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滋賀県高島市 大荒比古神社 七川祭

Oarahikojinja Shichikawamatsuri,Takashima city,Shiga

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May 4,2018 中山辰夫

滋賀県高島市新旭町安井川844

JR新旭駅を挟んで、琵琶湖側の針江地区周辺は『カバタ』で知られている。地下20m程度の深さに鉄管を打込むことで安定した豊かな地下水が自噴する。

生活用水として現在も集落の半数以上の住宅で利用されている。大荒比古神社は山側に所在する。

大荒比古神社はJR新旭駅からは約2.5㎞、井ノ口集落の北端にある。訪れたのは七川祭の日。神社の周辺は祭り気分で賑わっていた。

所在

  

井ノ口・安養寺・河原市・北畑・新庄・堀川・平井・十八川の旧8カ村の氏神で、旧郷社・延喜式内社といわれる。

祭神:豊城入彦命(とよきいりひこのみこと) 大荒田別命(おおあらだあけのみこと) 配祀神は少彦名命・仁徳天皇・宇多天皇・敦実親王

豊城入彦命は崇神天皇の皇子で、その四世孫が大荒田別命、大荒田別命は大野氏の祖。大野氏は現宮司の城戸氏の祖にあたる。

神社沿革

 

創建年次は不明、1235(嘉禎元)年当地の領主佐々木高信が累代奉祀してきた四神を勧請して河内大明神とし、大荒比古神社を地主権現として共に祀った。佐々木源氏の流れを汲む高島七頭と呼ばれる武家達の氏神。もとは用水の紙ともいわれる。

天正年中(1573〜92)兵火により社殿焼失、その後再建。1646(正保3)年若狭小浜藩主酒井氏が社殿及び神輿を修理、以後小浜藩主の崇敬をうけた。現在の社殿は1810(文化7)年に建立。1914(大正3)年現在地に移り改築された。

鳥居参道

井の口集落から続く。

        

参道の長さは約300m、祭りの準備も進む。

境内付近

境内入口には、旧8カ村の大きな幟がたなびく。

     

境内

      

拝殿

        

入母屋造 間口三間三尺 奥行三間三尺

本殿

       

三間社流造 間口三間 奥行二間

本殿細部

         

神輿 江戸時代の作 今年の祭りに

   

七川祭(しちかわまつり) 

佐々木源氏は、一族の守り神として大荒比古神社を崇敬した。出陣の際には神前に戦勝を祈り、凱旋しては神前に戦勝を感謝した。

この時、12本の的と12頭の流鏑馬を神前に奉納したのが、今日では毎年5月4日に行われる「七川祭」の始まりであると言われている。

この「七川祭」は、昭和34年に滋賀県無形民俗文化財に指定された。

現在も流鏑馬、奴振り、競走馬、鉾、鉦、太鼓行列、神輿渡御等が行われている。

     

湖西地方最大の馬祭り。祭に起源は約1260年前にある。 滋賀県選択無形民俗文化財の指定を受けている。

   

祭礼は毎年5月4日。関係大字の回り持ちで、若者に受け継がれ、古式にならって的練り(まとねり)、樽振舞、素走り、流鏑馬が盛大に行われる。

特に、的練り・流鏑馬の行事は、佐々木氏が宇治川合戦の勝利を報告して、流鏑馬12騎と的12基を献納したのが始まりとされる。

祭礼は、周囲の旧8ケ村が毎年輪番で、奴振り12名、樽振り2名と警固2名を出して繰り広げられ、奴姿の若者が神社まで練り歩く。

流鏑馬は神社前の馬場で、古式にのっとり勇壮に行われる。村を挙げての協力で今日まで続いている。

流鏑馬に先立ち、馬の宮入り行列を導いくはんてん姿の少年12人は、ひし形の矢の的を付けた長い青竹を持ち、最後尾に酒樽を担いだ2人の「樽振り」が踊り、その2つを含め「奴振り」という。

祭りの見どころは12基の的練り、そして聞きどころは2基の樽振りの「警句」。 もう一つの見どころは、馬場を勢いよく駆け上がり的を射抜く「流鏑馬」。神社境内の参道を挟んで設けられた、観客席の前を疾駆する姿は圧巻。

祭りは本殿での正式参拝と、馬場中心の神賑わい行事の二本立て。

神事は午前中に執り行われた。お下がりが各村の代表に渡される。

    

