滋賀県栗東市 出庭神社
Debajinja,Ritto city,Shiga
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May 3,2016 中山辰夫
栗東市出庭(でば)
祭神:宇迦之御魂神 彦太忍信命 彦太忍信命は出庭臣の祖孝元天皇の皇子
出庭村の村名は孝元天皇の皇子彦太忍信命の後裔と伝える出庭氏の居住地に由来とされる。
出庭神社は1092(寛治6)年出羽国から入植した藤原宣幸の開創と伝える。出庭氏の氏神として古くから祀られてきた。
例祭は5月4日に行われるが、神饌の鏡餅の調進が盛大に行われることから別名「餅搗き祭り」とも呼ばれる。
鳥居・境内
拝殿
入母屋造 間口三間 奥行三間
狛犬とタニシ タニシは神のお使いとされる
本殿と境内社
一間社流造 間口一間 奥行一間
社務所・石造宝塔・愛宕大神・参道に埋まる盃状穴
石造宝塔は鎌倉時代 高さ3m 円座は珍しい 基壇は葛石
祭礼−餅搗祭り
田植えを前にして、産土神に作物の豊穣を祈念するために行われる祭礼。
年寄組(50〜60歳)と若衆組30〜40歳)が神事講をつくり、各1年交替で渡し番をつとめる。
4月22日の口明けの儀、29日の米研ぎの儀を終え、30日に御鏡餅の儀(餅搗き)が行われる。4臼めが搗き終わる頃に当主が謡曲千秋楽をうたい、4組の鏡餅が仕上げられる。「画像は引用」
祭礼当日5月4日の境内
主会場の拝殿
神事をまつ本殿
村祭りを盛り上げる村娘
祭礼は次の通り行われる
三献の儀
となりの公民館で、渡番・講員・神主・役人・休番が集合して行われる
神事
この間、拝殿では宮司・巫女が加わり神事が行われる
お渡り
次に公民館では、神主の「サンヤレ、サンヤレ」の声により全員が立ち上がり出庭神社へ向かう
大榊を持つ神主、小学生の太鼓、稚児、当主、休み当番当主、大鏡餅を担の三方を担ぐ人、酒・肴を持つ人・役人・講員の渡御人の順に列を組む。
神社では神饌の鏡餅三組が供えられる
その後神事が行われる。神事の後拝殿で三献の儀が行われる
野神へお渡り
再度行列を組み、野神社へ向かい神事を行う。野神に鏡餅一組を供える。「画像は引用」
神社に戻り本殿前で全員が参拝し、全行程の無事を祈って手〆を行い祭礼が締めくくられる。
出庭の餅搗の儀順序
出庭神社の氏子である年寄組と若衆組と呼ばれる神事講により大鏡餅が神社と野神に奉納される行事である。
4月29日—「米砥ぎの儀」が行われ、村中から集められた餅米一斗六升、小豆六升が役人・神主によって検分される
4月30日—「餅搗きの儀」で、特別につくられた竃に四升入り蒸篭を4段重ねにし、餅米が蒸しあげられる。この間役人は無言で検分し、神主は餅搗きの指揮をとる。
講員は伊勢音頭を歌いながら餅を搗く。搗き終わると、臼の中で二つに分けられ、お鏡作り人が小豆を取粉代わりにして小豆のついた鏡餅をつくる。
最後の4臼目を搗き終える時には、当主が謡曲千秋楽を謡いあげる。4組の小豆の付いた大鏡餅は、役人が検分して餅搗きの儀が終わる。
大鏡餅の上には、方形に切った昆布と大豆を交互に刺した竹の箸二本と、麻で括ったフキが載せてある。
祭りは、重要な「田植え」の時期を控え、「餅搗き」という共同作業を通じて年寄りと若者の意思疎通と融和を図り、更に「用水」への共同認識を図る行事であった。
参考資料≪栗東の歴史・栗東歴史民俗博物館企画展・滋賀県の祭礼行事・他 画像の引用含む≫
田螺について
出庭神社の氏子は田螺を食わない。いやそれどころか田螺を恐れ且つ敬うさまは神様のそれと変わらない程という奇伝説がある。それについては色々の話がある。
さる百姓が他村に出かけて行って煙草の火を借りて一服喫った所が俄かに寒気がしてならない。大病となったが、それは田螺を煮た火で煙草をつけたことによる。他に、この村へ嫁いできた丈夫な女が、突然病に侵され、病名が分からないうちに衰弱が激しくなり、卜ってもらうと「これは田螺を煮ている家の門口をまたいだに違いない。そのおタタリだ・・」とのこと。調べてみると、里帰りの途中で立ち寄った親戚が、田螺を煮て食ったばかりで、勧められたお茶もその田螺を煮た火で煎じたものと分かり、神様にお詫びして全快したという。
里人は野良仕事の時など田螺が一つでもいたら田螺に礼拝し、訳を断りお宮の境内に移してから耕作したという。 夜話の民話です。
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