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滋賀県高島市 邇々杵神社

Ninigijinja,Takashima city,Shiga

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Nov.16,2015 中山辰夫

滋賀県高島市木村宮前坊

全景

     

寛文地震により「宮塔寺在家」が残らず損傷、領主朽木智綱が1664(寛文4)年再造立を命じたという。

邇々杵神社は宮前坊の村の中央にある広い境内を持つ神社である。古くは朽木大宮大権現と称し、朽木総産土神であったが、佐々木氏の祖神を祀ることから、1875(明治8)年に河内社となった。その後、境内社の邇々杵尊・十禅師社を主殿として今の社号に改め河内神社を境内社とした。

邇々杵本殿

 

一間社流造 銅板葺 1664(寛文4年 棟札) 河内神社の南にある。やや規模の大きい一間社流造の社殿である。江戸時代の古い遺構。

河内神社(大宮)

     

三間社流造 向拝一間 銅板葺 近世以前は河内社が本殿であった。

神宮寺(天台宗)

社殿の東隣にある。神宮寺は相応を開山とし、859(貞観元)年に造営された。邇々杵神社の奥之院と称する。古代からの信仰が篤い。

多宝塔 

神宮寺の奥に朽木神宮寺宝塔という江戸時代の多宝塔がある。神宮寺の遺構である。

塔の造営は神宮寺と同じ859(貞観元)年。その後、荒廃・破損し、1842(天保13)年に修復・再建された銅板葺。女性的な美しさを感じる多宝塔である。

大工は当村の片岡太郎左衛門 幕末の朽木の経済力・技術力を知ることのできる貴重な遺構である。

全景

        

上重は四手先組物、軒は扁垂木。 下重の組物は出組、軒は二軒繁垂木

  

多宝塔は擬宝珠高欄を付した縁をめぐらし、中央間浅唐戸、脇間連子窓、中備えは中央間蟇股、脇間蓑束

   

軒の反りが美しい上重、軒の扇垂木も美しい。組物は四手先、高欄は平三斗で支える。

  

相輪は型の通りで美しい。宝鎖に風鐸を下げる。

 

柿の大木と塔

    

参考資料≪朽木村史≫

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