滋賀県近江八幡市 円山神社
Oumihachiman Maruyamajinja
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水郷めぐりも評価に入れた | |
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Mar. 2010 撮影/文:中山辰夫
近江八幡市円山町169
主祭神:天津彦火瓊瓊杵尊 例祭:4月17日(松明祭)
県道26号線を直進し、円山のバス停を右折すると円山集落であり、集落背後の山が円山である。
平成18年(2006)に、重要文化的景観の第一号として「近江八幡の水郷」が選定された。
この一帯のヨシ群は重要な景観構成要素として評価された。円山神社も構成要素である。
円山集落に入ると正面に円山神社鳥居があり、そこから石段を登る。
勾配のきつい石段ではないが100段余登った所に寶珠寺のお堂が現れる。
無住であるが、そこに立つ収蔵庫には国宝の十一面観音像が安置されている。
更に石段を進むと、両側に結構な高さの石垣が現れる。
何かと思いつつ進むと突き当たりとなり左側に社務所・ほかの建物、右側に拝殿が見えてきた。
石段数は155段余だった。本殿を中心に境内社が並んで建っている。
円山神社は、八幡山の東の内湖の孤山に鎮座している。山の中には古墳がある。
中世には佐々木氏の支流西條氏の根拠でもあり、山頂に城跡が残る。
社伝によれば、旧社号は十禅師と称しており、坂本山王七社の内の十禅師を勧請して室町期に建立されたと伝える。
社頭に御影大岩を御霊と崇尊した姿が残っており、坂本の霊地に準じた形態を持つことから、神縁の深さが推し量れると伝わる。
戦国時代佐々木氏の支流西條氏が城砦をこの地に営むと伝える。
寛政元年(1789)に氏子が奮起して社頭を興建して、古式を残すように勤めた。
主な建物:神饌所、手水舎、神庫、社務所 境内社:4社(行事・祇園・愛宕・大将軍)
拝殿
間口2間三尺、奥行二間三尺、入母屋造
石積の上に建つ。半ば懸崖造風に造られている。
本殿
一間社流造、銅板葺 宝永元年(1704)建立 擬宝珠)
拝殿の奥に、岩山を背にして本殿が建つ。
標準的な一間社であるが、身舎に切目長押を用いず、かつ内法長押は正面隅柱で止めている。
妻飾の笈形・身舎正面楯上小壁の彫刻などが新しさを感じさせる。その他については、滋賀県の一般的な、オーソドックスな手法によりまとまった上質の社殿とされる。
紅梁絵様の若葉が渦先端から発する形は高木系の手法で、彼の手になるとされるが確認はできていない。
建築年代は擬宝珠銘により、18世紀前期とみられる。
戦国時代佐々木氏の支流西條氏が城砦をこの地に営んだと伝えられる。石垣はその名残か。
刻銘のある擬宝珠
境内社
祇園神社
津島神社
行事神社
愛宕神社
円山城
円山神社の拝殿横より山頂に向かう道がある。最近地元の人たちが整備して登り易くなったとされる。
山の中には古墳があるとのこと。山頂まで登ると5m四方程度の石積みの台がある。
天守台や城郭の櫓台にしては小さすぎる。唐突な感じで残る方形の石積みである。
しかし、周りをみると西側斜面にも石垣の痕跡が残り、さらに山頂部周囲も段郭の跡のような地形が残っている。
東側斜面には麓にかけて多くの城郭跡か寺院跡らしい形跡が残っているとのこと。
城歴については詳細不明だが、六角泰綱の三男長綱が唐橋氏と称したが、その子氏綱からは西条氏と称した。
その西條氏が円山城に在城したという記録があることから佐々木氏の支流西條氏の根拠とされる。
水郷について
近江八幡市は滋賀県中央部の平野に位置し、市域の北東部に広がる西の湖は、ヨシ原特有の湿地生態系を示している。
近江八幡市の周辺は古くから琵琶湖の東西交通を支えた拠点の一つとして栄え、近世には豊臣秀次が八幡山城の麓に城下町を開き西の湖を経て琵琶湖に至る八幡堀を開削した。
楽市楽座などの自由な商工業政策が行われ、八幡堀沿いの街は廃城以後も在郷町として発達した。
八幡堀沿いの街は舟運で結びついて旧城下町と一体的に展開し、現在の市街地の骨格となった。
江戸日本橋で近江商人が取引した商品には、「近江表」「近江上布」など湿生植物を原料とするものが数多く含まれていた。
西の湖の北岸に面する円山の集落は近江商人が築いた流通経路を通じて市場を拡大し、ヨシの産地として広く知られるようになった。
円山の集落では現在もヨシ加工による簾や葭簀をはじめとする高級夏用建具の製造が行われており製造業者の数は減少したものの「ヨシ地焼き」などの種々の作業は従来の手法を留めている。
