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滋賀県豊郷町 唯念寺

Yuinenji,Toyosato,Shiga

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Sep. 2010 撮影: 中山辰夫

豊郷町四十九院

浄土真宗大谷派

本尊:阿弥陀如来・弥勒菩薩像

旧豊郷小学校から500m程はなれた、中山道沿いにある。隣には先人を偲ぶ舘や旧豊郷尋常高等小学校《国登録有形文化財》が建つ。

天平3年(731)、行基がこの地に四十九院を建立したと伝えるが、そのうちの一つといわれる。

ここには日光東照宮の造営に関与した甲良(こうら)豊後守宗広の木像がある。

今回は広間と本堂を外から拝観するに留まった。

鐘堂

広間

本堂

唯念寺は天平年中に行基が聖武天皇の勅を受けて当地に一宗を建立したことに始まる。

本尊は行基自らが彫ったとされる弥勒菩薩と弥勒菩薩像を安置し、他に山号を兜卒山、寺号を四十九院と名づけられた。

これは弥勒菩薩経の四十九重摩尼宝殿によるもので兜卒内影を顕すために、当院と奥の院であった奥山寺(荒神山)との間に点在して多くの堂舎が建立された。

現在、これらの堂舎の名称は地名として残っている。

当地の地名も、弥勒菩薩の本院である兜卒山四十九院のある邑(むら)として世に知られ、その寺名が村の呼び名になったとされる。

はじめは法相宗であったが、その後天台宗をあわせ、永正3年(1506)に本願寺実如が照光坊と称する道場にした。

元亀元(1570)、唯念寺二十七世であった巧空は、摂津の石山本願寺が織田信長の攻めにあうと聞き、門徒200人とともに救援に出発観音寺山(安土)付近で信長勢に囲まれて討ち死にし、門徒の多くも戦士した。

このため本願寺顕如は、巧空の十七回忌に際し、唯念寺二十八世の巧寂宛に弔状を送り、当寺に永く本山直門の寺格を許すとし、さらに照光坊の名を改め「唯念寺」の名を与えた。

元和元年(1615)、彦根藩主井伊直孝は大阪夏の陣に際して、当寺など真宗四カ寺に対して、大坂方の後方撹乱と隣国の一揆に対する警戒を依頼した。

芙蓉閣(書院)

この寺で最も古い建物で室町期に建立の書院建築。建築当時の七堂伽藍の一つにあたる。

当初の三階建は歳月とともに階下のみとなったが、床柱などから昔の趣が忍べるとされる。

また、書院の前庭は「皇苑」と称された。建立当時、後光厳天皇の行在所があったことによる。芙蓉の名も授けられとされる。

寛永年中徳川家康の工匠甲良宗広が江戸城、二条城の修・改築、日光東照宮造営を終わって唯念寺に身を寄せた当時、唯念寺本堂再建に奉仕したもので、様式は本山同様に設計され、内部は日光東照宮不要の絵具を用いて光彩を加えたとされる。

襖戸には、現在もその絵具の残存している箇所がある。

現在は非公開のようである。

芙蓉庭園

蓬莱式枯山水として知られ、北条時頼もこの庭を愛好したといわれる。「行基の庭」とも呼ばれた。

庭は蓬莱式枯山水で、築山が滝石組を基点として東方南に走り、中ほど大岬石、島々州崎が護岸石組、中央鶴亀の二島、築山に椎の大樹など、築山、枯泉池、泉石の景色もよいとされる。

最近は荒廃が進み、公開中止となっている。

後光厳天皇と将軍足利尊氏

嘉暦年中(1326)将軍尊氏は、しばしば当院に逗留し、その際、法堂を再建した。

文和3年(1354)義詮(よしあき 尊氏の子)は、後光厳天皇を奉じて当院を行在所とし難を避けた。

南北朝時代は常に将軍の逗留地となっていた。

その時、天皇より兜卒山四十九院の勅額を拝した。

甲良豊後守宗廣との関係

宗廣が故郷に帰ったのは日光東照宮の大事業も終わり、大棟梁職を長子の宗次に譲ってからが通説になっている。

寛永16年(1639)の寛永寺の五重塔を創建した後とされる。宗廣68才頃と推定されている。

32才で出府し、68才に故郷へ、この30数年間に江戸・日光その他において幾多の大功績を残し、一人で帰ってきたとされる。

宗廣は壇那寺であった唯念寺に身をおいた。そこから思い出のある京都に度々往復などして余生を送った。この間唯念寺に残る資料には「宗廣在世中に浄財を寄付して寺院を起立した」とある。

唯念寺で安心立命仏道修行の静かな余生を送っていた時に、自分の肖像彫刻「木像」を残した。今も唯念寺の秘宝として大切に保管されている。

宗廣は正保3年(1646)病を得て京都で没した。ときに年74才であった。

唯念寺の秘宝である自刻の像

彫刻像は法体の姿で、阿弥陀如来に向かって静かに合掌されている姿という。

木像は総高約43.6cm、その頭、耳の大きさが宗廣の人並み優れた明晰な頭脳の持ち主であったことを表し、目元のおだやかさ引き締まった口元に如何にも意思の強固な人柄であったことをこの像が物語っているとされる。

唯念寺の瓦銘文

 

参考資料《滋賀県の地名、パンフレット、豊郷の昔ばなし、滋賀県の歴史散歩、湖国百選、甲良豊後守宗廣、他》

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