滋賀県栗東市 大角家住宅(旧和中散本舗)
Osumike,Ritto City, Shiga
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栗東市六地蔵402 大角家住宅 主屋 重文 近世以前/民家 江戸中期 元禄(1688-1703)頃 "店舗、製薬所、台所及び居間 桁行19,4m、梁間19.1m、切妻造、北面、東面及び南面庇付、西面下屋、南面突出部附属、本瓦、桟瓦及び銅板葺玄関及び座敷 桁行6.8m、梁間8.5m、切妻造、北面及び東面庇付、玄関千鳥破風付、南面下屋附属、南面突出部 桁行5.1m、梁間7.0m、入母屋造、南面及び西面庇付、桟瓦葺及び銅板葺" 古来作事?諸覚帳1冊、製薬機一式 19540320
栗東市六地蔵402 大角家住宅 正門 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 一間薬医門、桟瓦葺、両袖塀附属 19540320
栗東市六地蔵402 大角家住宅 隠居所 重文 近世以前/民家 江戸中期 江戸中期 桁行12.9m、梁間7.0m、入母屋造、四面庇付、南面突出部 桁行5.9m、梁間6.9m、入母屋造、南面、東面及び西面庇付東面玄関、南面押入附属、玄関千鳥破風付、本瓦葺古図1枚 19540320
September 20,2020 大野木康夫 source movie
大角家住宅(旧和中散本舗)
所在地 滋賀県栗東市六地蔵404
(国指定文化財等データベースから引用)
大角家の所在する六地蔵は旧東海道の草津宿と石部宿の中間に位置し、古来から間の宿として栄えたところである。大角家は屋号を「ぜざいや」といい、この付近に多かった和中散の製造販売を営む薬店の中でも特に「本舗」と称し、また間の茶屋本陣を兼ねていた。その大きな店構えは東海道名所図絵にも描かれ、古くから人に知られた家で、史跡にも指定されている。住宅は街道に北面して間口十間の店舗を構え、店奥に台所と部屋十室を並べた主屋が続く。その東脇には正門と式台玄関、座敷からなる本陣座敷(書院)を設け、背後には庭園を造り、土蔵、納屋、物置、茶室などが建ち並ぶ大邸宅である。また、街道をはさんだ向かい側にも馬繋ぎ(長屋)、隠居所、薬師堂などを配している。家伝系図によると大角家は慶長元年に与三郎清孝が現在地に移り住み、代々弥右衛門を名乗って薬種業を営んできた。
現在の住宅の建築年代は系図の三代正俊の項に「中興当家一大普請不残立替」とあり、これは貞享から元禄初年(1684~93頃)に比定され、このころに再建されたと考えられる。構造手法からも17世紀末頃の建築とみてよい。主屋は桁行十間、梁間八間で屋根は切妻造とし、両妻に卯建をあげて本瓦葺とする。ただし表側は弘化2年に上段と下段に区切って下段を桟瓦葺に変更している。
主屋の表構えは街道に面する十間をすべて摺揚戸をはめた間口としている。しかしこれは安永4年(1775)の改造で、もとは板戸引込みであった。店舗は細い通りニワを置いて左右に分け、左側は30畳大の広大な東ミセで、右側は細長い小部屋を介して板敷の西ミセとし、ここには大きな製薬機械を設置して実演販売を行っていた。また店舗部分と台所には丁字形につし二階を設けており、表側には小庇を付けて外観上の区画を設けている。この小庇は軒の出1.6mと深く、各柱筋と中間に突き出した腕木と持送りで荷重を支えるが、この持送りや腕木鼻、出桁下の肘木は繰形彫刻を施した豪壮華麗なもので、店構えに重厚さを加味している。店奥は広い土間と台所、男衆部屋、ナカノマ、仏間、座敷などを三列三行に配置した居住部分で、さらに下屋を葺き下ろして女中部屋、ナンドを設ける。土間は敷地に合わせた三角形になっている。構造は梁間八間の中央に棟を置いた超大型の切妻屋根に相応じた高い軸部をもち、柱は中央部のほとんどを1.5m程度の頭継ぎが施されている。柱は表側が19~20cm、座敷でも16cmを超える太さで、大面取りとする。ミセや台所の広い持放し部分は背の高い差物を一間ごとに入れて支えるほか、各部屋の間仕切りも同様の差鴨居で固めている。小屋組は登梁を架けた和小屋である。
