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滋賀県米原市 醒ヶ井宿

Samegai,Maibara city,Shiga

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高速の騒音が無ければ
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August 9, 2022  野崎順次  source movie

滋賀県米原市
中山道醒井宿

ヴォーリズ建築事務所の旧醒ヶ井郵便局舎を撮影しようと行ったら、地蔵川の清流に梅花藻が満開だった。

醒井(醒ヶ井、醒が井)は、古代からの交通の要衝であり、ヤマトタケル(倭建命・日本武尊)伝説に登場する『古事記』の「居寤の清泉(清水)」(いさめ〈いざめ〉のしみづ〈しみず〉)ならびに『日本書紀』の「居醒井(居醒泉)」(いさめがい〈いざめのいずみ〉)が地名の由来とされる。関ケ原を越えて東西を結ぶ東山道(中山道)の往還に位置し、その地名は中世、鎌倉時代の日記紀行などより認められる。
醒井宿は近世、江戸時代に中山道の宿駅として整備された。天保14年(1843年)の『中山道宿村大概帳』によれば、醒井宿の家数は138軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒、宿内人口は539人であった。醒井宿の南東に位置する霊仙山からの豊富な湧水があったことが、旅人の休憩場所に最適であったに違いなく、今日も地蔵川の清らかな流れが町並を潤している。
(ウィキペディア「醒井宿」より)

米原市醒井(さめがい)の地蔵川は居醒の清水(いさめのしみず)から湧き出ており、大変珍しい水中花「梅花藻(ばいかも)」で有名です。水温は年間を通じて14度ほどと安定しており、貴重な淡水魚である「ハリヨ」も生息しています。また、居醒の清水は平成の名水100選にも選ばれています。
(注意)地名は「醒井」ですが、JRの駅名は「醒ケ井」です。どちらも読み方は「さめがい」です。

梅花藻
水温年間約14度前後の川の水底に群生し、水流中に沈生し、流れに沿って這うように育つキンポウゲ科の多年生草木植物で、長さは約50センチほどになります。初夏から晩夏にかけて梅花のような白い花を咲かせます。
(米原市ホームページより)

アプローチ、JR米原から醒ヶ井
       

現地説明板
      

駅から東へ
   

明治時代の醒井小学校の玄関
      

国登文 旧醒井郵便局局舎 昭和前/1934
木造2階建,瓦葺,建築面積84㎡
ヴォーリズ建築事務所の設計になる木造2階建の旧郵便局舎で,1階が郵便及び電信事務室や応接室,2階が電話交換室及び交換手の宿直室兼休憩室にあてられた。外観はフルーティング付きの角柱にアーカンサス模様の柱頭飾を置く簡素な様式にまとめている。
(文化遺産オンラインより)
               

さらに進むと地蔵川沿いの中山道である。
       

十王水
十王水の呼称は、かつて付近に十王堂があったことによる。醒井大橋に近い家屋裏手の山麓より湧出し、往来沿いの川中に「十王」を示した灯籠がある。
     


国天然記念物 了徳寺のオハツキイチョウ
了徳寺の境内にあるオハツキイチョウ(お葉付きイチョウ)は、葉の主脈に種子(ギンナン、銀杏)をつけることが認められるイチョウ(雌株)である。樹高25メートル、幹周り4.4メートル、樹齢200年以上とされる。
  


中山道を東へ行く。「かわと」(川戸〈川端、かばた)と呼ばれる水際の洗い場に下りる石段が設けられている。
         

梅花藻が満開である。ピンクの花びらは岸辺の百日紅から落ちてきた。
                

それから
        

市文 醒井宿問屋場(旧川口家住宅)
醒井宿にあった7軒の問屋の1つとして残存する川口家住宅の一部であり、米原市醒井宿資料館の1つに使用される。享和4年(1804年)の醒井宿絵図に記される。江戸時代前期(17世紀中期-後期[134])築、木造平屋建。2000年(平成12年)より修復された。
  

ここらも梅花藻がきれいに咲いている。
   

中山道をさらに東へ
         

国登文 醒井公会堂 昭和前/1936
木造平屋建、瓦葺、建築面積123㎡
江戸時代に宿場町として栄えた醒ヶ井の町並の中に所在する。木造平屋建,寄棟造桟瓦葺で,正面と側面前よりは吹きつけ壁,他は下見板張とする。正面隅はコーナーストーン風の仕上とするなど和洋のデザイン・構法を混在させた昭和初期公民館建築の好例である。
(文化遺産オンラインより)
      

