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滋賀県竜王町 八幡神社

Hachimanjinja,Ryuo Town,Shiga

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蒲生郡竜王町島41 八幡神社宝塔 重文 近世以前/その他 鎌倉後期 正和5(1316) 石造宝塔(相輪上部を欠く) 正和五年十月廿五日の刻銘がある 19540320


March 23, 2024 野崎順次  source movie

 

滋賀県蒲生郡竜王町島
八幡神社宝塔


畑の中に孤立してポツンとある国重文の宝塔を鑑賞しに来たが、その近くの島の集落とか、
駕輿丁の神社も興味あふれるものがある。

近江八幡からバスで20分足らず、加与丁バス停でおりる。ここは竜王町駕輿丁である。西へ真直ぐ歩くと島に入る。

       

八幡神社
御祭神は応神天皇、御由緒創祀年代その他不詳。
本殿 一間社流造 間口二尺五寸 奥行二尺五寸
(滋賀県神社庁)」

   

島の集落を突き抜けると畑の中に宝塔が見える。

国重文 島八幡神社宝塔 鎌倉時代後期 高195cm 花崗岩
相輪のうち宝珠、請花を折損するほかは完全である。基礎は壇上積式で、四方の格狭間に三茎蓮花と開蓮花の近江文様が彫刻されている。塔身の軸部はほとんど円筒形に近く、上の長押を塔身に周回させ四面に扉型を置き、縁板状の上に無地の首部を作り出す。笠の軒口は垂直に切り放し、屋根上部を横切って連絡する隅降棟の両脇に、各一筋をそえ三筋の隅降棟とし、軒裏は二重の垂木型を作り出す。塔身に三行にわたり、次の刻銘がある。「正和五年(1316)丙辰十月廿五日、一結衆造立之」近江でよく見かける宝塔の一例である。
(川勝政太郎「新装版日本石像美術辞典」1998.09.30)

                         

島の集落に戻り、いろいろ見て回る。

                            

島の集落の遠景

    

それから

   

駕輿丁(かよちょう)若宮神社
御祭神 仁徳天皇
由緒、古文書等 天明年間に焼失したが、社伝に「安和2年大和国子守勝手の神社を遷座し、古へ子守神社と称す」とある。総社苗村神社の摂社でもある。
(滋賀県神社庁)

          

 


September 19,2015 大野木康夫  source movie

八幡神社宝塔は水田の中に位置しています。

稲穂の季節の撮影です。

                                                                        


Oct.2011 大野木康夫 source movie

八幡神社宝塔所在地 滋賀県蒲生郡竜王町島 2011.2.19撮影 竜王の苗村神社から県道541号線を北に少し行き、綾戸北の信号の次の交差点を左折すると島の集落です。

神社の裏手に車を止めることができます。

    

宝塔は、来た道をさらに奥に入った水田の中にぽつんと立っています。

宝塔(重要文化財)正和5(1316)年のもの

石造宝塔(相輪上部を欠く)

正和五年十月廿五日の刻銘がある

               

の中にあるので、水が張ってある時は、細いコンクリートの通路を伝って行かなければ近づくことができません。

(2010.6.5撮影)      

 


Nov. 2009 撮影/文: 中山辰夫

重要文化財:建造物:1954・03・20 鎌倉時代 1316年八幡神社の宝塔は、嶋集落外れの田圃の縁にぽつんと立って入る。

稲刈りが終わって、全貌がでて所在がわかった。この場所は八幡神社の御旅所であったとか。宝塔は花崗岩製である。

下部は地中に埋まり相輪の上部は欠損しているが、他の部分は完存している。高さが2mに近くあって見事な造りである。

塔身に鎌倉時代末期の「正和五年(1316)丙辰一月十五日、一結衆造立之」の造立銘が残っている。

一結衆とは多数の人が願主となった場合、一名の名を出さず造立した場合に用いる用語である。

笠の四柱の屋根は一直線に流れ、各隅に降棟をつけ、相輪は九輪の内、七輪まで残している。

《参考文献:歴史と文化 近江、滋賀県の歴史散歩》

           

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