滋賀県近江八幡市 安養寺跡五重塔
Anyoji ato Gojuto,Oumihachiman ity,Shiga
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近江八幡市安養寺町 五重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 寛元4(1246) 石造五重塔 19540320
March 23, 2024 野崎順次 source movie
滋賀県近江八幡市安養寺町
安養寺跡五重塔
国重文 安養寺跡五重塔 鎌倉時代中期 高436cm 花崗岩
国鉄東海道本線「篠原」駅から鏡山に行く街道の路傍に立つ堂々たる石塔で、この辺りは安養寺の旧跡地、塔は現在安養寺町の所有になっている。基礎の見事な鎌倉式格狭間に三茎蓮華を刻み出し、初重軸部の四方仏の像容も悠々として見るべきものある。軸部は幅に対し、やや背が高いところ、古調を示す。相輪は下方4が折れて、補修してある。無銘ではあるが、鎌倉中期の層塔中の優品である。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典」1998年9月30日)
国重文 安養寺跡五重塔 寛元四年(1246)
概 要 篠原駅から鏡山に行く街道の路傍に立つ。このあたりは安養寺跡とされ、塔は安養寺町の所有になっている。昭和二九年(1954)三月二〇日に国重要文化財に指定される。
現状・規模 相輪の請花、伏鉢と九輪の最下段の部分が欠損して後補であるが、そのほかは宝珠に至るまで完存している。現高は4.124mを測る。
形 状 花山岡岩製。基礎の格狭間には三茎蓮を刻み出し、軸の各方面に四方仏を刻む。
銘 文 無銘とされてきたが、現在は軸石南面に「寛元四年」の刻銘が確認できるとされている。しかし目視での判読は困難である。
参考文献 川勝政太郎『日本石造美術辞典』、1978。滋賀県教育委員会編『滋賀県石造建造物調査報告書』、(1993、略測図有)。(下高)
(「日本石造物辞典」2012年12月10日 吉川弘文館)
周囲の石造物など
近くの墓地の石造物
帰途の梅
Sep.2012 大野木康夫 source movie
2012.8.25撮影
寛元4(1246)年建造の石造五重塔です。
近江八幡市安養寺町の水田脇、国道の土手に立っています。
五重塔
近江八幡市安養寺町
JR篠原駅から約300m、10分の所、県道477号線沿いに建っている。
篠原駅東側の一帯の安養寺集落には、かつて安養寺(天台宗)があったところとされ、現在は上野神社や荘厳寺などが建てられている。
安養寺の創建は奈良時代に遡り、白鳳時代から中世期末まであったとされる。
「與地志略」には、「境内に大金塔、潅頂堂、経堂、観音堂、梵鐘堂、などの跡を残し・・・」とある。
元亀2年(1571)織田信長の兵火で焼かれた。
石造五重塔や荘厳寺所蔵の三体の仏像(国重要文化財)は安楽寺の遺品と伝えられる。
国重要文化財:建造物:指定1954 03 20 寛元4年(1246)鎌倉前期
石造五重塔 花崗岩製
県道左脇のさほど広くない土手面にポッツリと立っている。前面は農地で、その近くを新幹線が走っている。
総高418cmの堂々たる石造五重塔で、無名であるが、鎌倉時代の造立のものである。
材質は花崗岩で、台石には蓮の浮彫を入れた格狭間を施し、初重と軸部には肉厚の四仏像が刻んである。
第五重軸部部分及び露盤、請花部分は欠損し後補された。その他は宝珠に至るまでもとのままである。
量感と風格を備えた石造五重塔の傑作である。
塔の周囲には安養寺境内に安置されていたと思わさせるいくつもの小石仏や宝篋印塔、石塔の残欠がならんでいる。
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