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滋賀県野洲市 祇王寺

Yasu Giouji


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Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野洲市中北

浄土宗

祇王は野洲郡の旧村名。明治22年(1889)、市制町村制の施行にさいして、辻町・永原・上屋・北・中北・五之里・富波の7カ村が合併してできた新村に義王村の名が採用され、明治27年(1894)以降、祇王村と書くこととなった。

村名の由来は、平清盛の愛妾であった白拍子祇王・祇女姉妹の請願により、承安3年(1173)から5年をついやして西側村境を北流する灌漑用水路の祇王井(ぎおうのゆ 祇王井川・義王井川)が開かれたとの伝承があり、祇王・祇女の出身地が中北の小字江部であったことにちなむ。

昭和30年(1955)町村合併で野洲町にはいり、旧村名は消えたが、今日でも小学校・幼稚園・郵便局・農協支所名として祇王の名が残る。

お寺周りは石が敷き詰められ整備が施されていた。

祇王・祇女

「平家物語」の登場する美しい白拍子の姉妹で、野洲町中北の生まれであるという。

祇王はやがて平清盛の寵愛を受けるようになるが、年若い仏御前という白拍子に哀れをかけ、清盛に見参をとりなして舞をみせたため寵を奪われてしまった。この後、世の無情を感じた祇王は、祇女をともない尼となって京都嵯峨野の往生院にかくれ住んだという。

祇王がまだ清盛の寵愛を一身にあつめているころ、中北の地は非常に水利が悪く、農民は非常に苦しんでいた。

これを知った祇王は清盛に願い出て野洲川から引水し、この辺り一帯をうるおす養水としたという。

それが現在も新祇王井川として残っているが、後世その徳をしのんで、川のほとりに祇王寺が建立された。

祇王井川

別称祇王の井(湯)。川名の祇は義、祇とも書く。

野洲町三上の野洲川右岸、七間場の樋堰(ひぜき)を水源として、同町内の朝鮮人街道(県道大津能登川長浜線の旧道)に沿って流れ、富波の生和神社の森で分流する。

この間、2130mを祇王井川という。ここより東祇王川は永原を経て新家棟川(しんやなむね)に、本流の西祇王井川は童子川と呼ばれて同町江部、中北、北の集落を経て新家棟川から琵琶湖に注ぐ人工河川。

総延長26km、流域177haの灌漑用水路で一級河川。

掘割時期については、水利にとぼしい江部出身の平清盛の愛妾祇王、祇女の願いとする伝承や六角承禎の命令説、12世紀末という家棟神社縁起などがある。

江部に祇王、祇女の碑がある。

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