滋賀県高島市 乙女ケ池
Otomegaike,Takashima city,Shiga
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Feb.21,2021 野崎順次 source movie
滋賀県高島市勝野
内湖・乙女ヶ池は、かつて表の湖(琵琶湖)に対して、ウラウミ、セドウミ(セド=背戸)などと呼ばれていました。
万葉の時代は「香取の海」と呼ばれ、山の麓まで琵琶湖の入り江でした。
藤原仲麻呂(恵美押勝)が挙兵に失敗し捕らえられ斬罪されたと伝えられる「勝野の鬼江」もこの乙女ヶ池の辺りであろうとされており、戦国時代には信長の命により築かれた大溝城の外濠として利用されたりと、幾多の歴史を秘めた場所です。
昭和30年代、淡水真珠の養殖場として利用されることとなった際に「イメージのよい名前を」ということから現在の「乙女ヶ池」に改名されました。
現在は県の園地公園となり、びわバス・こい・ふな・鱒など淡水魚の宝庫として釣り人や散策を楽しむ人に親しまれています。
朝の連続ドラマ小説「ごちそうさん」のロケ地としても使われ、主人公の二人が結婚を誓い合うシーンがまさにこの橋の上で撮影されました。今、縁結びスポットしてもひそかに話題になっています。
(近江高島大溝の水辺散歩サイトより)
白鬚神社からぶらぶら歩いてきた。
乙女ヶ池の現地説明板
東から西へ太鼓橋を渡る。
西岸を北上する。
Mar.2012 中山辰夫
高島市勝野
公立高島病院前の南側より打下地区西側一帯の内湖。幅約100m×奥行約500m
本丸の東・南に大きく広がる乙女ヶ池(おとめがいけ)は、琵琶湖の内湖であるが、古地図によると
大溝城は城堀を内堀とし乙女ヶ池を外堀とする水城であり、「洞湖(こうこ)城」とも呼ばれた。
乙女ケ池の周囲には散策路が設けてあり幅3mの板橋が水面を曲折しながら巡っている。
周囲には柳の木が植わり、太鼓橋、そして町並みと景観が素晴しい。釣りの場所としても賑わう。
水の出入
琵琶湖と乙女ケ池を結ぶ唯一の水門 水は朝方に池に入って、夕方出てゆく。
前方の山中に見える白い建物
打下の山麓に造られた打下上水道排水施設。
この工事の際に打下古墳が発見された。
「参考」
この内湖は、天平宝字8年(764)「恵美押勝の乱」の戦場となり、敗れた押勝(藤原仲麻呂)とその一族郎党が
捕らえられて処刑された「勝野の鬼江」はこの地と推定されている。
叉、背後の山中には壬申の乱(672)の際、近江朝(大友皇子軍)の基地であった三尾城の存在が考えられるなど
日本の古代史上の二大戦乱の場となった所である。
又この水域は、古代、びわ湖舟運に欠くことのできない天然の良津であった。近くに続く勝野津・三尾(水尾崎)
真長浦・香取浦が歌枕として「万葉集」に詠まれている。
大津を船出した旅人は勝野津で下船、ここから陸路北陸路へ向かった。古くから交通の要衝であった。
中世の戦乱期、当地の武将たちはこの山中に城や砦を築いて領国の守りとした。
近世に入ると、軍事上この地を重視した織田信長は、甥の信澄に大溝城を築かせて城主として配した。
ここは叉、びわ湖に通じる大溝城の外濠としての務めを果たしたのである。
昔は洞海と呼ばれたが、昭和初期、淡水真珠の養殖場として利用された頃から「乙女ヶ池」と呼ぶようになった。
この池は、県有施設として平成3年度から平成5年度の3ケ年で水景整備され、釣人や、歴史とロマンを求めて
ここを訪ねる人が多い。
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