本陣部分は店舗に並ぶ正門と、その奥の玄関式台、小座敷、次の間、上段の間の四部屋からなる。
正門は一間薬医門で、左右に袖塀をめぐらす。座敷は上段の間から小座敷にかけて矩折れの縁を設け、その外側が築山泉水庭となっている。屋根は主体部の玄関、小座敷をやや高くした切妻造とし、これに入母屋造の上段の間を隅部に付した複雑な外観をとる。現在は桟瓦葺であるが、もとはこけら葺であった。この座敷部分は主屋に斜めに取り付き、また不要な痕跡がかなりあることから主屋と同時の建築ではなく、古材を利用してやや遅れて建てられたものと思われる。玄関は宝暦11年(1761)から同13年にかけて改造された結果、現在のように千鳥破風を付し、大型の透彫欄間を入れた立派な外観となった。
街道を隔てた向かい側にある隠居所は本屋が本陣に利用されている間、家族の住居にあてられたといわれ、墨書により享保19年(1734)の建築であることが分かる。街道に向かって玄関を構え、土間、台所のほかにオクノマ、仏間、四畳の間、六畳の間の六室を矩の手に配する。屋根も同高の棟を矩の手にもつ入母屋造とし、四周の半間ないし一間幅の下屋部分は屋根を一段下げた重層で、本瓦葺とする。また玄関には本屋と同様に千鳥破風を置く。構造は要所に差鴨居を用いて固めるが、座敷部には用いず長押を回している。
この隠居所は臨時の建物であるにもかかわらず玄関回りを本屋に準じたつくりとし、全体の立面意匠も本格的なものである。このほか、この一画には馬繋ぎ、薬師堂などがあり、ともに大角家の豪壮な家構えを構成している。
また大角家には「古来作事并諸覚帳」が伝わり、享保以降の修理状況が克明に分かる。これによる西ミセの製薬機械は寛政7年(1791)に背後の部屋を改造して設置し、その後、文政13年(1830)に現在の場所に移動したものである。また本陣としての構えは享保から宝暦にかけて整備されたらしい。
大角家住宅は、街道筋の商家としては最も古く、また最も規模の大きな家で、附属屋もそのまま残り、また保存されている石臼や製薬機械など各種の製薬用具も文化史上貴重である。
秋の特別公開
三上山
下水道人孔鉄蓋
特別公開時の臨時駐車場(六地蔵簡易郵便局横)
主屋(重要文化財)
元禄(1688-1703)頃の建築
店舗、製薬所、台所及び居間
桁行19,4m、梁間19.1m、切妻造、北面、東面及び南面庇付、西面下屋、南面突出部附属、本瓦、桟瓦及び銅板葺
玄関及び座敷
桁行6.8m、梁間8.5m、切妻造、北面及び東面庇付、玄関千鳥破風付、南面下屋附属、南面突出部 桁行5.1m、梁間7.0m、入母屋造、南面及び西面庇付、桟瓦葺及び銅板葺
部分撮影
内部
庭園(国指定名勝)
(国指定文化財等データベースより引用)
大角氏庭園は,江戸時代初期の頃から製薬・販売で知られた商家で,東海道草津・石部の間の宿をも兼ねた大角家の庭園である。本家は店舗を主とする主屋と書院からなり,主屋は貞享から元禄初年頃の普請になると考えられていて,書院も主屋の建立からそう遅くない時期に建築されたものと考えられる。庭園はこの書院から見る位置に主たる景を置いて造られていて,書院と合わせて築造されたことを伺わせる。
庭園は500m2程(南北約20m)でさして広くはないが,書院上段ノ間前面に池を掘り,その先南側に急勾配の築山(高さ4m余)を築き,築山尾根線を南にやや下ったところで混植刈込生垣と西は旧葉山川の堤防によって庭景を限っている。この庭園の主たる景として,築山の西寄り斜面鞍部の尾根線近くから枯滝を組み下し池の南西部に流れ落ちる勢いを見せている。この景は上段ノ間の床前に座し附書院障子窓を開けて庭を見たときの正面池越しに見ることができる。今ひとつの景は上段ノ間北次の間の西に接する小座敷床前から見るもので,池越し築山中腹に据えられた品字風の石組と中腹稜線に建てられた三重宝篋印塔を見る景である。
