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滋賀県近江八幡市 正福寺

Oumihachiman Shofukuji

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Jan.2010 撮影/文:中山辰夫

近江八幡市魚屋町元1

浄土宗鎮西派

市立資料館ともさほど離れていない。

正福寺は、浄厳院における安土問答で貞上上人とともに活躍した玉念上人の開いた寺で当初安土城下にあったが豊臣秀次の八幡城築城にあたり現在地に移った。

玉念は上野新田の人で、永禄元年(1558)桐生に浄運寺を建て、同8年(1565)新田郡小島に哀愍寺を建てた。

その後安土に来て信長に知られ、天正4年(1576)一寺を本町に建て正福寺と称した。

天正7年(1579)安土宗論の功で、信長より賞を受け、寺も極大寺方丈格に列せられた。

秀次八幡城開創に伴い、天正14年(1586)、京街道に沿う要地の現在地に移転した。

元和8年(1622)に堂宇典籍類が焼失し、寛永8年(1631)から満秀和尚によって再興された。

高木家大工の名を記した慶安3年(1650)再興の棟札があったというが鬼瓦銘から承応3年(1654)の建立とされる。

当寺は八幡市街の中枢にあるため、近隣の有力富豪の檀家数はずば抜けていた。

京街道筋の寺院として朝鮮人使節来朝の際には、上使宗対馬守の本陣に宛てられた。

滋賀県の浄土宗本堂の遺構としては最初期に属す。

表門と本堂が滋賀県指定重要文化財である。

表門

県指定重要文化財:建造物:指定S63 03 31 :建立 承応3年(1654)

一間薬医門、切り妻造、本瓦葺

南向きの普通規模の薬医門であるが、垂木にわずかな反り増しがあり、かつ妻の板蛙股の形もほどよくあきらかに17世紀の様式である。

変わっているのは男梁受けの持送りで、親柱に指肘木にした一木からなる雲斗雲肘木風な繰形を有している。

簡素な中にも一点新しさが見られ、工匠の得意気なうまさが伺える。

本堂

県指定重要文化財:建造物:指定S63 03 31 :建立 承応3年(1654)

高木右衛門、同又十郎の作とされるが確認されてない。

桁行17.1m、梁間14.2m、一重、入母屋造、向拝一間、本瓦葺、背面張出、切妻造、桟瓦葺

本堂は数少ない17世紀建立の浄土宗本堂の一つとして貴重な存在とされる。

平面は左右対称とならず向かって左が一間広くなっている。これは軒支柱で囲まれる軒下部分の扱いの差で正面は開放して広縁に、西側は畳敷きの広縁と矩方にまわるのに対し、東側はこの部分も堂内に取り込んだ結果である。

江戸時代でも早い方に属する浄土宗本堂の形態をあらわし、以降の同宗本堂の基本となった。

現在の内外陣境欄間彫刻は元禄10年(1697)の補作(欄間框銘)であり、また後方の拡張は宝暦9年(1759)

南隅の角屋及び玄関は寛政9年(1797)の新造である。

参考文献《滋賀県の近世社寺建築、総覧日本の建築、歴史と文化近江、ほか》

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