滋賀県栗東市 高野神社(たかのじんじゃ)
Ritto Takanojinja
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Sep. 2009 撮影/文: 中山辰夫
高野神社(たかのじんじゃ)
栗東市鷹野726
主祭神:大名草彦命 例祭:五月五日高野神社のある地名は「小阪(おっさか)」と読む。合併で高野となった。野洲川流域のつくった平野部で旧東海道も近くを走っており
古くから交通の要地であった。現在は、国道1号線が約500m離れたところを走り、国道8号線にも近い。
神社の前は県道高野・守山線が走り1号線と8号線を結ぶ。JR手原駅からは東南約3kmのところある。
参道の両隣はマンションや住宅がぎっしり建てこんでいる。だが周囲の喧騒は長い参道が隔離しており境内は静寂を保っている。
社伝によると、和銅元年勧請とされ高野庄の惣社であり、その地名が神社名になっている。
延喜式神名帳に記載される栗太郡八座に列する名社である。
古代にこの地を開拓した古代豪族高野造の祖神を祀っている。高野造は百済の佐平余自信の後裔といわれる。
古くから開けた地域であることは、神社近辺の古墳時代初期とされる高野遺跡やその他集落遺跡が証明する。
車道に接して鳥居が建つ。車道に対して平行に建つ四脚門の表門は参道と本殿のある境内との境界であり、奥に本殿が鎮座している。
現在の本殿は天保3年(1832)に建立されたもので膳所藩主の援護による。
本殿の玉垣内に建つ石造灯籠一基が重要文化財である。
神社からは三上山の美しい山容が見える。新善光寺や和中散本舗が比較的近い距離にある。
拝殿、本殿以外の主な建物:中門、神庫、神饌所、四脚門、手水舎、社務所 境内社:4社
表門(四脚門)
屋根切妻造、間口二間、奥行二間半、瓦葺 室町末
四脚門は室町時代の1532年に、京都御所の門を朝廷から拝領移築したものと説明書にあった。時期や経緯は不明とのこと。
この門に大きな額(縦113cm、横200cm)が掛かっており、疾走する馬が浮き彫りにされている。
額の周囲には「明治37・8年戦役戦勝記念」と書かれている。無事帰還した人たちが日露戦争の戦勝を記念して奉納されたものである。
拝殿
入母屋造、間口三間、奥行三間、瓦葺
中門
入母屋造、間口五尺、奥行七尺、桧皮葺
本殿
三間社流造、間口二間半、奥行三間、桧皮葺
社記によると、貞治元年(1362)に改築され、寛永7年(1630)修造を加え、現社殿は天保3年(1832)に改築されたもの。
膳所藩文書に「除地一町四方、七カ村氏神 社僧松源印」とあり、明治の神仏分離までは、松源院の社僧が祭祀を行なっていた。
傍らには、重文の石造燈籠が美しく手入れされた白砂の上に建つ。
境内社
石造燈籠
国指定文化財:工芸:指定 1948:04・27
鎌倉時代の作 高さ228cm
本殿を囲む玉垣内右側に建っている。様式は鎌倉末期で、中台の受弁がややはみだし、笠の蕨手は巻き込んで中が凹んでいる。
六角形で基礎には6面共に格狭間があり、その上端の反花(かえりばな)は二段で竿を受けている。
花崗岩で作られた石燈籠である。すべての部分が残っている優れたものである。
幸い本殿前に入ることが出来、撮影した。損傷もなく時代の古さを感じささない。
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