庭園の前景をなす池には東寄りに花崗岩製切石反橋が架けられ,池中には本来数個の岩島のみであったが,明治になって大きな中島が設けられた。池と書院の間には飛石園路が打たれている。上段ノ間西側の縁沿いには不整形自然石・大振り鉢型の手水鉢が据えられ,西隣主屋前にも笠灯籠と細型棗手水鉢が据えられている。書院主人側から東南端に日向山がみえる。
植栽としては,枯滝附近にマキ・モミジを植え,滝左手中腹と右手裾部にアカマツの高木植栽を施す。池の書院寄りにはウメを植え鑑賞の要とする。
本庭園は,江戸時代前期末頃の商家の書院から鑑賞する庭園として伝えられた貴重な庭園で,名勝に指定してその保護を図ろうとするものである。
正門(重要文化財)
江戸中期の建築
一間薬医門、桟瓦葺、両袖塀付属
部分撮影
隠居所(重要文化財)
江戸中期の建築
桁行12.9m、梁間7.0m、入母屋造、四面庇付、南面突出部 桁行5.9m、梁間6.9m、入母屋造、南面、東面及び西面庇付東面玄関、南面押入附属、玄関千鳥破風付、本瓦葺
現住建物のため非公開
部分撮影
隠居所門、大角家薬師堂
Nov. 2009 撮影/文: 中山辰夫
大角家住宅( おおすみけじゅうたく):(旧和中散本舗)
栗東市六地蔵402 国重要文化財:建造物:指定 1954年3月20日
手原駅の東約2km、旧東海道沿いの六地蔵にある。大角弥右衛門家の邸宅のことで、豪商の昔の姿をそのまま今に留めている。
六地蔵には江戸時代、旅人のために道中薬を売る店が数件あり大角家はその中で、和中散という薬を売る「ぜさいや」の本舗として栄えた。
薬を売るだけでなく、草津宿と石部宿の「間の宿」として、公家・大名などの休憩所もつとめた。
和中散という名は、徳川家康が腹痛を起こした時、この薬を献じたところ、たちまち治ったので、家康から直々つけられた名前と伝わる。
有名なシ−ボルト紀行文に
「日本文政九年(1826)二月二十七日草津を発ち、梅木村に至り、その売薬屋のいと心よき亭に憩ひ、 神教丸、艾草(モグサ)万金丹、天真膏、万天膏等の名薬を購求す。和中散といえる万能の薬殊に胃疝、頭痛に効ありと称す云々・・・
・・・なお園内の手入れの行き届きたるより、主人は植木好きの人と推しければ、云々」
とあるように「ぜざいや」が全国でも珍しい
江戸時代における東海道筋の豪商のあるがままを見ることができる。
邸内西の間には、今にも動き出しそうなよく手入れされた大きな製薬機械が据えられ、一層、興趣がわく。まだピカピカだ。
建造物は元禄以前のものを焼失、元禄期再建のものが現存し、重要文化財に指定されている。
住宅全体が国の史跡に指定された。現在も生活住宅であり、見学については確認作業が必要。
正門
国重要文化財
一間一戸の四脚門で、切妻造り、桟瓦ぶきで、約4.1mの桟瓦葺、袖塀がついている。
玄関及び座敷 附 製薬機 一式
上段の間が10畳、次の間が6畳・8畳、玄関広間が7.5畳半、それに式台、縁等からなっている。
単層、切妻造り庇付、玄関千鳥破風付き、桟瓦葺きである。車輪・歯車・石臼を備えた製薬の機械も残っている。
玄関及び座敷
大きな動輪(直径4m)と歯車がきっちり整備されており、いまにも動きそう。
街道からも見える場所に置かれ、回転している姿は絶大な宣伝効果を挙げていたと思われ、和中散のもう一つの動く看板であった。
主屋:国重要文化財:指定1954・03・20
店舗、製薬所、台所及び居間
この棟は間口約20.3m、奥行約18.8m、一重、高塀造り、上方本瓦葺、下方浅瓦葺、正面小庇桟瓦葺(以前こけらぶき)という大変立派な造りである。
主屋の平面は基本的に町屋形式の大規模なもので、向かって左手の床上部分と右手の上間部分に二分される。