「近江八幡の水郷」は、西の湖やその周辺に展開するヨシ原などの自然環境が、ヨシ産業などの生業や内湖と共生する地域住民の生活と深く結びついて発展した文化的景観である。
円山の集落に入ると、水郷めぐりの舟が準備され、青々と繁ったヨシの合間に水路が見える。
水郷めぐりは毎年4月1日〜11月30日まで運行され、6月20日には水郷祭が開かれる。
ヨシは5月頃より青さを増して大きく育つ。舟に乗って、西の瑚から見る近江八幡の眺めは絶景である。
円山地区について
この地域では、江戸時代から「ヨシ」を生業の具としてきた。当地のヨシは、古くから「江洲葭」 または「円山葭」の名で全国に集荷され、簾・衝立・障子などに加工されたり、屋根材に用いられた。
他に、筆鞘葦、油落灰、すくも(藻屑)などとして暮らしに役立っていた。
古来、ヨシは実用面以外に、浄化の力を持つと信じられ、破魔矢・追儺(ついな)の矢、茅の輪葦占・御葦流しなど、各地の神事とも結びついていた。
しかしこうした伝統的需要は、生活様式の変化などで、近時激減した。かつては地場産業の一翼をになってきた葭問屋も今や風前の灯に追いやられた。
こうした中で、水質浄化、生態系保全、護岸作用といった機能からヨシに対する関心が高まりつつある。
昭和30年(1955)頃の地域の写真(近江八幡市立資料館より)
この地域の過去を物語る証として
*石積みの水路と石垣
島中には石垣の水路が多く築造され、ヨシの荷揚げ、荷出しは水路が重用されていた。
水路は山からの排水を処理も兼ねた。水路を挟んで対に石垣が設けられた。
*家屋にあった「カワト」
水路におりるために石垣でつくられた階段で水路と接していた。
幅185cm、蹴上げ12cm、踏み面40cmと全体的に傾斜のゆるいもので、荷揚げ場であったとされる。(一例)
ヨシ葺き屋根
ヨシ葺き屋根の主屋は入母屋造りで、屋根の4周には瓦葺きの庇を付けている。
屋根の耐用年数は南向き民家で20年~25年だった。古いヨシでも使えるものは再利用した。
屋根にアワビの殻をつけるのは雀除け・カラス除け・魔除け用といわれる。
ヨシ屋根は廃材にすると上等な肥料になるので、高値で売れたとのこと。
戦前は円山の75戸の3分の1はヨシ屋根だったが、現在は瓦屋根に替わり、ヨシ屋根1棟、トタンをかけたもの1棟、清見寺の計3棟が残るのみである。
*水郷めぐり
西ノ湖は琵琶湖の入り江の一つである。湖畔にヨシが茂り静かな水郷風景を見せている。
昭和54年(1979)からこの水郷を昔ながらの田船で、船頭さんがギッチラコと艪を押して巡る「水郷めぐり」が始まった。
せまい石垣の水路を抜けて、橋をくぐり、ヨシの原を突ききって帰ってくる。今も続く。
重要景観構成要素とされている建造物は、円山神社・寶珠寺・清見寺・西村邸・八幡ユースホステル 若宮神社・西願寺がある。
*清見寺
市街地の北部、円山町に位置する。
本堂がヨシ葺き屋根である。屋根は地元産のトシを使い数年に一度の割合で葺き替える。
*西村邸
かつてはごく普通に見られた民家であるが、現在は貴重な家屋となっている。
*近江八幡ユースホステル
明治中期と見られる総二階木造和風建築で、昭和39年に現在の地域に移築されたもの。
平成10年に登録文化財になった。
*若宮神社
白玉町の北部に位置し、延宝6年(1678)年に造営された。大中の湖の増水時には避難場所になっていた。
*西願寺(舟木)
浄土宗の寺で、天正12年(1594)年に豊臣秀次が開基したといわれる。
現在の本堂は17世紀の建物とみられ、屋根が入母屋でヨシ葺である。
平成17年に登録文化財になった。
自然地形
春祭り
丸山町においては春祭りに松明を製作する。
円山神社の馬場と呼ばれる広場に、地元で「笠松名」と呼称する笠を持つ形状の松前を4基製作する。
頭頂部分に笠を持った松前は、近江八幡では比較的よく見られる形状のものである。
加えて、御幣が立てられた笠の付け根の一端に、丁度松明の高さ分のロープを渡した仕掛けが作られる。
地元ではこの仕掛けを「サル」と呼び、祭礼当日これに火をつけて御幣に火をつける。
他に大松明も1基つくる。
円山神社の春の祭礼では、夕刻に太鼓神輿の渡御があり、神輿が神社の境内に入ると笠松明に一基づつ点火される。
そして神輿が境内から集落に帰る際に、大松明への奉火が行なわれる。
参考資料《近江蒲生郡誌、滋賀県の近世社寺建築、滋賀県神社誌、ほか》
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