滋賀県高島市 大崎寺
Osakidera,Takashima city,Shiga
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General |
海津全域を含める | |
Nature |
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Water | ||
Flower | さくら もみじ | |
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Food |
Nov.2011 中山辰夫
高島市マキノ海津128
真言宗
本尊:十一面千手観音立像
JRマキノ駅から当方へ湖岸に沿って約3.5km。
湖岸道路(国道303号線)の右手に千本桜の並木が続き、青く澄み切った湖が面し、義経隠れ岩・天狗岩などの奇岩がある。
左手は山が湖に接近し、大崎寺付近では、老松が湖面に影を落としている。
この付近は昭和25年(1950)国定公園に指定された琵琶湖八景の一つで、「暁霧(ぎょうむ),海津大崎の岩礁」と詠われた
湖西随一の名勝である。
国道303号線の第一トンネルの手前の石段を上がると、「石立(いしだて)の山をしるべに法(のり)の道、仰ぐに近い大崎の寺」
と御詠歌に詠われた大崎寺の社殿がある。
本堂
本堂は朱塗である。昭和になって京都の清和院より移したものといわれる。昭和に改築。
この本堂は方三間堂を基調とした滋賀では例の少ない真言宗仏堂で、様式上は18世紀前期の作と推定されている。
桁行三間 梁間三間 入母屋造 向拝三間 本瓦葺
向拝
内部
本堂には室町時代の本尊十一面千手観音立像、鎌倉・室町時代の脇仏毘沙門天立像・不動明王立像が安置される。
阿弥陀堂
血痕のある板を天井とした血天井の阿弥陀堂(宝形造)といわれる。
豊臣秀吉が諸国仏閣復興の際,安土城の血痕のついた城材を使って大崎寺を修復したとされる。その後、本堂が改築され
使われていた用材は昭和41年(1966)阿弥陀堂改築の際、その天井に使われた。今も安土城戦没者の霊を慰めている。
本尊は阿弥陀如来立像である
毘沙門天立像
由来
大宝2年(702)泰澄大師が開基し、平安時代に遣唐副使・蔵人頭・参議となった小野篁(たかむら)が中興したという。
養老6年(722)創建の最勝寺や、今津の酒波寺とともに藤原氏の氏寺興福寺の末寺として栄えた。三十九僧房があったが
鎌倉・室町時代に衰退した。
嘉吉2年に海津の宝幢寺(ほうどうじ)が再興されたころ、宝幢寺の末寺になり現在に至っている。
戦国時代に荒廃した。
近江湖(うみ)の辺(べ)の道
阿弥陀堂を過ぎて山道を奥にたどる。途中廃寺跡やさびれた祠が立つ傍を通る。琵琶湖が見える辺りから下り坂となり湖辺
に出る。
この辺りは湖辺を散策する“近江湖の辺の道”の一部である。景色が素晴しい。
大きな岩穴の中に波切不動明王を祀っている。
義経の隠れ岩
謡曲「安宅」や「義経記」に出てくる義経主従が文治2年(1186)東北へ都落ちする時、大津から海津へ着船したときにしばらく
隠れたとされる岩である。
大崎寺から約700mの海津寄りの湖岸にある。またこの近くは有名な”大崎の桜“の中心地域である。
近江湖(うみ)の辺(べ)の道
この歩道は、志賀町近江舞子集団施設地区と近江八幡集団施設地区を北まわりに結ぶ約140キロの遊歩道で、湖岸緑地等
を連絡し、琵琶湖の優れた景勝地や沿岸の観光地、文化財など、恵まれた自然環境や価値ある文化遺産と触れあうことができ
る自然歩道。
『近江湖の辺の道』の名前とシンボルマークは、この遊歩道が末永く親しみ、愛される施設となるように広く一般から募って決めら
れた。
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