醒井木彫美術館あたり
            

醒井地蔵堂
市文 石造地蔵菩薩坐像 - かつて清水の川中にあったため、「尻冷やし地蔵」とも称される。『江左三郡録』には、「腰掛石の下川傍にあり」と記され、その清水は地蔵川と呼ばれた。石造地蔵菩薩半跏像であり、当初は地蔵川を通じて地蔵菩薩と琵琶湖の魚と仏縁を結ぶものとして開眼されたという。総高2.7メートル、鎌倉時代の作。
         

居醒の清水
地蔵川の源流となる湧水であり、一日の湧水量約1.5万トン、水温は周年12.3-15.0度を保持する。『古事記』および『日本書紀』によれば、ヤマトタケルは退治に向かった伊吹山の荒神の激しい雹雨によって前後不覚に陥るが、たどり着いた清水により覚醒したことから名づけられ。『近江名所図会』(『木曽路名所図会』)の醒井には、「日本武尊」「居寤清水」「腰懸石」が記されている。
                

加茂神社あたり
        

参考資料
ウィキペディア「醒井宿」


May.2,2018 柚原君子

中山道第61宿 醒井宿


概要

米原市にある醒井宿(醒ヶ井という表記もありますが、醒井で統一します)は、古くから日本武尊伝説の多い場所です。醒井は古事記では『居醒泉(いさめがい)』、日本書紀では『居寤清水(いさめのしみず)』と表されています。
日本武尊が東国よりの帰途、伊吹山に暴れている神様がいるので征伐をしようと伊吹山に登ったところ暴れている神は大蛇となって日本武尊を襲い、大雨を降らせます。日本武尊は刀を抜いて大蛇を退治したのですが、大蛇の猛毒で発熱し、気を失いそうになりながら急ぎ山を下りて、ふもとの湧き水を飲んで体を冷やして正気を取り戻した、というのが伝説です。
そこでその泉を居醒泉(いさめのいずみ)と名付けた、と。この故事が醒井の地名の元になっています。

醒井宿は三水四石の名所ともいわれています。三水の一つは日本武尊の伝説のある『居醒の泉』と『十王水』と『西行水」。四石は『日本武尊の腰掛け石』、鞍をかけたという『鞍掛け石』、蟹の形をした『蟹石』、『明神影向石』です。
居醒泉(いさめのいずみ)からわき出た水は地蔵川となって醒井宿の傍らを、今でも水量多く音を立てて流れています、澄んだ川の中には梅花藻(ばいかも)がゆらめいています。梅花藻はキンポウゲ科の水中花で、梅に似た五弁の花をつけることからこの名がついています。水温が年間14℃前後の清流にしか生息しないので、「湧水の妖精」ともいわれています。梅花藻は絶滅危惧種の「ハリヨ」の産卵場所でもあります。
清流の川が宿の真ん中を通っている醒井宿は旅人を和ませた宿であったことと思います。

また他宿では『問屋場跡』という立て札が多いのですが、この醒井には当時の問屋場がそのまま残っているという特徴があります。人足や馬の段取り、京や江戸に流れていく荷物の振り分けなど多くの業務をこなす問屋場。現存するその建物の大きさに驚かされます。

1843(天保14)年の『中山道宿村大概帳』によれば、醒井宿の宿内家数は138軒、うち本陣1軒、脇本陣1軒、旅籠11軒で宿内人口は539人とあります。

中山道は滋賀県米原市の南部を東西に通っていて、県内には前宿である柏原、当宿、後宿である番場宿の三宿があります。伊吹山は日本百名山に数えられる高山植物の宝庫。石灰岩の産業を有し、東洋一の鱒の養殖場もあります。

1,一色の一里塚跡~鶯ヶ端
前の柏原宿深訪では、貸し自転車で関ケ原まで戻る関係上、西見附および山の上の六地蔵の猿の集団を見たところで、その先を断念。続きは次回歩くことにして引き返しましたが、今回は鉄道で米原→醒ヶ井駅を下車しているので。先回の続き場所まで戻るのはちょっときつく、柏原宿と醒井宿の間にある薬師道標、小川関跡などは残念ですがスルーとします。

