔と、ひだの多い衣文に特色がある。

              武内宿彌大将軍足跡
本堂横に案内がある。
寺伝によると奈良時代に武内宿彌が山に登って、柳の大木に「寿命長遠諸願成就」と刻み、長寿を祈願。
その後聖徳太子もこの山に登り寿命長遠の字を見ていると、老翁が現れ、「この霊木で仏像を刻み、それを安置する伽藍を建てよ」とのお告げを受け、大子は大木に十一面千手観音像を彫り建物を建立。
そして寿命長遠にちなんで長命寺と名づけたとある。

  六所権現 影向石

本堂背後の山腹にある巨大な岩石をいう。
一つは屏風のような絶壁で、山腹にそそり立っている。
その上には、屋根のように、他の石が突き出て、覆いかぶさり、上や周囲に樹が繁って、雨でも降れば数十人が雨宿りできると言われる。
その昔、武内宿禰がこの岩の上に座って「長く生きられるよう」と祈ったということで、祈願石と呼んでいる。
寺では、長命寺が火災にかかったとき、本尊がこの石に飛び移ったとしている。
巨大磐座信仰の場としてあがめられてきたといえる。
太郎坊大権現社近くにも同様の巨岩がある。

    三仏堂 渡り廊下
県有形文化財:建造物:指定 S57 3 31 桁行五間、梁間四間、入母屋造、桧皮葺 
三仏堂は本堂の西、護法権現社の拝殿と本殿の間に南に向かって建つ。
後方に狭い下野(げや)状のところが付いている。
一重、檜皮葺で他の諸堂と調和して共に美しい寺観を呈している。丹塗堂である。
組物は簡単な舟肘木、正面は柱間五間とも桟唐戸を吊りこんでいる。
正面から見た姿は美しく、造営は慶長期造営の他の諸堂と同時期頃と思われるが、後世の手が相当入っているように思われる。
内陣に、弥陀・薬師・釈迦の三如来の立像が安置されていることから三仏堂の名が付いたと思われる。
外部縁が三方あって、後ろまで回っていない。
全体として住宅風の軽快な建築である。

            護法権現社拝殿及び渡廊下
県有形文化財:建造物:指定 S57 3 31 拝殿:桁行三間、梁間二間、入母屋造、桧皮葺 
渡廊下:桁行一間、梁間一間、唐破風造、桧皮葺
本堂と三重塔の間に建つ宝形造、方三間の小堂。屋根上の露盤の銘から慶長11年(1606)の建立とわかる。
護法権現社は長命寺の護法神として開山武内宿禰を祀り、本殿は江戸時代後期の再建とされる。
拝殿は小屋貫(こやぬき)に永禄8年(1565)の墨書銘があったことよりその頃の建立とされる。
切目縁を四方に巡らし、角柱に舟肘木をのせ、二軒(ふたのき)の疎垂木(まばらたるき)とした簡素な造りである。
三仏堂へ行く廊下側に付けられた唐破風及び蟇股、兎毛通(うのけとおし)の意匠が優れている。

                  長命寺鐘楼
国重要文化財:建造物:指定 S42 6 15
 
桁行二間、梁間東面二間、西面三間、袴腰付、入母屋造、桧皮葺 附 上棟用木槌
鐘楼は本堂とはやや離れた西に妙法行堂と並んで建っている。
一間普通の袴腰(下方が拡がって城の天守台のような形の部分)付の鐘楼のようであるが、柱の配置が変わっている。
即ち、下層(一階)は二間二間であるが上層(二階)は南北二間、東面二間、西面は三面である。
屋根入母屋造、檜皮葺で桃山時代の復興建築である。
棟用木槌に慶長13年(1608)の墨書がある。
下層は袴腰の下方堅板張、上方白壁塗、縁下も上層軒も和様三手先組物を組む。
上層柱間は種々で、連子窓・片引戸・板壁などがある。
軸部の割に屋根が大きいのは、他の諸堂と共に重要な伽藍の一つで、寺観を整えるのに大いに役立っている
このあたりから本堂のほうを見た眺めは日本的なよさを十分味わうことが出来る。
瓦屋根がないのも景観のよさに効いている。
楼上に吊る梵鐘は無名であるが、古鐘の一つで、典型的な和様の様式を持った小型なものである。鎌倉時代の作とされる。
この辺りから見渡す境内は最高の美観を呈す。
樹林を負うて三つの典雅な檜皮葺の屋根が重なり合い、三重塔がその向うに現れて長命寺の建築美が満喫できる。
重文の諸堂が一景におさまるのは圧巻である。
また、琵琶湖の遠景も素晴らしい。

