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滋賀県高島市 白髭神社

Shirahigejinja,Takashima city,Shiga

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大津市鵜川215 白鬚神社本殿 重文 近世以前/神社 桃山 慶長8(1603) 桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺 棟札2枚、こけら板5枚 19380704


February 21, 2021 野崎順次  source movie

滋賀県高島市宇川215

御祭神 猿田彦大神
御神紋 左三ツ巴

垂仁天皇25年皇女倭姫命により社殿を再建され、天武天皇白鳳3年勅旨を以て、比良明神の号を賜わる。後度々改造され現在の建物(本殿 境内社 伊勢両宮 八幡三所 若宮社等)は慶長8年豊太閣の遺命によって豊臣秀頼が片桐且元を奉行として再興(御朱印社領一万石)されえたものである。分霊社も判明するだけで150社を数え、古くから皇室武将等の崇敬極めて厚く北海道、九州、隠岐まで御分霊社が奉斎されている。明治9年郷社に、大正11年懸社に加列、明治41年神饌幣帛供進指定。
(滋賀県神社庁ウェブサイトより)

本殿裏の山腹に磐座を特に拝見したかった。

アプローチ、車窓から見た比良山
      


パンフレットと現地説明板
    

湖中大鳥居 
古来社前の湖中に鳥居があったという伝説により、昭和12年大阪の小西久兵衛が復興。(現鳥居は昭和56年再建)
      

鳥居、狛犬
    


拝殿
四ツ棟造 間口三間三尺 奥行二間
                 


国重文 本殿 慶長八年(1603)
入母屋造 間口三間 奥行三間
                


国登文 社務所など
       


市文 若宮神社
     


八幡神社・加茂神社・高良神社(三社相殿), 豊受大神宮(外宮)、皇大神宮(内宮)、いずれも市文
     


歌碑、天満社、稲荷社、寿老神・鳴子弁財天
       

岩戸社、横穴式石室で上部に磐座がある。
           

その横に三角錐状巨石の磐座がある。
            


Feb 16,2013 大野木康夫 source movie

有名な湖上の鳥居です。

遠くには下位蜃気楼も見えます。

                                 

境内は湖岸の国道に面しています。

集落から離れ、スピードが出る区間なので、国道を横切るのは少し大変です。

    

二の鳥居の正面に拝殿が見えます。

拝殿は明治12(1879)年に大きく建て替えられたものです。

   

本殿(重要文化財)

慶長8(1603)年の建築

桁行三間、梁間三間、一重、入母屋造、向拝一間、檜皮葺

関ヶ原後に豊臣秀頼により建てられたいわゆる桃山建築の一つです。

明治期に拝殿が建て替えられたときに権現造のような形になりました。

                                         

 


Oct.2011 中山辰夫

高島市鵜川215

祭神:猿田彦大神(さるたひこのみこと)

本殿—国重要文化財 社務所ー国登録文化財

国道161号線を高島に向って琵琶湖畔沿いに国道161号線を直進する。

途中、161号線を挟んで、向って右側の湖中に朱色の鳥居が見え、左側には社殿が見える。この神社が白鬚神社である。

全国に分布する白鬚神社の総本山である。

  

社殿は、琵琶湖に面し国道沿いに建ち、山側に延びている。

 

白鬚神社は天武天皇社殿修造、貞観7年(865)従四位下、元慶2年(878)封戸加増、天文9年(1540)六角義賢社殿修造

慶長8年(1603)豊臣秀頼再修とつたえる古社である。

鳥居の後方に、旧拝殿。続いて本殿が建ち、その奥に末社若宮・八幡神社本殿が並ぶ。

この本殿境の北方の高台に内・外宮の一部を配置する。

片桐市正を奉行として慶長8年(1603)に再建された社殿は、本殿のほか鳥居伊勢内宮・外宮、八幡三所神社若宮神社、地蔵堂、御供所

拝殿の九棟で、そのうち本殿、内・外宮、八幡、若宮の四棟が現存する。

資料 滋賀県教育委員会発行

    

境内全景

鳥居をくぐり境内へと進む。

            

湖中大鳥居

湖岸より58沖、水面よりの高さ約10m、柱間隔約8m

    

往古、神社前の湖中に鳥居があったという伝説や絵画(白鬚明神縁起)があり、これを根拠に大阪道修町の小西久兵衛氏が

昭和12年(1937)に復興寄進された。現在の鳥居は昭和56年(1981)に再建されたもの。琵琶湖を代表する景観である。

    

