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滋賀県高島市 朽木谷

Kutsuki,Takashima city,Shiga

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Nov.16,2015 中山辰夫

滋賀県高島市朽木

朽木地域は、高島市の南西部に位置し市域面積のおよそ32%をしめる。北は福井市、西は京都府に接し、周囲を500〜900m級の山々に囲まれた静かな山郷である。

朽木と近郊市町村

 

その90%を越える大部分は山林である。この山林から流れ出す豊富な水資源は、安曇川とその支流である北川、麻生川、針畑川などの清流を育む。

安曇川は湖西一の流域面積を誇る大きな川で、中流にはV字型の渓谷となる。これら河川の両岸には河岸段丘が多く、集落や交通路がこの段丘上につくられている。

朽木谷と安曇川沿いに存在する河岸段丘

  

若街道「鯖の道」の3ル〜トと国道367号線

 

京都方面より朽木を目指す途中の景観

                

朽木は十割そばと鯖すし

  

≪参考≫

朽木は、土地柄、人々は林業を主な生業とし、「朽木の杣」と称され、都への木材の供給地として、また木地師の里として名を成してきた。

この地は古くから若狭と京都を結ぶ、いわゆる『鯖の道』が縦断し、京都の『奥座敷』的な役割も果たしてきた。

朽木地域が史上で特筆されるのは、室町幕府末期、京都での騒乱を避けるために室町幕府の12代・13代足利将軍が朽木荘に滞在し政務を執ったこと。

および1570(元亀元)年織田信長の朝倉攻めにおいて、浅井長政の離反により危機に陥った際、時の領主、朽木元綱の手厚い対応により、朽木街道を抜け京都へ無地撤退できたことである。

朽木谷の領主であった朽木氏は、鎌倉時代から明治維新に至る約600年間、時の政権から領地を安堵され、『お国変え』もなく同じ場所に居続けられた事例としては、他には薩摩の島津氏だけとおもわれる。この間の通史は、朽木家に残された『朽木文書』が明らかにする。

豊かな山間の中に、往古に花開いた都の文化や維新までの間の激動の歴史が埋もれている−この地域の魅力は尽きない。

写真引用は「朽木村史」より

丸八百貨店

滋賀県高島市朽木市場

丸八百貨店は国登録文化財。訪れた日は生憎休業日で店内には入れなかった。

旧朽木村市場の中心部に建つ。1933(昭和8)年築、木造3階建て、寄棟造、スレート葺、銅板葺、1943(昭和18)年増築。

現在1階は村営書店と無料休憩所ほか、特産品の販売、喫茶、鯖街道の資料展示、3階は和室や展示用ギャラリー。

     

昭和8年頃個人商店として建てられ、1階では雑貨、本、新聞、下駄などが、2階では呉服が売られていた。

持ち主の大鉢捨松氏は初め市場で下駄屋を営んでいた。下駄を京都に卸す商売が成功し、その財で丸八を建てたとされる。

名称については、京都の大丸百貨店を模したという説や、当時百貨店に「丸」を付けるのが流行っていたので大鉢の鉢を丸に変えて「丸八」とした説などが伝わっている。1937(昭和12)年、屋上に防空監視哨が設置された。これの移転を機に3階が増築された。平成の初めに閉店、朽木村が買い取った。

丸八百貨店の付近

朽木市場

丸八百貨店のある朽木市場地区は、むかし朽木氏の城下町として発展し、その後は陣屋町として整備され、小浜から京都へ通じる若狭街道(鯖街道・鯖の道)の主要な中継地として、商家やさまざまな業者の往来でにぎわった。

その名残が今に残る。

    

水路と川戸(かわと) 分水塔は市場に7か所ある。

     

旧商家・熊瀬家住宅

     

熊瀬家は酒作りや醤油作りを本業とする一方で、藩の御用商人としての保護を受け、幅広い商業活動を行っていた。

旧郵便局舎

    

1938(昭和13)年に建築され、ヴォーリズの設計とされる。1986(昭和61)年まで使われた。建築様式が洋風でモダンな建物として親しまれた。隣は古民家。

鍵曲(かいまがり)

 

城下町特有の道路の構造で、敵兵が一気に城へ攻め寄せるのを防ぐ目的で、地区内に何カ所も作られた。

参考資料≪朽木村史≫

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