滋賀県近江八幡市 千僧供古墳群
(Senzoku Tumuli Group, Omihachiman City, Shiga Pref.)
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滋賀県有数の古墳群と大型円墳 | |
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Flower | ||
Culture | 承元の法難との関連 | |
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September 2, 2018 野崎順次
滋賀県近江八幡市千僧供町
県史跡
千僧供古墳群は、近江八幡市の南東部の平地にある古墳群で、現在、供養塚古墳・住蓮坊古墳・岩塚古墳・トギス塚古墳の4基の古墳が残されています。この地域における5世紀中頃から7世紀にかけての在地首長の系譜をたどることのできる古墳群として重要です。
(滋賀・びわ湖観光情報ウェブサイトより)
現地説明板と古墳分布図、東から見た遠景(右寄り、住蓮坊、岩塚、トギス)
県史跡 住蓮坊古墳
葺石や埴輪は確認されていませんが、周濠を持ち、墳丘の直径は約60mを測ります。内部の構造や副葬品なども不明ですが、周濠内から出土した土器の年代から5世紀中頃〜後半に築かれたと考えられます。先ほど述べたとおり、円墳は古墳の中でも最も多く見られるのですが、当古墳のように50m以上の規模をもつものは県内でも数例しかありません。現在、古墳の周辺には水田が広がっており、現地に足を運べば、その雄大さを実感できることでしょう。
また、古墳の上には2基の石塔があります。石塔にはそれぞれ住蓮、安楽の名が刻まれています。住蓮と安楽はいずれも浄土宗の開祖法然の門弟で、浄土教教団に対する旧仏教勢力からの弾圧が強まるなか、建永元年(1206年)、後鳥羽上皇の女房たちと密通をはたらいたとの嫌疑をかけられ、住蓮は翌年の承元元年(1207)に当地で処刑されたといわれています。この事件は法然の讃岐への流罪、親鸞の越後への流罪などとあわせて、承元の法難と呼ばれています。もちろん、石塔は後の時代に建てられたもので古墳とは直接関係ありませんが、この地域がそうした日本史上の重大事件の舞台になったことを今に伝えるものとして見逃せません。
(公益法人滋賀県文化財保護協会 新近江名所圖會ウェブサイトより)
県史跡 トギス古墳
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