              如法行堂

    
修多羅石(すたらいし)

山内には巨岩が露出している箇所が多くある。
本堂左側の護法権現社背後にも巨岩がある。
これは護法石または修多羅石と呼ばれる。
この巨岩は、護法権現社のかつての磐座(いわくら)であったが、それが後になって現在のような社殿が設けられると、当初の性格は失ったが、岩の呼称にその面影を残している。
江戸時代末に画かれたとされる「長命寺境内絵図」にはこれ以外の多くの岩が建造物の周りに描かれている。     天尊堂

        太郎坊尊祠

修多羅石の30mほど左手、山頂が断崖となっている所にある小祠である。
かつては「天狗社」と呼ばれ、長命寺縁起には一山鎮護の霊神で、後奈良天皇のころ、長命寺に普門坊という僧がいて、五時八教の奥義に通じ一心三観の秘旨に達した。
法華経を誦す声は湖水を渡り、水茎岡の浜辺にまでよく聞こえた。
この僧は仏教繁盛・伽藍鎮護のため大天狗となったので、祠を建て太郎坊権現と仰いだと説いている。
太郎坊の社名は、謡曲にも太郎坊を天狗とみなし、普門坊が天狗となったからこの社名が出てきたとある。

              稲荷大明神

    宝庫

  
長命寺参詣曼荼羅
近江八幡市指定文化財長命寺の境内と付近の景観を描いたもの。
慶長13年(1608)の鐘楼の再建を最後にすべての諸堂舎の再建が終わった。
この時期の前後に描かれたものとされる。
本堂を中心に、その東に護摩堂・三重塔、西に三仏堂・護法権現堂・鐘楼などの主要建物を描いて、さらに一山の諸堂舎を加え、多くの信者が参詣する姿をいかにも観音霊場らしく描写している。
大層な舟を利用した巡礼、軒を並べる茶店や町家、石段道を登る巡礼者、大滝に打たれて身を清める者、などの中世の姿がよく描かれている。
さらに、本堂前広場の左端に、桜の花に囲まれた竹矢未の中で蹴鞠を行っている人物数名が描かれている。
長命寺縁起には勅許の鞠場として、天智天皇が蹴鞠遊びをここでされた伝説が、寺では重要なこととして伝承されている。
その他、天智天皇に関わる伝説に「郁子(むべ)」の話も残されている。
長命寺には江戸時代中頃の長命寺境内絵図(長命寺所蔵)も伝えられ、この絵図からも当時の様子を知ることが出来る。
 
寺宝関係

千手観音立像:国重要文化財:木造、像高91.8cm
聖観音立像:国重要文化財:木造、像高67.4cm
十一面観音立像:国重要文化財:木造、像高53.8cm
地蔵菩薩立像:国重要文化財:木造、像高96.4cm
毘沙門天立像:国重要文化財:木造、171.2cm
紅玻璃阿弥陀像:国重要文化財:絹本著色:縦106.3cm 横53.0cm
勢至菩薩像:国重要文化財:絹本著色:縦145.5cm 横63.0cm
釈迦三尊像:国重要文化財:絹本著色:縦112.5cm 横56・2cm
仏涅槃図:国重要文化財:絹本著色:縦136.7cm 横85.5cm
その他、滋賀県・近江八幡市指定の重要文化財を多数所有している。参考資料《近江蒲生郡志、長命寺工事報告書、古寺巡礼近江・長命寺、歴史と文化近江、滋賀県の歴史散歩》

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