滋賀県近江八幡市 椿神社
Oumihachiman Tsubakijinja
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Nov.2009 撮影/文:中山辰夫
近江八幡市千僧供町
主催祭神:瓊々杵命・少彦名尊・大国主命
JR近江八幡駅から南東約3kmに位置する。
八幡社・真光寺からもさほど離れていない。
社殿によればこの地が古くから千僧供養地であったことからその氏神として祀られ、明治以前は「十禅師権現」と称し、氏子たちは「十禅さん」と呼び、親しく信心してきた。
長和5年(1016)には日吉十禅師社を勧請したという。
日吉山王「大津市坂本」の上七社の一つ樹下神社(十禅師)を勧請したものである。
明治以前は「十禅師権現」と称し、氏子たちは「十禅さん」と呼び、親しく信心してきた。
長和5年の御鎮座と伝える当社殿は地頭馬場兵部郷常長の造営であり、貞和元年(1362)に本殿を改築し、寛正元年(1460)、弘治2年 (1556)、慶長14年(1609)、寛延2年(1749)、文政10年(1827)、明治11年(1878)、明治41年(1908)と各々屋根の葺替の記録を 残している。
室町時代の文明19年(1487)に馬淵・岩倉の両村間で水利を巡って総論が起った際に、千僧供町がこの仲介に立ち、用水の配分を馬渕と千僧供が各4割、岩倉が二割と定めたときのものである。
以来、地域の安定と繁栄を祈念して、この三ケ村が馬見岡神社にて共同の祭礼を行うようになり、その費用分担にもこの比率が採用されている。
宝暦6年(1756)京都寺町某所より大般若経600巻を買入れて、毎年正月、七月冷泉寺住職と共に拝殿で転読されることがあったが、明治初年より薬師堂で読行されている。
深い森の中にあって参道の石垣が美しい。
本殿、拝殿以外の主な建物:中門、神輿庫、手水舎、楼門、透塀 境内社:3社
神門
県有形文化財:建造物:指定1982 03 21 :室町時代後期
四脚門、切妻造、桟瓦葺
神門の建立は様式・手法から室町時代後期と推定されている。
平面規模は桁行3.64m、梁間2.99mであるが、軒高は4m近くもあって、特に背の高い門である。
構造は四脚門の定型通り本柱(円柱)上に冠木(かぶき)を架け、控柱(大面取り角柱)上は頭貫(かしらぬき)を組み、大斗(だいと)舟肘木(ふなひじき)で軒桁を受けて、妻側は紅梁に大きな板蛙股を乗せている。
板蟇股の意匠や強い反り曲線を持つ軒垂木は室町期の様式を留め、また扉は欠失するが、石の唐居敷(からいしき)には軸穴を穿って古式を伝えている。
貞和4年(1348)の墨書が残されている。また、古材を多く残してもいる。
手水鉢
宝永4年(1707)のもので、「十禅師講中」と彫ってあるように、もと当社は十禅寺社と呼ばれ、山王七社のうちの神で、この地にあった曼茶羅堂という古寺の鎮守であったと伝える。
拝殿
間口三間、奥行二間三尺、入母屋造唐破風付
本殿
一間社流造、間口一間二尺、奥行一間一尺
参考資料《滋賀県神社誌、近江蒲生郡史、総覧日本の建築》
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