滋賀県栗東市 金胎寺(こんたいじ)
Ritto Kontaiji
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Sep. 2009 撮影/文: 中山辰夫
金胎寺(こんたいじ)
栗東市荒張
浄土宗県道栗東・信楽線を信楽に向かって走り成谷の交差点を右折する。金胎寺の案内がある。後は細い山道を登ってゆく。
集落も過ぎ山に近づくとお寺に出会う。金勝寺に一番近い元別院である。今も健在である。
天智天皇の時代(668〜71)の創建と伝える古刹。もと金勝寺二十五別院の一つで、法相寺と称した。
のち僧義淵が金胎浄願寺と改称。貞元年間(976~78)蓮秀が中興した。天台宗から室町時代の後期に浄土宗に改めた。
木々に覆われた石段を登った正面に本堂・庫裏が建ち、山寺らしい静かな落ち着きがある。
本堂内は阿弥陀如来像を中心に、重文の仏像がズラリと居並ぶ。本堂は広く、内部の作り装飾も大層立派でした。
阿弥陀如来及両脇侍像(3躯)と木造四天立像(2躯)が重要文化財である。
重要文化財の本像は、こわもての両脇の侍像と反対に、ふっくらしたお顔でやさしい表情でした。「いつでもいらっしゃい」と声をかけて戴いてる感じで親近感を持ちました。
住職のお話では、檀家は13家ほどとのこと。昔は檀家に山持ちが多く、木はすぐに調達できたが今はかえって高くつくとのこと。
本堂を維持するだけで精一杯とのことでした。貴重な仏像は像高が大きいので盗難の心配はないようです。
写真撮影お断りでしたので境内から写しました。住職のお話が聞けました。
木造阿弥陀如来及び両脇侍像
国重要文化財:彫刻:指定 1926・04・19
像高:(阿弥陀)141.2cm、(右脇侍)172.7cm、(左脇侍)172.5cm 平安時代
中尊の阿弥陀如来坐像は定印を結んで坐す半丈六像で、頭体幹部はヒノキの一材から造られており、12世紀中頃の穏やかで、優美な作風でした。
両脇侍像はそれぞれ蓮華を執り、腰を中尊側にひねって立つ等身大で、ヒノキ材の一材より成っている。
阿弥陀の胎内、胸から腹部にかけて造像銘記が記されている。それによると、僧侶や湖南在地豪族やその妻女、道俗・男女約40名の結縁者の名が多く見られ「現当二世大願円満成就」のために永治二年五月(1142)に造像された旨の墨書が記されてある。
制作期、造像目的が判別できる三尊としても重要とされる。
[仏像集成4より抜粋]
木造四天王立像2体
国重要文化財:彫刻:指定 1955・06・22
像高:(持国天)157.6cm (増長天)158.8cm
1躯には「持国天像康治元年(1142)」、他の1躯には「増長天像康治二年」の銘がそれぞれあり。いずれも藤原期の作品。
金胎寺の本尊である阿弥陀三尊像に髄侍する四天王像で、須弥壇下の左右に安置される。二天ともに、頭体通してヒノキの一材からなる。
足元の邪鬼、框座(かまちざ)、光背の大部分に当初のものを伝えている。種々の模様は残るが彩色は剥落している。二天の像内胸部にも阿弥陀如来と同筆になる造像名が記されている。 [[仏像集成4より抜粋]
懸仏
懸仏とは仏像や神像を円盤状にあらわし、社神・仏寺の内陣に懸けるもの。円形の鋼製鏡版に半円彫の仏像・神像をはりつけ本地仏・御神体とした。
住職のお話では、40年ほどまでに前の住職が昼寝をしていると、枕元に白髪の老人が立ち、“今、茶壷の蓋に使っているものを大事に祀れ”とのお告げを得た。あわてて手にし、錆びていた鋼鈑を磨くと仏像が現れたとのこと。
熊野権現と関わりがあるとのこと。急いでお堂を建て祀るようにしたとのこと。大きさは直径10cm前後なので普段は本殿に保管している。
鎌倉時代衣以降になって、当時の人々が日々の平穏や極楽往生をねがって熊野那智神社奉納したという。線彫りであらわした像である。
むかしの話で中で枕元に現れる話はよく聞くが、40年前のこととなると複雑な思いがした。
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