本日は醒ヶ井駅より中山道を柏原宿方面に戻ったところにある『醒ヶ井東』の交差点より少し山の方の上り、『一色の一里塚跡』より出発です。

東海道線の線路の向こうに新幹線。その向こうに微かに琵琶湖が見えています。
こんもりとした塚はなく丸い石に一里塚と刻まれています。ツツジの咲く中を道なりに登っていくと左側に地蔵堂。右側に佛心水。旅人の喉を潤すと共に旅の安全を祈願した井戸とあります。囲いをして屋根を付けて保存されています。

見晴らしの良いこの場所はまた『鶯ヶ端(うぐいすがはた)』と呼ばれた場所で遠く京の空が眺められて旅人は立ち止まったそうです。平安時代の歌人で中古六歌仙の一人の能因法師も『旅やどり ゆめ醒井のかたほとり 初音もたかし鶯ヶ端』と詠んだと説明にあります。
道を緩やかに降りたところが東見附跡、枡形です。『醒井宿』と書かれた石があり左に折れて宿に入っていきます。

                                  

 

2,居醒の清水
ベンガラ塗りの家やテッセンの咲く古い家などを見ながら緩やかに曲がる道を進んで行くと、左側に賀茂神社。石の鳥居には別雷神(わけいかづち)と書いてあります。別雷神は京都の上賀茂神社の神様です。
醒井宿の三名水の一つ、日本武尊の伝説のある居醒の清水がある神社です。居醒の清水の中に蟹石もあります。大蛇を倒して清水にたどり着いた経緯が書かれた立て札と少し先に日本武尊の銅像があります。

賀茂神社の石段は恐ろしく急ですが登ってみましたら春祭りの準備真っ最中。遠くに琵琶湖。良い気分です。
居醒の清水は地蔵川となって水量豊かに宿の中を流れて行ます。気持ちの良い道中です。賀茂神社の隣に延命地蔵堂。旱魃が続く中、最澄が嵯峨天皇の命により比叡山の根本中堂で祈っていると、薬師如来が現れてお告げがあり、当地の泉にたどり着きます。すると老翁が現れてお地蔵様を建立せよ、と。安置したところ大雨が降ったということが、立て札に書かれています。お地蔵様は始めは水中に安置されていて『尻冷やし地蔵』と呼ばれていたそうです。

実際のお地蔵様は堂内あり見ることは出来ません。花崗岩を丸堀した3㍍ちかい像で鎌倉時代のもの。米原市の指定文化財になっています。

                                           



3、本陣~現存の問屋場
宿の道の中央を流れる清流をこれまで見たことがなく、景色的にも風情があり、そして気持ちさわやかになります。
川の中の梅花藻は花の季節ではなかったので藻の緑一色でしたが、揺らめきはとてもきれいです。水温の低いところにしか棲まないという体長4㎝から7㎝という年魚のハリヨもこのなかにいるのでしょうね(捕獲、殺傷禁止。破れば50万円以下の罰金)。
流れの音をききながら左側の本陣に。現在は割烹樋口山という料亭。江龍家が勤めています。古い当時の建物はありませんが、料亭内には宿泊した大名の鑑札は残っているとのこと。
本陣の隣の大きな建物は問屋場(旧川口家住宅)です。中山道内でも問屋場の建物がそのまま残っているのは珍しいそうです。建物の創建時代は不明ですが、建築部材が手斧仕上げ、通し柱が多い等、江戸時代でも古い様相を呈していることから、おそらく17世紀中から後半と推定されているそうです。天井は高く、梁がしっかりと通っています。

向かい側は明治時代に創業の醤油店。お隣は旧旅籠「多々美屋」。間口の広さから当時でも大きな旅籠であったことが想像されます。ちょっと奥まったところに彦根城の城門を移したといわれる法善寺があるというので行ってみましたが、特に説明もなく街道に戻ります。
明治天皇御駐輦所碑が建っている家は江龍家。問屋や庄屋を長く勤めた家で本陣並の規模であったそうです。

右側の駐車場の奥に了徳寺の大きな銀杏の木が見えます。国の天然記念物に指定されている『御葉付銀杏(おはつきいちょう)』。周囲約4m、高さ20m、樹齢165年の雌株の大木。銀杏は地球上にたった一族一種の貴重な植物ですが、御葉付銀杏はその中でもイチョウの変種で葉の上に直接実が成る(全ての実ではありません。年によって一部が時々という感じ)という貴重なもので、花が元枝の一部であったことを示す「先祖帰り」の一つだといわれています。全国での確認は20本あまり。