旧8ケ村の幟

    

祭りの中心となる参道には手ずくりの桟敷−8村分−が設けてある。 一区切り一万円とか。地元民が買い上げる。これも貴重な祭用の財源である。

  

Am11:00過ぎ、いよいよ「渡り」が始まる。 2018(平成30)年度 大荒比古神社大祭 渡り次第に従って行われる。 当番:元 十八川村(十八川区)

渡御順序

1 唐丁 ② 的警固 ③ 的練 ④ 流鏑馬警固 ⑤ 素走 ⑥ 弓持 ⑦ 流鏑馬 ⑧ 鉾警固 ⑨ 傘鉾 ⑩ 役馬

各村の傘鉾・役馬が集合し、井口橋からスタートする。井ノ口広場で「神恩供の札練り」を若者が披露する。この練りは竹を倒しつつ踊る。

               

白い傘鉾は 中心となる井ノ口村のもので、他の村は赤の傘。

札練りが終わると行列をなして大宮馬場尻へ向かう。

       

大宮馬場尻で昼食・休憩となる。各村のテントに分かれて集まる。

行列に参加の意匠や道具、馬の背に佐々木家紋である「目結紋(めゆいもん」が見られる。小道具は全て手作り。馬の飾りも貴重で、歴史が窺える。

        

本番の始まり

    

馬場の「一の的」と「二の的」間で行われる。練りは「普通練り」である。いわゆる「的練り」で定番の唄をうたう。

                 

「樽振り」

   

傘鉾行列の最後尾にいて掛声を出し続ける。樽振りの「警句」はほとんどがアドリブで、毎年聞く者の笑いを誘う人気者。

二の的と三の的の間で行われる「大宮の練り」

                

行事は大宮石段下に移る。周囲は人の山

 

神御供の式

    

宮司、禰宜、各村の代表が並ぶ。当番村野代表が挨拶し、にごり酒が供される。流鏑馬にも、役馬にも濁り酒が供される。

流鏑馬・役馬の神事

       

流鏑馬は宮参りの時、尻を上げ、弓を持つなど独特の所作をして神に挨拶をする。この所作は「弓の手」の神事といわれる。衣装は鎌倉時代のもの

宮入

     

競馬奉納

300mの馬場と素走り 

      

社境内の参道に設けられた桟敷席の前を馬が疾駆する姿は圧巻。昔は100頭の馬が登場したことがあったとか。

「素走り)は、カミシモを身に付けた人が流鏑馬の先駆けの露払いである。60cmほどの長さの青竹を扱って馬場を走り抜ける。

流鏑馬(二頭)の競馬

       

今年の流鏑馬は小笠原流の人。かっては村の若者があたった。この神社独特の衣装を身に着けている。

神としての振る舞いをし、行儀中は土に足を付けない。「カラチ」を持った人が警護する。

役馬(7頭)の競馬−各村の人が乗る。矢は打たない。

        

奉納は4回繰り返し行われる

     

終わるたびに戻るが、流鏑馬は乗馬して戻る。

「当たり的」はお守りとされる。

    

最後に行われる練りが「扇練り」。二の的と三の的の間で行われる。的や樽の代わりに扇を持ち、祭の無事に礼を込めて舞う。

     

神輿御渡り

子ども神輿もあります。江戸時代につくられた神輿。 神輿渡の様子はカットしました。

「カラチ」

古くは馬が100頭も参加していたとか。馬をそろえる小道具に青竹が使われた。その名残か、村を出る時に青竹に酒を入れておき、道中で振るまっい、露払いとしている。後は、竹の先を割って、場内整理の小道具としている。

 

振る舞い

  

旧8ケ村の世帯数は現在約1400余り。減る傾向にある。祭の軸になる井ノ口は80世帯とか。老齢化で危機感が一杯とか。

旧8ケ村が交代で8年毎に担当する。8年かけて経費を積み立てると聞く。

4月初めから1か月をかけて練りの練習を行う。在住の若者が少なくなり、祭りの継続が年々危ぶまれている。

祭りには多くの村人が参加して成立っており、幼い子らの参加姿が多く見受けられ、救われる。

「オラが村の祭り」と意気込む村の人たちの執拗な熱気が支えになっている様子が分かる。

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