滋賀県高島市 水尾神社
Miojinja,Takashima city,Shiga
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April 3, 2021 野崎順次 source movie
滋賀県高島市拝戸716
水尾神社
(Miojinja Shrine, Takashima City, Shiga Pref.)
鎌倉時代石燈篭および石塔、磐座、巨石庭園のある継体天皇ゆかりの式内社である。
祭神 磐衝別命(いわつくわけのみこと) 比咩神(ひめがみ)
本社創建は不詳で有るが既に天平神護元年(七六五)には神戸十三戸の奉充があった延喜式内の古社で東山道の官幣大社五座の中の二座(河南社、河北社)を占め、社域は現在より相当広大であった。本殿(元河南社)には垂仁天皇の皇子である磐衝別命を祀り河北社(現在は本殿脇の小祠)には継体天皇生母振姫を祀っている。
磐衝別命は此の高島の知を本拠として栄えた三尾君の祖であることは古事記日本書紀に明
らかである。姫宮である振姫は高島の別業高島宮に居られた彦主人王の妃で越前三国より迎えられ、当社拝殿を産所として三児を出産されたと伝えられる。此の皇子の一人男大迹王が後の
継体天皇となる。江戸期には八代将軍吉宗が神輿一基を奉納、九代家重公は社殿を再建、共に現存している。境内には鎌倉中期の石燈楼や供養塔の残欠が数多く残っている。又当社背後の杣山(三尾山)は古来より歌枕としても有名で万葉集をはじめ数々の歌が詠
まれている。
五月雨になほ川音も高島屋
水尾の杣山雲もなかれむ
草庵集 頓阿
宮司謹書
(現地説明板)
由緒書、現地説明板など
一の鳥居から二の鳥居へ
悪霊を祓う霊石といわれる「祓岩(はらいいわ)」
どっしりと荘厳な磐座
受付から正面に進む。
本殿は一間社流造。本殿前には中門を挟んで拝殿が建てられている。拝殿は入母屋造。
水尾神社石燈籠、鎌倉時代中期 花崗岩、高さ248cm
中門横の六角形の石燈籠。火袋は、四天王立像が刻まれている。基礎上端は反花、側面は輪郭を巻き格狭間をつくる。
陰陽石
庭園の前に古い層塔が三基並んでいる。
層塔 塔身 鎌倉中期 仁治二年(1241)花崗岩
塔身は、近江の層塔で最古、仁治二年(1241)の紀年銘が入る。 塔身の四方仏がよい。
石塔残欠
宝篋印塔の基礎、層塔の塔身など寄せ集めの古石塔。塔身に舟形を彫りくぼめ、蓮座上に四方仏を刻む。基礎上端はは二段、側面は四面とも輪郭を巻き、内に格狭間をつくり、宝瓶三茎蓮を陽刻する。
石塔残欠。何の石塔か分からないが、宝篋印塔の基礎と見られる部分に刻まれた近江宝瓶三茎蓮がとりわけ美しい。
石造宝塔(向かって左の方)
笠から上は宝篋印塔。塔身に扉型を陽刻している。部分部分は立派なもの。
水尾庭園 平成八年十二月吉日竣工
寄贈 設計施工 株式会社前河建設 代表取締役 前河一男
参考資料
河合哲雄「石仏と石塔!」ウェブサイト
Aug.8, 2018 中山辰夫
滋賀県 高島市下拝戸716
JR淡海高島駅から西へ約3kmの下拝戸集落の南側、水尾山麓にある。765(天平神護元)年の創建と伝えられる式内社の古社。
本社は延喜式内の名神大社(2坐)で、『延喜式』の神名帳に「水尾神社二座並名神大月次新嘗」とある。
案内
祭神:磐衝別命(垂仁天皇の第十皇子) 比咩神(継体天皇の生母振姫)の2柱
社域は広大であったようで、音羽の大炊神社は、炊殿跡、安曇川町の今宮神社、太田神社は御旅所の跡と伝えられ繁栄を物語っている。
古来歌枕として有名な背後の三尾山には、拝戸古墳群があり、三尾君の祖の墳墓と伝えられる皇子塚がある。
安曇川以南一帯が高島郡の「三尾」であったと推定され、三尾里中心に継体天王にm¥まつわる伝承や遺跡が多く残されている。
一の鳥居
二の鳥居を過ぎると左に神饌所があり、社務所の前の広場には大きな神石が座り、境内は神秘的な雰囲気に包まれている。
境内
大岩は「祓石」で、口のような裂け目があり、ここに古いお札を納めたり、貨幣を挟んで祈願すると、災いや悪しきことを祓ってくえるといわれる。
拝殿
入母屋造 間口三間 奥行三間 床がない
本殿
一間社流造 間口二間 奥行二間 一段高い中門の中に建つ
境内社・八幡神社
石灯籠 鎌倉時代の作
高さ約250cm、基礎の上に単弁反り花、竿は珍しく六角柱で三つの節とも連球文帯を巻く丁寧なもので、火袋の壁面に四天王が陽刻されている
拝戸古墳
境内裏手の山中には6世紀の群集墳である拝戸古墳群が残っており、うち皇子塚は三尾君祖の墳墓であると伝える。、注連縄の巻かれたひときわ大きな石が鎮座している。石の前に案内板があるが、
水尾庭園平成8年完成純和風庭園
約6000㎡という広い境内には、山の斜面を利用して造られた見事な和風庭園が広がっている。平成8年(1996)12月に完成された。
三尾氏の供養塔と伝わる石塔や、神が降臨したといわれる磐座がある。
大小2つの池を配し、境内より出た石から造成されたもの。
禅智院
水尾神社の西方山手にある。臨済宗寺院。1280(弘安3)年宗尊親王の姫君禅智院が開基。
後世も宮家や公家の姫君が寺に入った。の出尼御所と呼ばれる。室町時代には広大な寺域を有志、千余石の寺領があった。が度重なる火災で伽藍や記録を焼失した。現在は山門・本堂・庫裏をのこすのみ。
三尾中山(みおのなかやま)
音羽・拝戸領部落の西の裏山に比定される。この山の付近は、北陸諸道と畿内を結ぶ西近江路、若狭を結ぶ若狭路とが分岐する辺りで、三尾駅・勝野駅にも近い山である。
都にその名が知れて、歌枕としても多くの唄に詠まれた。
高島や 三尾の杣山 あたたえて 氷も雪も ふかき冬かな 正三位家隆
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