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滋賀県栗東市 大野神社
Ohnojinja,Ritto city,Shiga

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栗東市荒張896 大野神社楼門 重文 近世以前/神社 鎌倉前期 鎌倉前期 三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 19010327

March 1,2014 大野木康夫 source movie 所在地 滋賀県栗東市荒張896 大野神社は栗東市南部、湖南市の手前の荒張に鎮座しています。
かつて栄えた金勝寺の中心でした。
近年、男性アイドルグループにちなんだキャンペーンを展開し、参拝者が増えています。 楼門(重要文化財)鎌倉前期の建築
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺 拝殿 その他社殿
 

Sep. 2009 撮影/文: 中山辰夫

 
栗東市荒張895 
祭神:菅原道真公 祭礼:五月五日大野神社は金勝寺の「要」であっただけに重鎮の風格に満ちている。実際以上に広く感じさせる境内のたたずまいである。
金勝山西並木道と称される道は、大野神社から片山・走井の二つの集落を経て金勝寺に至る参詣道で、始点の大野神社から終点の金勝寺
迄の全域が荒張の区域にある。かつては大野神社を「五十丁」の起点とする「丁石」が配置されていたが盗難に遭い僅か残るのみである。
大野神社は旧郷社で、古くは天神社。狛坂天神などとも称せられた。金勝荘の惣社、金勝寺の護法神である。
社伝によれば寛平9年(897)菅原道真が太政官符を金勝寺へ下付の際当社に立ち寄り小憩した事を機縁に祀られたと伝える。
金勝連峰の最高峰である竜王山に社があり、龍王さんを祭る。
諸武将の崇敬を集めて社運は隆盛した。
<鎌倉時代には近江国守護の佐々木氏>、<南北朝~室町時代には将軍足利義尚や青地城主>が社殿の造・修営を行ったと社伝に残る。
正面に立つ楼門が重要文化財である。
近くには春日神社や里坊、参詣道にはかつて金勝寺の末寺として栄えた寺社が多くある。
神域は3,600㎡、老木が茂って閑静である。明治天皇と歌人の岡部譲などの歌碑がある。
拝殿、本殿以外の主たる建物:祝詞舎、中門、出雲社、楼門(重文)神輿所、神饌所、祭具庫、手水舎、社務所 境内社:2社


楼門
1274年建築
国重要文化財:構造物:指定1901・03・27
三間一戸楼門、入母屋造、檜皮葺
本殿の正面に東向きに建つ楼門は、鎌倉時代初期の建築と見られ、楼門としては、滋賀県内の遺構の中で最古である。
三間一戸の門で、屋根は楼門では最も多い入母屋造。
規模は比較的小さく、一階の柱間は正面が5.37m、側面が2.75m 二階は正面が5,07m、側面が2.57mである。
建立時の木材はマツが主で、中央通りの4本の柱は直径30cm、前後の8本の柱は直径27cmで大斗(だいと)底面の四隅が
柱からはみ出している。
神社の伝統、役割をすべて飲み込んで秘めた力を蓄えている感じの重々しさを感じさせる楼門であった。

拝殿


本殿



摂社本殿

町指定重要文化財:室町時代
大野神社本殿に向かって右側に東面して建つ一間社流見世棚造(流造の縁、木階等を省略して簡素化した形式)。
屋根は檜皮葺、正面柱間は一間で2.29m、奥行は1.83mの小社である。
方柱大面取りの向拝柱は礎石上に建ち、身舎は円形で、礎石上に組んだ土台上に建ち、内法長押と腰長押が四面に廻っている。
すべて反り垂木で、小規模の建築であるが優れた均整美を呈しているといわれる。
あらかし
樹高17.5m、幹の周り3.15m、推定樹齢400年
社務所前に苔むして立つあらかしがすぐ目に入り老木という実感がすぐに伝わる。かしは余り太くならないがこの木は非常に太い。
根元から新芽が出る。ブナ科に属し本州中部以南に8種類ある。関西には多く、いけ垣に使われている。開花期4~5月、熟果期10月


 「参考文献:栗東の歴史、近江栗太郡誌、栗東の文化、栗東の街道を行くより抜粋」

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