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滋賀県豊郷町 八幡神社と称名寺

Hachimanjinja/Shomyoji,Toyosato,Shiga

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Sep. 2010 撮影: 中山辰夫

八幡神社

Hachimanjinja

犬上郡豊郷町石畑437

祭神:譽田別尊

旧中山道沿いにある。直ぐに旧豊郷小学校である。

源平合戦で、扇の的を射落して弓の名人となった那須与一宗高は、その時の功績で近江の国の石畑と木部(野洲)の領地となった。

この辺りは、次男・石畑宗信という武将の城跡だった。

宗信は、この辺りを支配していた佐々木氏(観音寺城・安土)の旗頭で、石畑と木部(野洲)の領地を治めていた。

八幡神社は宗信が延応元年「1239」に京都の石清水八幡宮の応神天皇の分身を奉り建立した。

織田信長の兵火で荒廃したが、宝暦9年(1759)に社殿を再建。この時の棟札には表に工匠島治藤八孝道、裏には災厲不起。国豊民安兵戈無用などとある。

境内には樹齢700年というケヤキがある。大きなケヤキは夫婦ケヤキと呼ばれ大木100選に入っている。

この寺の住職さんはそれ以来、那須の姓を名乗っている。

本殿以外に、神門、太鼓庫、手水舎、社務所、がある。

本殿

一間社流造、間口一間、奥行一間五尺

称名寺

Shomyoji

豊郷町石畑

浄土真宗

称名寺は、宗信が晩年になって親鸞上人の弟子となり出家して、正嘉2年(1258)年に開創したもの。

延元2年(1337)本願寺覚如より寺号を授かった。

森徳兵衛は延享4年(1747)再建している。

中山一里塚

豊郷町石畑

江戸時代後期には、街道の往来で賑わう中山道・高宮宿と愛知川宿の間の宿(あいのしゅく)として発展し、立場茶屋(たちばちゃや)が設けられ旅人や馬の休憩場所として栄えた。

さらに中山道の役場前交差点「小字一里山」には「一里塚」が設けられ、「高さ丈余の塚で、塚の上から湖水が見えた」と、豊郷史には記されている。

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