滋賀県近江八幡市 篠田神社
Oumihachiman Shinodajinja
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Nov. 2009 撮影/文:中山辰夫
近江八幡市上田町1615
主祭神::健御名方神、大国主尊、應神天皇
国道8号線の六枚橋交差点からに東北に進み、上田のバス停を降りると東側に大きくしげる森がある。そこに篠田神社が鎮座する。
すぐ馬場先を新幹線が走る。
入口の参道脇に宝篋印塔が1基ある。とても広い境内地である。
草創は平安時代末まで遡り、そのころ当地を領していた上田氏の造営になるという。
現社名になったのは明治以降で、それまでは上田神社または上田大明神と称していた。
上田の地は古代、篠田郷に属し、8世紀後半以降馬渕の東に隣接する上田荘が開発されたが、土質もよく美田であったことが地名となった。
正長元年(1428)足利義教により当地は京極家の所領となり、永享8年(1436)に京極持清願主となって拝殿を上葺した棟札銘文が残る。
その後、安永5年(1776)に造営されている
毎年5月4・5日の神社大祭における宵宮(よみや)の火まつり(国選択無形民俗文化財)は有名である。
神殿は樹間の中程に南面している。いずれの建造物にも素晴らしい装飾が見られる。
本殿、拝殿、手水舎が同時期の作で、一時期の数棟の建物が同じ境内に残ることは貴重とされる。
拝殿、本殿以外の主な建物:神門、手水舎、神庫、社務所 境内社:5社
*訪問した日は収穫祭が終わったときで、本堂の内部まで見ることが出来た。世話役の方々が片付けの作業をされていた。
手水舎
彫刻がいい
拝殿
間口三間二尺、奥行三間二尺、入母屋造向拝唐破風
本殿
三間社流造、間口三間一尺、奥行二間四尺、向拝一間、桧皮葺
現本殿は擬宝珠銘によって旧上田村の氏子中によって安永4年(1775)に建立されたことがわかる。
桁行が5.8m近くあって三間社の中では大型に属する。特に全体に木柄が大きいので見た目には一層大きく写る。
庇柱まで丸くするのは年代の新しさを証明する。
細部もかなり派手に造られていて、妻飾の笈形や懸魚鰭などの彫刻にその意図が表現されている。
宝篋印塔::鎌倉時代
相輪を失って、笠上までの高さ1.55m。壇上積式で複弁反花つきの基礎は、四方の側面格狭間内に開蓮華を刻出し正安3年(1301)の造立銘を刻む。
塔身四面には月輪内に蓮座にのる金剛界四仏梵字をあらわし、笠の隅飾は三弧で、八面にそれぞれ蓮座上の月輪に「ア」字を刻む。鎌倉時代宝篋印塔中の習作である。
今回は見ることが出来なかった
篠田の火祭
国選択無形民俗文化財
「近江八幡の火まつり」とは、「左義長まつり」、「八幡まつり」、「篠田の花火」をはじめとする毎年決まった時期に、近江八幡市内の村や郷、町内など特定の地域集団で行う火を用いる行事を総称する。
全国でも例を見ない古式花火「和火わび」の継承行事としてよく知られている。
仕掛け花火は、化学薬品を一切使わず、日本古来の製造技術を忠実に守って、硫黄・硝石・桐灰を三ヶ月もかけて薬研で粉にしたものを調合し、配置する。
五月四日夜9時頃、一条の綱火によって点火されると、火は瞬時にして仕掛け花火全体に移り、境内はモウモウたる煙と炎に包まれる。
花火の持つ壮烈な瞬間の華麗さで見るものの心を奪ってしまう。
煙がおさまったあとに浮かび上がる蛍火のような幻想的な花火絵柄はまさに夜空に輝く芸術品と呼ぶにふさわしいもの。
仕掛花火が消えると、最後に大松明が奉火され、夜空を赤々と焦がす。
参考資料《滋賀県の歴史散歩、滋賀県神社誌、近江蒲生郡史、近江八幡の歴史、ほか》
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