JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県高島市 上御殿遺跡

Kamigoten iseki,Takashima city,Shiga

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Sep. 2012 中山辰夫

高島市安曇川町三尾里

■■御殿川

古代、安曇川の地名の起こりにもなった安曇(あずみ)族が日本海、若狭を経て近江に入り、主にこの地を定住に選んだ。古墳時代に入ると継体天皇の父、彦主人王(ひこうし)が三尾に別業(なりどころ)を構え、ここで継体天皇をもうけたといわれる。現在、田中神社から泰山寺野へ上がる途中にある王塚は彦主人王の陵墓とされ、三尾里には継体天皇の「へその緒」を埋めた塚と伝えられる胞衣塚(えな)がある。

とりわけ三尾塚の胞衣塚の所在に宮址とも伝えられる「御殿」という地名があり、上御殿・中御殿・下御殿の字名が残っている。胞衣塚の南を流れるのが青井川でその上流は「御殿川」と呼ばれている。集落では「ごてん」を訛って「ごんでん」とも「ごんで」とも呼んでいる。御殿川は水量も多く、古くから流域圃場の灌漑用水に不可欠の河川になっている。

公益財団法人滋賀県文化財保護協会が、滋賀県教育委員会と滋賀県土木交通部からの依頼により鴨川広域基幹河川改修事業(青井川)に伴う天神畑・上御殿遺跡の発掘調査を平成20年から実施している。

その調査成果の発表が、現地説明も含め数回実施された。

その内容である、新聞記者用資料と現地説明会資料をまとめる。滋賀県文化財協会発行の資料が全てであるが、配列に於いて一部改編を行った。

堀出された遺物は祭祀に用いられるもののようであるが、そこからは多くの史実が読みとれるようだ。

■■資料—3双環柄頭短剣の鋳型について 平成25年8月11日 現地説明会資料

■■資料−2 滋賀県最多の馬形代と国内発の墨書人名土器について 平成25年7月10日 記者資料

■■資料—1 石釧(いしくしろ)について 平成25年2月4日 記者資料

■■■上御殿遺跡現場(青井川)

JR湖西線安曇川駅から徒歩約20分の所、青井川沿いの田んぼが現場である。

■遠景

■発掘現場

■■双環柄頭短剣の鋳型現地説明会

■資料

■説明会場

当日は約700人が訪れた

■展示

近江文化通信

■■滋賀県最多の馬形代と国内発の墨書人名土器につい

■人形代

■墨書人名土器

■おうみ文化通信

■■石釧(いしくしろ)について

この周囲一帯の調査の成果が待たれる。

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