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滋賀県高島市 仲仙寺

Chusenji,Takashima city,Shiga

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July 17,20185 中山辰夫

高島市マキノ町浦

仲仙寺は仲仙寺山の中腹に建つ。

仲仙寺山

仲仙寺山マキノ町で有名なメタセコイアの並木道を、白谷温泉の方向に向かって走る際、進行方向右側に見える山。登山口は離れた集落にしかない。

   

今回は裏の集落から山へ登り、途中の仲仙寺観音堂を拝観する。

反対側の山麓の上開田集落にも立派な薬師堂があって、国重要文化財の木像薬師如来立像を安置している。

仲仙寺山は古代から地域の人々にとって特別な山として認識されてきた。

敦賀へ通じる国道161号の追坂峠を越え、小荒路から左に入り、知内川を渡ったマキノ町「浦」が登り口に当たる。

標高388.5mの仲仙寺山へは3本の登山道があると聞く。中腹にある泰澄大師ゆかりの仲仙寺への参拝道であったと思われる。

現在は、普段登る人も少なく、きちんとした管理もされていない、案内もないため地元の人と一緒でないと危険との情報も得ていた。

ともかく仲仙寺を目指して登ることとする。

訪れた7月17日は観音堂の「観音の日」の縁日で、集落の人達が観音堂に集まり「お籠もり」される日でした。

中仙寺は「地福庵」が管理されており、山中集落の古刹「常栄寺」の住職、弘海氏が兼任されている。

浦集落の地福庵とその周辺

        

介護施設「ジャガイモの家」の前で住職さんを待ち、一緒に仲仙寺まで案内登山をさせて頂きました。

集落の裏手の林道から幅の狭い山道に入り斜面の坂道を登る。途中に子安地蔵堂の建物がある。ここが中間点。堂内には石造地蔵菩薩像三体が安置される。

間もなく30段と12段の石段が現れ、これを登ると観音堂が見える。

      

仲仙寺は古くは仲善寺と呼ばれ、浦の「大荒比古鞆結神社文書」によると、858(天安2)年藤原冬嗣の息子・良和と平城天皇の皇子・真如法師がこの地に来て「西の山峯(白谷の白蓮寺付近)に八王子の神を祀ってこれを「北の叡山」と称し、浦の付近は「剣隅之山王」と名付けて千手観音像を祀り「仲善寺」と号したと記されている。

山名にもなっている仲仙寺は、廃寺となり現在では観音堂だけが残されているが、かっては大寺であったといわれる。広い平地には山水の落ちる場所や墓所などもあり、その雰囲気を留めているとされる。

仲仙寺観音堂−今も電気・水道が引かれていない。

                

切妻造、桁行三間、奥行三間、広縁付の立派な建物 山中にある堂々とした建物にびっくり。地元の方たちのお世話の程が分かる。

観音堂は世話方三人が代々交代制で堂守の責任者となっている。毎月1回必ず登山し、観音堂に参詣し、堂内外の点検をされる。

本尊とその周囲

本尊とお前立

   

本尊の秘仏・木像千手観音立像 泰澄の作と伝えられる。平安時代後期の作 優美な観音像の秀作とされ国重要文化財に指定されている。像高:162.1cm、十一面四十二臂

本尊は33年毎に開扉される。

周辺−中央の厨子にも圧倒される

    

堂内には木造毘沙門天立像や絵馬など七面見られる。堂の後には集落の人々が奉納した石造西国三十三所観音像画並ぶ。

「観音の日」の縁日

      

訪れた7月17日は観音堂の縁日の日。集落の人が朝早くからその準備に山に登る。集落の人々が観音堂に集まりご詠歌をあげ共に会食し、この日は全員が堂内で「お籠もり」をし、明朝午前五時頃に下山するのがならわしという。

参詣者全員に配られる木版摺り。

観音の日の行事に接していると、この観音堂が地元の方々の深い信仰に守られ、延々と時を刻みこんできた様子が手に取るようにわかる。

だがこの集落の人達も他と同様、過疎化と高齢化により起こる課題を背負っておられる。

参考≫

仲仙寺は泰澄の開基と伝える寺院であるが、マキノ町には泰澄の開基伝承を持つ寺院が多い。マキノ町白谷の白蓮寺・小荒路の竜泉寺・海津南浜の権水寺・海津の宗正寺・最勝寺・海津大崎の大崎寺があげられる。そして、これらの寺院の多くには、泰澄が自ら彫ったと伝える十一面観音像が伝来されている。

高島市の北部地域に位置する仲仙寺も、泰澄の開いた白山の流れを汲む仏教文化圏内に含まれていたといえる。

参考資料≪滋賀文化財教室−マキノ町の文化財、近江山の文化財、他≫

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