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滋賀県豊郷町 阿自岐神社

Ajikijinja,Toyosato,Shiga

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August 18, 2018 野崎順次  source movie

滋賀県犬上郡豊郷町安食西

阿自岐神社

道路沿いに石灯籠がずらりと並び、それに沿って美しい庭園が続いています。庭園は池泉多島式と呼ばれる様式で、池の美しい曲線を描いた広がりと、木々の緑がなんとなく神々しい雰囲気を漂わせてくれます。

この神社に祀られているのは、アジスキタカヒコネの神で阿自岐氏のことです。阿自岐氏はかなり高貴な百済系の渡来人で、この庭園づくりに、日本に漢字を伝えた王仁氏を招いたといわれています。それはなんと今から1500年も前の事ですから、まだ庭などなかっただけに、阿自岐庭園は古代豪族の憩いの場となっていたのでしょう。これは日本最古の庭園の一つともいえます。また、この地域が安食と呼ばれるルーツは、やはり阿自岐氏からきたと思われます。阿自岐氏が近江に来て美しい庭園を築き、心豊かに安らぐこの郷に住んだと聞いて訪れると遠く千数百年前、古代豪族の美の世界へロマンが広がります。

(豊郷町ウェブサイトより)

            

県名勝 阿自岐神社神池・神島

本神池は、一種の多島式神池で、全面積五千七百七十坪をもっている広大な神池であるが、現在本殿のある場所から東西に神池が二分されていて、東池には二島があり、出島二ヶ所がある。そして西池には四島と出島五ヶ所となっているが、東池も西池も、今の出島は中島であったかと思われるものが多い。

東池の中島は、東西に出島と共につながっていて、現在拝殿の場所に線が引かれる。西池の中島もまた三島の線が、拝殿の付近に一線が引かれ、別に細長い湾曲した出島が作られていて、異様な様式をもっている。

これらの多くの島々は、神のいます島として作られたものであって、現在の当社拝殿の前あたりに、東西の島々の線が有機的に結合する関係から、拝殿のあたりも、最初は中心の島があったのではないかと考えられる。

現在の南部には東西の道路(参道)がつけられているが、この参道は新しく改修されているので、阿自岐神社の神池は、もっと南部にまたがっていたものと推定される。したがって南部の現在田圃となっている土地も、もとはこの付近まで神池が延びていたり、中島もあったのではないかと考えられる。

いずれにしても、この神池の構成は変化に富んでいて、今後の研究を要する点が非常に多いことはいうまでもない。

(重森美玲「日本庭園歴覧辞典」阿自岐神社神池・神島より)

東の池

                                                  

西の池

                                      

阿自岐の郷石碑、説明板など

     


Nov.28 2012 瀧山幸伸 source movie

A camera

B camera


Jan.2011 中山辰夫

滋賀県教育委員会資料

    

Sep. 2010 撮影: 中山辰夫 豊郷町安食西663 祭 神:味耜高彦根神(あじすきたかひこねのかみ)・道主貴神(みちぬしむちのかみ)

配祭神:天児屋根命 保食神 須佐之男命 天照大神 應神天皇 宇迦之御魂神 大巳貴命 猿田彦神 植山姫神 旧中山道(国道8号線)の安食西交差点に鳥居が建っている。かつてはこの鳥居から神社までの参道の両側には石灯籠がずらりと並んでいた。さらに桜とカエデが交互に植えられ、馬かけの馬場になっていた。

参道を行くと、道路沿いに石灯籠が並び、曲線の美しい庭園と周りの木々が安らぎに満ちた雰囲気をかもし出している。

庭園は池泉多島式と呼ばれる洋式で、日本最古の庭園といわれる。

神社の味耜高彦根神は百済からの渡来人阿自岐氏とされている。

社殿は信長の兵火で焼かれたが江戸時代に再興され、神明造りの本殿は寛文4年(1664)の建築といわれ、県の重要文化財である。

拝殿・本殿の他に、幣殿・中門・神輿庫・手水舎・社務所がある。

神域は約5700坪でほぼ全域が庭園となっており、出島・中の島を浮かべる珍しい様式で、県の名勝に指定されている。 応神15年(284)に、百済王(照古主)が阿直岐(あちきー百済国の学者・博士)を日本に遣わし、良馬を献じた。

この人が、応神天皇の子菟道稚郎子(わかいらつこー皇太子)の師となって経典(学問)を教えた。後その功績によって、近江の国犬上の郡に土地をもらった。今の犬上郡豊郷町安食である。

この神社に祀られているのはアジスキタカヒコネの神で阿自岐神氏のことである。

阿自岐氏はかなり高貴な百済系の渡来人で、この庭園づくりに、日本に漢字を伝えた王伝氏を招いたとされる。

それはなんと今から約1500年前のことだから、まだ庭など無かっただけに、阿自岐庭園は古代豪族の憩いの場とであったのでないかと思われる。

当社は、上古の神社として「延喜式神名帳」にも名を残しており、全国数指の中に入るといわれる由緒ある神社である。

古くから産土神として土地の人々の崇敬を集め、栄えてきた。

拝殿

入母屋造 間口三間 奥行二間

中門・幣殿・本殿

県指定重要文化財

三間社流造 間口二間 奥行一間三尺

寛文4年(1664)の建築とされる。

庭園

県指定名勝

庭園の池に浮ぶ島そのものが神体といわれ、日本でも数箇所しかなく、池泉多島式の神泉で、原形を留めているのは当阿自岐神社のみといわれる。

昭和36年(1961)県の指定となった。老杉森厳、多島式広域の庭園、樹影と池水の織り成す調和の美と、神域の悠長な歴史をもつ点が評価であった。

創建当時、神社の四週を池がめぐり、灌漑用池も兼ねていた。

今は東と西に池があり、東池(920坪)には大小の島が2ケ所、中の島が3ケ所あり、それを形の異なった石橋がつないでいる。西池(770坪)は、流れ堤岬と入り江、出島、中島が入り組んだ複雑な地割で、長い石橋が架かっている。

東池の脇にある水の取水口にある矢池と名づけられた小さな池は、那須与一の矢がささり、水が湧き出したという伝説がある。

井伊直弼がここを訪れ、「池水の底のこころもいさぎよし 万代すまん宿に流れて」と詠んだ。

本殿のある中の島を中央に、犬上川の伏流水が湧出した池は水を満々とたたえ、鬱蒼と繁る老杉につつまれ、新緑や紅葉の時期をはじめ四季の変化を見事に演じている。近年は水量が乏しくなってきたが、水は十分にたたえている。

豊郷町の周辺の状況は、東に高麗からきたともいわれる甲良町、南が依智秦氏の本拠地・秦荘町、北西には新羅系色の三津屋等に接していて、古代朝鮮から渡来した各氏族の接点になっている。

これらの氏族は、それぞれの技術で、農耕に、機織に、山林開拓につとめており、阿直岐氏も池を掘り、池水を利用して、下流の荒地を開拓したとされている。参考資料《滋賀県に地名、豊郷の昔ばなし、滋賀県神社誌、パンフレット、他》

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