社務所 国登録文化財

建築:昭和7年(1932) 構造:木造平屋建 瓦葺 建築面積307㎡ 基準:造形の規範となっているもの

比良山を神体山とする古社の社務所。

田字型平面の座敷部の奥に貴賓室,前方に玄関・札所などを配する。

入母屋造,妻入で唐破風造の式台を構え,一方に切妻屋根の突出部を付す正面の構えは中世の主殿を彷彿とさせ

古風な細部装飾と併せ巧みな意匠でまとめる

    

手水舎と歌碑

本殿のすぐ左側に建つ。大正7年(1918)再建。与謝野鉄幹と晶子が訪れた際に、湧き出る清き水を称え二人で詠んだ歌の碑

    

歌碑 しらひげの 神のみまへに わくいずみ (鉄幹) これをむすべば ひとの清まる(晶子)

狛犬

拝殿前に建つ

   

拝殿

四ツ棟造 間口三間三尺 奥行二間

寛永元年(1624)大溝藩主分部光信の建立。

    

慶長8年(1603)の再建時には拝殿は無く、21年後の寛永元年(1624)造営の記事が残っている。

明治12年(1879)に、本殿の前にあった拝殿を、元のものより規模の大きい立派なものに建替える際に向拝柱を拝殿柱に

共用して両殿をつないだ。

前部(入口側)

    

後部(本殿側) 本殿との接続の様子が分かる。

    

拝殿と本殿との接合部分

    

本殿

国重要文化財

桃山時代の慶長8年(1603)に再建されたもので、400年以上経過している。豊臣秀頼が片桐且元を奉行として行わせた。

入母屋造 間口三間 奥行三間(重建) 正方形で前より一間を外陣、うしろ二間を内陣としている。

    

組物

出組ときょうや渦形の実肘木や木鼻、ときょうの六支掛を採用している。

    

本殿の柱は角柱であるが、内・外陣境の2本と背面中央間の2本は丸柱である。

本来は7段ある階段は床上に3段しか見えない。他に床下の大石、礎石の積み増しもなど水対策維持への工夫がある。

    

絵馬殿(旧拝殿)

現在の拝殿の位置にあった旧拝殿である。木柄は割りに太い。桁裄一間、梁間一間、切妻造、銅板葺 寛永3年(1626)

   

永代常夜灯

江戸時代に京都の近江屋藤兵衛氏が奉納されたもので、以前は湖岸に立ち沖往く舟の灯台としての役割を果たしていた。

平成16年に再建された。

  

境内社

若宮神社 天照皇大神宮社 天満宮 豊受大神宮社 八幡三所社 稲荷神社 岩戸社

本殿に向って左手に旧拝殿と若宮・八幡神社本殿、本殿被北方の高台に内・外宮の一部を配する。

若宮神社

他の境内社に比べ装飾的要素が多く、質も上等な一間社である。

    

木鼻の絵様、棟の箱形雁振瓦、妻飾り撥束繋紅梁などに独特の意匠を見せる。軒を吹寄垂木とするのも珍しい。

    

他の境内社は、石段をのぼった高台にある。

   

八幡神社

最も細部装飾が少なく、古式名技法を伝える小規模な三間社である。身舎前面に狭い縁をはり中央一間に木階を置く。

    

木柄は太く、柱は面取りが大きく、絵様は妻側中央柱上の大斗絵様肘木のみである。

    

内宮・外宮と岩戸社「白鬚古墳跡」

同規模・同形式で、県内では珍しい春日造りの小社殿である。

   

稲荷社

    

当社境内の各殿舎は部材の取替えはあるものの、いずれも本殿に引き続いて造営された建物で、中世の伝統に則った

古式の殿舎群として見落とすことができない。

歌碑・句碑

境内に五基ある。

芭蕉句碑・紫式部歌碑・羽田岳水句碑・中野照子歌碑

    

白鬚神社本殿棟札 桃山時代

国重要文化財

本殿には7枚の棟札が伝来している、がその内の慶長8年(1603)の銘のある棟札

これによると、慶長8年、内大臣豊臣秀頼の命により、片桐且元が奉行となって本殿修営を行ったことが知られ、白鬚神社の

来歴を示す貴重な史料である。

 

