滋賀県高島市 日吉神社
Hiyoshijinja,Takashima city,Shiga
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Mar.2012 中山辰夫
高島市勝野2166
祭神:大山咋命(おおやまくいのみこと)
JR近江高島駅の四方500mの山手にある。
大溝祭(滋賀県選択無形民俗文化財)は日吉神社の初夏の例大祭である。
歴史は古く、比叡山延暦寺三千坊中の有力寺院であり「高島七ケ寺」の一つであった「長法寺」
が嘉祥2年(849)に創建された時、その鎮守の神として坂本の日吉神社から勧請して祀られた。
長宝寺廃絶後は石垣村の産土神として崇め、土豪高島氏が長法寺山に城郭を築いた時、社殿を修復
し存続した。が、高島氏が明智光秀軍により滅ぼされると荒廃した。
その後、一時は上石垣村のわずかな氏子で神社を支え、祭祀を継続してきた時期があった。
分部光信が大溝に入封し、城下町が整備され、日吉神社の復興も大いに図られた。
明治2年(1869)に日吉神社と改めた。
鳥居を過ぎると右手に社務所がある。
参道は100余段の石段である。登る途中、一両(花)?を見つける。
拝殿
入母屋造 間口一間三尺 奥行二間四尺
中門
本殿
三間社流造 間口一間三尺 奥行一間
絵馬殿
大溝祭
滋賀県選択無形民俗文化財
祭日: 5月3〜5日
祭礼は、3日が宵宮・4日が本祭りで、華麗な5基の曳山が出される。
分部氏が大溝に入封し、城下町を整備し、日吉神社の復興が図られた。石垣村の氏神であった日吉神社を
大溝の鎮守として祀ることになった。
大溝祭の起源は、分部氏の前任地である伊勢上野の曳山祭を移したとも伝えられるが、江戸時代中期には
行われていたとされる。
当初は、「すすき」や「松」を飾り担ぎ回したもので、能や浄瑠璃などの伝統芸能から取り入れた人形を飾った
時代や、「にわか」という即席の芝居を披露した時代もあった。
近世に入り大溝城下の発展により向上した町人の経済的な余裕が内容を高めたともいえる。
5基に曳山は、もともと白木造りであったが、明治39年(1906)頃に金箔や漆塗が施され、豪華な曳山となった。
祭りには、五基の曳山(勇 いさみ)(寶 たから)(巴 ともえ)(湊 みなと)(龍 りょう)が出され彩る。
宵宮では提灯に点火された曳山が各町内を一巡する。本祭では、各町内の山蔵を出発した曳山が総門前に
勢ぞろいし、日吉神社の馬場へ移動する。到着すると神輿が拝殿より担ぎ降ろされ、城下町への渡御が始まる。
参考資料≪高島町の歴史、他≫
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