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滋賀県野洲市 円光寺

Enkoji,Yasu City,Shiga

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野洲市久野部267 圓光寺九重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 康元(1256-1257)頃 石造九重塔 康元口の刻銘がある。 19610323

野洲市久野部267 圓光寺本堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 康元2(1257) 桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺 銘札1枚、鬼瓦2個、板絵図1組 19530331


January 28, 2024  野崎順次 source movie

 

滋賀県野洲市久野部266
歓喜山 長福院 円光寺


JR野州(やす)駅の北東約700mにる天台真盛宗の寺院。江戸時代に、観音菩薩を本尊とする長福寺と、阿弥陀如来を本尊とする円光坊(えんこうぼう)とを合併して再興された大寺です。
一見、神社のように見える寺院で独特の雰囲気があります。本堂・庫裏・鐘楼・山門などが立ち並ぶが、山門を入るとすぐ目の前にある本殿は、特異な屋根を持つことでよく知られています。正面の屋根だけが前にそり返るように長く延びて、横から眺めると「へ」の字のように、前の屋根だけが異様に長い「流造(ながれづくり)」という様式で建てられています。寺としてはかなり珍しく、全体としては簡素な造りになっています。
(滋賀・びわ湖観光情報サイト)

山門から入ると、九重石塔と本堂がある。共に重要文化財である。

         

国重文 圓光寺九重石塔 鎌倉時代中期 花崗岩 高さ 394cm
初層軸部は舟形を彫りくぼめ金剛界四仏を刻む。

                     

国重文 圓光寺本堂 鎌倉前期 康元二年 1257年
桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺

                    

本殿に隣接して大行事神社
大行事神社の創建は不詳ですが円光寺が当地に遷った際、天台宗の守護神である日吉大社(滋賀県大津市坂本)を構成する山王二十一社の内、中七社の大行事社の分霊を勧請し鎮守社としたのが始まりと伝えられています。
(滋賀県:歴史・観光・見所ウェブサイト)

中門 切妻、桟瓦葺き、一間一戸、棟門形式

     

覆屋の中に社殿が三棟並ぶ。向かって右端が大行事神社本殿で、中央が野上神社本殿である。

国重文 大行事神社本殿 室町中期
一間社流造、檜皮葺、間口四尺, 奥行五尺

         

市文 摂社 野上神社本殿
一間社流造、こけら葺き

       

鐘楼は古墳の上に建つ。

   

境内の石仏

      

参考資料
滋賀県:歴史・観光・見所サイト
河合哲雄「石仏と石塔」サイト

 


May 23,2021 大野木康夫 source movie

境内

      

本堂(重要文化財)

                 

九重塔(重要文化財)

             


Sep.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.25撮影 

     

九重塔(重要文化財)

康元年間(1256-1257)建造の石造九重塔です。

   

本堂(重要文化財)

康元2(1257)年の建築

桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺

         

 


Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野洲市久野部266

天台真盛宗

野洲駅の北約500m、県道大津−能登川長浜線久野部の交差点にある天台真盛宗の寺。

平安初期の延暦年間(782~804)最澄の開基と伝え、長福寺と称して天台宗に属した。

当寺はくわしくは歓喜山長福院と称するが、それはこの地にあった長福寺と円光寺の二寺を合併したからである。

天台宗長福寺は最澄開創と伝え、聖観音を本尊とし、今の本堂は長福寺本堂であった。

近くにあった天台宗真盛宗の円光寺は阿弥陀如来を本尊とした古寺で、この二寺が大行司神社の宮寺として仕えてきた。

元亀の兵火で両寺は焼けたが、長福寺本堂は残り、円光寺の諸仏が残った。これを合併したのが今の円光寺である。

天文9年(1540)宗順によって再興された。

長福寺は康元2年(1257)建立とあって、現在の円光寺本堂が棟木の墨書銘から康元2年に造営されたものと一致した。

当時は、本堂など寺院としての基礎は旧長福寺のものを引き継ぎ、仏像群は旧円光寺の流れによっており、おそらく一寺に統合して再建されたのは戦国末から近世初頭であろう。

松が点在する閑静な境内に本堂が建つ。

土塀や石の層塔が古寺の雰囲気をかもし出している。

九重塔が国重要文化財である。

本殿、拝殿以外の建物:庫裏・鐘楼・山門

           

山門

      

本堂

1257建築

国重要文化財:建造物:指定 1953・03・31 鎌倉時代

桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺 附 銘札 1枚

その棟木に鎌倉中期康元2年(1257 )の墨書銘文が残されており、建築年代のわかる貴重な文化財である。

旧長福寺本堂であった。江戸時代は入母屋造、本瓦葺の外観であったが、復元修理の結果、今の鎌倉建造時の姿に戻った。

切妻の仏堂は珍しく、正面からも側面からも簡素な美が感じられる。鎌倉中期の剛健さが各部にうかがわれる。

外陣正面中の間、向かって左の円柱に刻銘が残っている。

その境内の本堂に向かって左側に、石造九重の層塔が建っている。

              

石造九重塔

1257:建築

国重要文化財:建造物:指定 1961・03・28 鎌倉時代

もとは十三重であろうとされる。今は九重になり、九重目は宝塔の笠を流用している。康元の刻銘が残っている。

相輪部を欠くが、高さ4m近い立派なものである。基礎二面だけに格狭間があるが、一つは後刻といわれる。

初重軸部の四方仏は、三面は像容、一面は梵字「タラーク」で、金剛界四仏とし、古調を示す像容である。

        

木造阿弥陀如来坐像

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05

平安時代のもの。

木造:像高86.0cm:漆箔

 

木造地蔵菩薩坐像2躯

県指定文化財:彫刻

地蔵菩薩坐像

県指定文化財:彫刻

木造:彩色:玉眼

像高:52.4cm ヒノキ寄木造

 

貞和6年(1350)の銘をもつ。大願主沙弥道妙らの名が見える。

木造:彩色:玉眼

像高:51.3cm ヒノキ寄木造

 

参考資料:【野洲町史通史編】【歴史と文化 近江】【滋賀県神社誌】【野洲市教育委員会】【野洲町物語】【仏像集成】より抜粋

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