JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県野洲市 円光寺

Enkoji,Yasu city,Shiga

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
 Flower
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 


野洲市久野部267 圓光寺九重塔 重文 近世以前/その他 鎌倉前期 康元(1256-1257)頃 石造九重塔 康元口の刻銘がある。 19610323

野洲市久野部267 圓光寺本堂 重文 近世以前/寺院 鎌倉前期 康元2(1257) 桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺 銘札1枚、鬼瓦2個、板絵図1組 19530331


May 23,2021 大野木康夫 source movie

境内

      

本堂(重要文化財)

                 

九重塔(重要文化財)

             


Sep.2012 大野木康夫 source movie

2012.8.25撮影 

     

九重塔(重要文化財)

康元年間(1256-1257)建造の石造九重塔です。

   

本堂(重要文化財)

康元2(1257)年の建築

桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺

         

 


Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野洲市久野部266

天台真盛宗

野洲駅の北約500m、県道大津−能登川長浜線久野部の交差点にある天台真盛宗の寺。

平安初期の延暦年間(782~804)最澄の開基と伝え、長福寺と称して天台宗に属した。

当寺はくわしくは歓喜山長福院と称するが、それはこの地にあった長福寺と円光寺の二寺を合併したからである。

天台宗長福寺は最澄開創と伝え、聖観音を本尊とし、今の本堂は長福寺本堂であった。

近くにあった天台宗真盛宗の円光寺は阿弥陀如来を本尊とした古寺で、この二寺が大行司神社の宮寺として仕えてきた。

元亀の兵火で両寺は焼けたが、長福寺本堂は残り、円光寺の諸仏が残った。これを合併したのが今の円光寺である。

天文9年(1540)宗順によって再興された。

長福寺は康元2年(1257)建立とあって、現在の円光寺本堂が棟木の墨書銘から康元2年に造営されたものと一致した。

当時は、本堂など寺院としての基礎は旧長福寺のものを引き継ぎ、仏像群は旧円光寺の流れによっており、おそらく一寺に統合して再建されたのは戦国末から近世初頭であろう。

松が点在する閑静な境内に本堂が建つ。

土塀や石の層塔が古寺の雰囲気をかもし出している。

九重塔が国重要文化財である。

本殿、拝殿以外の建物:庫裏・鐘楼・山門

           

山門

      

本堂

1257建築

国重要文化財:建造物:指定 1953・03・31 鎌倉時代

桁行五間、梁間五間、一重、切妻造、向拝一間、銅板葺 附 銘札 1枚

その棟木に鎌倉中期康元2年(1257 )の墨書銘文が残されており、建築年代のわかる貴重な文化財である。

旧長福寺本堂であった。江戸時代は入母屋造、本瓦葺の外観であったが、復元修理の結果、今の鎌倉建造時の姿に戻った。

切妻の仏堂は珍しく、正面からも側面からも簡素な美が感じられる。鎌倉中期の剛健さが各部にうかがわれる。

外陣正面中の間、向かって左の円柱に刻銘が残っている。

その境内の本堂に向かって左側に、石造九重の層塔が建っている。

              

石造九重塔

1257:建築

国重要文化財:建造物:指定 1961・03・28 鎌倉時代

もとは十三重であろうとされる。今は九重になり、九重目は宝塔の笠を流用している。康元の刻銘が残っている。

相輪部を欠くが、高さ4m近い立派なものである。基礎二面だけに格狭間があるが、一つは後刻といわれる。

初重軸部の四方仏は、三面は像容、一面は梵字「タラーク」で、金剛界四仏とし、古調を示す像容である。

        

木造阿弥陀如来坐像

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05

平安時代のもの。

木造:像高86.0cm:漆箔

 

木造地蔵菩薩坐像2躯

県指定文化財:彫刻

地蔵菩薩坐像

県指定文化財:彫刻

木造:彩色:玉眼

像高:52.4cm ヒノキ寄木造

 

貞和6年(1350)の銘をもつ。大願主沙弥道妙らの名が見える。

木造:彩色:玉眼

像高:51.3cm ヒノキ寄木造

 

参考資料:【野洲町史通史編】【歴史と文化 近江】【滋賀県神社誌】【野洲市教育委員会】【野洲町物語】【仏像集成】より抜粋

All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中