土間部分の前半部には通り土間と通常の下店にあたる西みせ(製薬場)と附属の七畳半の部屋と押入れを設け、通り土間の前面には吊り上げ式の大戸を備え、他は引込戸としている。
主屋の後半部は家族の生活の場である。今も日常的に生活されている。
欄間の彫刻が素晴らしい。これだけの彫刻はこの時代のものとしては二条城の欄間にしか見られないと案内人の説明にあった・・・。
隠居所
国重要文化財
隠居所は6畳、次の間が4畳で、その他7畳半、4畳半、8畳半、4畳、土間・縁側・押入れなどからなり、単層、入母屋造、屋根本瓦葺きとなっている。
隠居所の平面は東を正面とし、千鳥破風の付く式台から続く玄関の間、仏間、座敷および曲縁の付く次の間(四畳)からなる表向きの部分と、式台脇の勝手口から続く土間、だいどこ、奥の間からなる内向きの部分がL字型に構成されている。
生活の場であるため外からの見学に留まる。
梅ノ木
大角家のある梅ノ木は道中薬を販売する多数の薬屋や、もぐさ屋があることで東海道でも特に有名な間の宿(あいのしゅく)となっていた。
文政9年(1826)シーボルトもここに立ち寄り、和中散を始め様々な薬を買い求めている。
江戸時代、東海道のこのあたりはお店も多く、大変な繁華街と言っても間違いでなかった。
六地蔵一里塚、梅之木立場もあった。東海道を挟んで大きなムクノキが植わっていたと伝える。
5月と11月にこの周辺を「梅の木立場 あかりの演出」として、催しが開催される。
大角家の公開、重要文化財の地蔵菩薩立像(福正寺)も特別公開される。日没後はライトアップもされる。
江戸の看板
看板は最も古く基本的な広告媒体です。
わが国においても養老令に「凡そ市は、肆(いちくら)ごとに標(ひよう)をしるせ」と規定しており、奈良時代以降、歴史に登場します。
看板はその後、「簡板」「招牌(しょうはい)」などとも表記されつつ一般に普及しました。
日本的な表現「看板」は江戸中期に始まるとされますが、江戸時代後期には商業発達と識字率の向上を背景に、都市や街道を中心に多くの店舗に看板が掲げられたのです。
東海道・中山道の二大街道が通った近江では、街道の名物も多く生まれました。
大津算盤(そろばんー大津市)、姥が餅(草津市)、目川伝楽(栗東市)といった名物は、看板を中心とする盛んな広告で、旅人の目をひきつけたのです。
《江戸の看板 文字のメーッセージより抜粋》
ここでは草津・栗東を中心に、草津宿〜石部宿間の看板を取り上げました。
和中散本舗の関係
伊吹艾(もぐさ)の関係
姥が餅屋の看板
神教丸置看板・偽薬注意看板
目川田楽・ほか
銘酒鈴鹿川,銘菓、ほか
御針の関係
塗師
講招牌の関係
中山道守山宿の看板
《参考資料:栗東の歴史、パンフレット、東海道、近江文化財散歩、企画展 江戸の看板 文字のメーセージ 栗東歴史博物館発行》
大角氏庭園(旧和中散本舗(わちゅうさんほんぽ)
栗東市六地蔵国指定名勝:名勝:指定 2001・01・29
大角氏は、旧東海道の草津宿と石部宿の間にある「和中散」の製薬販売を行う商家で、屋敷は小休本陣として、公家大名の休憩所にもなっていた。
六地蔵のこの辺りは梅ノ木(うめのき)と呼ばれ、草津宿と石部宿の中間に位置し、立場(たてば)が設けられていた。
街道に面した店先の東隣が小休本陣の門(切妻四脚門)で、庭はこの書院の南側に作られている。
庭園は、元禄年間(1688~1704 )に建てられた書院に面しており、この頃に築庭されたもの。
急勾配の築山を配した園池式で、要所にも枯滝や石組を配している。
小振りながらも整った構成を持ち、江戸時代の商家の趣味や嗜好を今に伝える庭園として、大変貴重とされる。
日向山(にっこうやま)を借景とした、小堀遠州作の池泉式鑑賞式庭園が名勝に指定された。落ち着いた庭園である。
書院より見る庭がいい。
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