滋賀県高島市 近藤重蔵墓所
Kondojuzo bosho,Takashima city,Shiga
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Mar.2012 中山辰夫
高島市勝野
墓地は園光禅寺の塔頭の一つである瑞雪禅院の裏山の墓地にある。
結構な高台にあり、昔は満々と水を湛えたびわこがを眺望することが出来たと思われる。重蔵はこの裏山を愛した。
墓は高島市の指定史跡である。
重蔵は明和8年(1771)江戸で幕府与力の子として生まれ、松前蝦夷地御用役を命じられ千島方面を
5年にわたり探検。
晩年子どもの罪に連座して大溝藩預けとなり、後に赦免され、文政12年(1829)当地で没した。
明治政府からは北方探検の功により、明治政府からは正五位が贈られた。
寛政12年(1800)、高田嘉平兵衛とともにエトロフに渡り、「日本恵登呂府」とかいた標柱を立てると
ともに島の開発に尽力した。
又、日本とロシアの国境は「エトロフ島」と「ウルップ島」の間にあるという認識が暗黙の内にでき
上がり、これが日露通商条約に反映された。
下田条約の取り決めは重蔵らの島での活躍の実績が歴史的事実として考慮された結果とされる。
重蔵の詩碑
昭和62年瑞雪院の本堂前に建てられた。重蔵の詩の一節「鴻溝城裡●遷客」が刻まれている。
重蔵は伊能忠敬とも親しく交流していた。伊能忠敬の関係書類は国宝に指定されている。
その中には、重蔵から忠敬宛の書簡も含まれている。
重蔵関係資料
瑞雪禅院
臨済宗東福寺派 俗に黒門寺といわれ、分部光嘉が慶長13年(1608)夫人のために建立し
元和5年(1619)に当地に移る。
境内に江戸時代後期の儒者・探検家として知られる近藤重蔵の墓所がある。
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