川に沿って進みます。川の中に『十王』と書かれた石灯籠。平安時代の中期に天台宗の僧・浄蔵法師によって開かれ、はじめは浄蔵水と呼ばれていたそうですが、近くに十王堂があったことからその後は「十王水」と呼ばれるようになったといいます。

                                                         


4、西行水~六軒茶屋
宿のメイン通りが終わるのでしょうか、舗装の色が変わります。醒井宿の三水といわれる最後の湧き水、『西行水』があります。西行法師の飲み残した茶の泡を飲んだ茶屋の娘が懐妊。それを知った西行法師が、もし自分の子なら泡に戻れというと、その子はたちまち泡になったそうです。
西行法師はここに五輪塔を建てて、「泡子墓 一煎一服一期終 即今端的雲脚泡」と記したそうです。泡子塚として親しまれているそうですが、言い伝えにしても茶の泡で懐妊なんて、女性を下目にみていますね。産まれた子に責任も取らずに泡に帰れだなんて、お坊さんとしては無慈悲な気がするのは私だけでしょうか。

西行水を過ぎて左側に、もとは茅葺きであった家が見えますが、この辺りには六軒の茶屋がならんでいたそうです。『幕府の天領であった醒井宿は、享保9年(1724)、大和郡山藩の飛地領となった。藩主・柳沢候は、彦根藩・枝折との境界を明示するため、中山道の北側に、同じ形の茶屋六軒を建てた。この六軒茶屋は、中山道の名所となり、安藤広重の浮世絵にも描かれている』と説明版に書かれています。

国道に合流して左折。車が多く行き交う国道の向こう側に広っぱがあります。壬申の乱(672年)横河の古戦場跡。大友皇子が敗れた場所です。この先は番場宿です。

                                    


June.27.2017 中山辰夫

地蔵川の梅花藻

通りがかりに立ち寄りました。地蔵川の周辺はアジサイやザクロなどの花で一杯。水は冷たく、清らか。

          

資料館前の川面にはバイカモが集中して咲いていた。バイカモはこれからが本番。

           


May 9, 2016 瀧山幸伸

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source movie

                                                                                                                         

十王水

     

      

西行水

              

   

柏原宿へ

    


September 27,2015 大野木康夫 source movie

醒ヶ井宿は地蔵川のバイカモの盛りである夏季は多くの人でにぎわいますが、それを過ぎると観光客は少なくなります。

バイカモは9月下旬でも十分咲いていますが…

JR醒ヶ井駅に駐車

   

宿場町へ

         

地蔵川沿いに居醒の清水へ

                        

居醒の清水とその付近

イトヨは水槽展示

                

旧問屋場

イトヨ展示あり

               

了徳寺へ戻る

    

了徳寺のオハツキイチョウ(天然記念物)

天然記念物指定のオハツキイチョウは7箇所、早田(山形県鶴岡市)、白旗山八幡宮(水戸市)、杉森神社(福井県高浜町)、上沢寺、八木沢、本国寺(山梨県身延町)と醒ヶ井の了徳寺です。

葉に実を結ぶということですが、了徳寺のオハツキイチョウはすべてがそうではなく、一部の実が葉上にできるということなので、地面を探して撮影しました。

イチョウとしてもまずまずの大木です。

                                                                


Aug.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.11撮影 

旧醒ヶ井宿の地蔵川に自生する梅花藻を見に行きました。

    

旧醒井郵便局局舎(登録有形文化財)昭和9(1934)年の建築

木造2階建、瓦葺、建築面積84㎡ヴォーリズ建築事務所の設計になる木造2階建の旧郵便局舎で,1階が郵便及び電信事務室や応接室,2階が電話交換室及び交換手の宿直室兼休憩室にあてられた。

外観はフルーティング付きの角柱にアーカンサス模様の柱頭飾を置く簡素な様式にまとめている。

(国指定文化財等データベースより)

   

了徳寺のオハツキイチョウ(天然記念物)葉上ニ種子ヲ生スル珍奇ナル公孫樹ナリ

(国指定文化財等データベースより)

     

問屋場とその周辺

     

地蔵川の梅花藻流れが速い場所に自生しています。

地蔵川は名水居醒の清水を源流とする清流で、夏のこの時期でも手を付けると大変冷たい流れです。

                           


Nov. 2006 瀧山幸伸 source movie

 

 

   

居醒の清水

    

       

     

         

旧問屋場

  

十王水

   

   

西行水

      

                 

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