滋賀県近江八幡市 奥石神社
Oisojinja, Omihachiman city, Shiga
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近江八幡市安土町東老蘇1615 奥石神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 天正9(1581) 三間社流造、向拝一間、檜皮葺 19020417
June 2,2018 大野木康夫 source movie
国道8号線から見た麦畑と老蘇の森
裏参道
表参道周辺の旧中山道の通り景観
表参道の鳥居周辺
表参道
拝殿、本殿
本殿(重要文化財)
遠望
差し上げ撮影および正面扉越しの撮影
細部
摂社諏訪明神社(近江八幡市指定文化財)と本殿
Dec.31,2011 中山辰夫
奥石神社 (おいそ) 老蘇の森
近江八幡市東老蘇1615万葉の昔から多くの歌に詠まれてきた。
観音寺山の南、国道8号線と東海道新幹線が立体交差する地点にあるうっそうと茂った森が老蘇の森(国史跡・国名勝)。
神体山(繖山・きぬがさ山)
杉、檜、松などが鬱蒼と茂る太古からの森で、万葉の昔から多くの歌に歌枕として詠まれてきた。
伝説によるとその昔、この地域は地割れや洪水が多く、人の住めるところではなかった。石部大連(いしべのおおむらじ)という人が杉・松・ヒノキなどの木々の苗を植えたところ、たちまち生い茂って大森林となった。石部大連が百数十歳になるほど長生きしたため、いつしか「老蘇森」(老いが蘇る)と呼ばれるようになったと伝えられている。
旧中山道沿いにある大きな石鳥居をくぐり、杉の大木に覆われた参道を進むと「奥石神社」がある。
「奥石」と書いて「おいそ」と読み、藤原氏の祖である天津児室根命(あまつこやねのみこと)を祭神として祀っている。
この神社は「延喜式内社」という神社のなかでも格式の高い神社とされ、平安時代には朝廷から重要視されていた。
中山道に沿うため、訪れる人も多く、鎌倉時代以降の紀行文にも散見する。「東関紀行・おいその森という杉むらあり」
奥石神社
祭神:天児屋根命(あまつこやねのみこと 藤原の祖)神体山:繖山 近世には鎌大明神・鎌宮神社と呼ばれていた。
奥石神社本紀によると、孝霊天皇五年に石辺大連が老蘇森に神壇を築き大歳神御子を祀ったことに始まるとされる。
境内
拝殿
入母屋造 三間三尺 奥行三間
本殿 国重要文化財
三間社流造・檜皮葺・1581(天正9)年の棟札がある・信長が柴田勝家に命じて造立させたと伝わる。唐草模様他装飾が美しい。
諏訪社本殿
鎌宮
中世より鎌宮神社ともいわれた。これは蒲生野宮(かまふのみや)がなまって名づけられたものと考えられている。蒲生野の総鎮守の役をしていたことによるという説
参考資料≪滋賀県の地名、滋賀県の歴史散歩、他≫
所在地 滋賀県近江八幡市安土町東老蘇1615
奥石神社は、古来から歌枕とされていた老蘇の森に鎮座しています。
老蘇の森は東海道新幹線や国道8号線の建設により削られてしまいましたが、今でも静寂さを保っています。
老蘇森はしばしば和歌に詠ぜられ、又街道の名所として旅行者の訪れるところとなり、早く平安時代から人口にかいしやしている。
中山道はその東面及び南面に沿つて走り、自然の変遷を免れないことは言うまでもないが、今なおスギ、ヒノキ、マツ等から成る樹林はうつそうとして茂り、森の内には式内社奥石神社が祀られ、古の蒲生野の一角にきわだつた様相を呈して偉観とすることが出来、古くから知られた由緒の地として貴重である。
(老蘇森は昭和24年7月13日に指定されているが、古来しばしば和歌に詠まれ、道中記にも見える名所であるが、国道8号線の拡幅工事、東海道新幹線の建設工事による現状変更を許可した結果樹林の分断された部分があり、史跡としての価値を失っているので解除する。)
(国指定文化財等データベースより)
奥石神社境内風景
本殿(重要文化財)
天正9(1581)年の建築
三間社流造、向拝一間、檜皮葺
織田信長の命により造営されたものです。
境内社諏訪社本殿(市指定文化財)
桃山時代の建築
一間社流造、檜皮葺
本殿の左手に建っています。
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