比良庄絵図 健指定文化財 室町時代

 

本絵図は、志賀町、高島町と大津市葛川のあたりを描いたもので、西を天としている。

画面の上半分と下半分は異なる視点から描かれており、下半分は琵琶湖側から比良山系の山々を仰ぎ見る形をとる。

上半分は天空へ視点を移して琵琶湖側からは見ることのできない山々や安曇川を描く。

画面の下半分には東の端に湖面があり、平地は南から木戸庄(きどしょう)、比良庄(ひらしょう)、小松庄(こまつのしょう)、

音羽庄(おとわのしょう)、三尾庄(みおのしょう)一帯で、法花寺(ほっけじ)、長法寺(ちょうほうじ)、天満宮(てんまんぐう)、

樹下神社(じゅげじんじゃ)、白鬚神社(しらひげじんじゃ)といった寺社の建物がみえる。

川は南から大谷川、比良川、滝川、鵜川、鴨川に比定される。画面中央には「小馬ヒタイ」と注記のあるひときわ高い

山があるが、これをカラ岳とする説がある。

画面の上半分には四本の支流が流れ込む安曇川を中心に山容と葛川明王院(かつらがわみょうおういん)が描かれる。

この絵図には弘安(こうあん)3年(1280)と永和(えいわ)2年(1376)の裏書があり、いずれも元になった原図から写され

たものである。

前者は小松庄・音羽庄と比良新庄の堺相論(さかいそうろん)について三庄を領有していた円満院(えんまんいん)が

堺を定めることとする裁許を下したもの。

後者は比良庄と音羽庄の堺相論について、延暦寺の供僧方(くそうかた)と音羽衆(おとわしゅう)が連署して裁許した

ものである。

本絵図は、県内の庄園を描いた数少ない中世の絵図であり、本県の社会経済史研究上、資料的価値が高く貴重である。

白鬚明神縁起 二巻 江戸時代

縁起は上下二巻に分けられ、詞書(ことばがき)十段、絵九段よりなる。

上巻は、神代における白鬚明神の鎮座から始まり、明神にまつわる神話として「近江国に至り、大いなる湖をめで、小船をつくり

釣を垂れてあそぶ」画面や勢田における良弁僧正と比良明神との出あいを続け、巻末には社前の湖中の石橋と石の神門(鳥居)

の出現場面を異時同図法にてあらわす。石橋の出現は康安元年(1361)、石の鳥居は永禄5年(1562)とし、石製であった。

 

下巻は、足利将軍家の帰崇をうけ、義輝、義昭が武運長久を祈願したとし、さらに近江佐々木義賢(承禎)が社の上に内外宮を

建て、また亡き母の菩提のために石仏の阿弥陀四十八体仏を刻したという話を描く。佐々木氏の庇護を受け盛衰を繰り返してき

たが、慶長8年(1603)浅井長政の女の信仰で新たに社殿が造立(これが現在の社殿という)されたことなどを表わす。

  

鰐口 室町時代

鰐口(わにぐち)という名の起こりは、下方に横長の口が大きく裂けている形が、動物の鰐の口であるところから生まれたようである。

鋳銅製または鋳鉄製で、扁平な形をしており、大きさは20〜30cmのものが一般的。社寺の軒先にかけて使用するもんぼで、紐を

たらして参詣人がこれを振り打って礼拝する。

白鬚神社の鰐口は鋳鉄製のめずらしいもの。鰐口としては大型で、肩厚が薄く、上方左右に耳を作るが、現在は欠損している。

 

鉄鉢

 室町時代

鉢は、梵語のパートラの訳で、応量器ともいう。僧侶の必需品の一つで、本来は食器であるが、実際にはこれを持して托鉢に用い

たり、供養具として用いられた。一般には口が大きく開き、肩が張り、内すぼまりとなって底が尖ったものほど古様である。

白鬚神社の鉄鉢は鋳鉄製のかなりの大型のもので、側面中央に鋳継がある。

社伝では「神通飛行の鉄鉢」と称され、社前の湖中にある大岩の上に置かれ、大津・海津間の湖上を往来する船が、この中に

米銭を奉加したという。・・・・「後は省略」

 

参考資料≪湖西の社寺、滋賀県の近世社寺建築、国文化財データーベース、ほか≫

 


Nov.2008 瀧山幸伸 source movie

    

       

                     

 

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