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滋賀県高島市 海津天神社

Kaizutenjinja,Takashima city,Shiga

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Apr.2012 中山辰夫

高島市マキノ町海津1253

祭神:菅原道真

JRマキノ駅から約1km、山崎山の南麓にある。

広い社域に松やスギの古木が鬱蒼と茂り、本殿を中心に十数棟の社殿が立ち並ぶ。

拝殿

入母屋造 間口三間 奥行三間

海津天神社正面には三社が祀られ、中央が天神社、向かって右が大鍬社(祭神:大己貴命)

左は小野社(祭神:天押足彦命・旧山王社)の三社が鎮座している。

天神社

一間社流造 間口一間三尺 奥行一間二尺

 

大鍬社

東浜の氏神

小野社

西浜の氏神

貴船神社

社宝

鎌倉時代から室町時代、江戸初期にかけての文化財が多く残されている。

紺紙金字法華経 開結共 十巻

国重要文化財

平安~鎌倉時代

法華経ハ巻と無量義経、観音賢経の二巻、あわせて十巻一具として伝来している。

本経の他に、装飾法華経開結共十巻(国重要文化財)や紺紙金字心経并阿弥陀経一巻も

伝来している。本社の来歴を知る上で貴重な作品である。

鰐口

南北朝時代:康永2年(1343)の銘

銅鋳造 面径27.5cm 

天神図

室町~桃山時代

紙本著色 94.5cm×37.0cm

渡唐天神図 一幅

室町時代

紙本淡彩 51.2cm×26.7cm

天神は日本固有の信仰より生まれたもので、古来よりの怨霊信仰のうえに菅原道真の霊を関係づけ、

この怨霊を鎮めるために道真を祭神として京都北野、太宰府などに天神社が造られた。

その像容は、古くは怒りをこめた怒り天神の姿であったが、のちは温雅なものとなっていった。

この図は、道真が東福寺の聖一国師の勧めで入宋し、径山の仏鑑禅師に参禅し、金襴の袈裟を授

けられたという伝説にもとずいて描かれた天神図である。

唐服のふちどり部と梅花に淡い赤色を施す。

絵馬 狩野山楽筆 二面 江戸時代

滋賀県指定文化財

板絵著色 (白馬 64.7×75.0cm)(茶馬 65.9cm×76.2cm)

室町時代から江戸初期にかけて描かれた数多くの天神像や絵馬などの文化財からが数多くあることは

この時代の天神信仰の隆盛をあわすと共に、時の支配者、守護大名、代官をはじめ、海津東浜・西浜

の承認は勿論広く村民の崇敬を受け、当社への信任の厚さがうかがえる。

≪参考≫

由緒

菅原道真が加賀守となって任地に赴く時、この地にとどまり、真筆の経巻・書画を社納した。

往古は社領百三十石の勅願所であったが織田信長の兵火に逢い社殿楼門等焼失し社領は没収せられた。

其の後朝廷より毎年正月5月9月の三季に国家安全の祈祷を仰せつけられ、その都度大麻を献上し大典待御局より

初穂金弐両づゝ計六両毎年奉納せられ、明治維新に至り宮内省取次となり明治5年廃止となる。

豊臣秀吉より天正13年11月に七石、翌14年1月16日に五石、計十二石寄進あり、又三代将軍家光公より朱印十石を賜り

境内山林竹木諸役を免除せられ、以後歴代御朱印を賜る。

五代将軍家綱が江戸西丸に御移徒の際、安藤右京進松平出雲守取次で国家安全の祈祷仰せつけられ大麻を献上し

翌年自服を拝領する。

旧領主柳沢甲斐守より領分高島浅井両群安全の祈祷を命ぜられ、それぞれ毎年大麻を収めた。

天保5年7月柳沢侯より武運長久五穀成就の祈祷を乞い、初穂金五両を奉納される。

加賀藩前田侯は此地通行の際は必ず当神社に参詣し、其の都度白銀5枚を奉納し天治元年7月前田慶寧病気の際は

其の全快を祈らしめ初穂白銀5枚を奉納された。

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