JAPAN GEOGRAPHIC

滋賀県野洲市 三上山

Mikamiyama,Yasu city,Shiga

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May.13.2014 中山辰夫

三上山と妙光寺山磨崖仏・福林寺跡磨崖仏

野洲市小篠原

■■三上山遠望

三上山は比叡山とともに滋賀県のランドマークといわれでかなりの地域からも見える。その形が富士に似ることから”近江富士“とされ親しまれている。

各地から見た三上山

妙光寺山の地蔵磨崖仏を訪れるにあたり、ハイキングをかねて三上山北尾根縦走路を歩く。

縦走路は展望が開けている。希望が丘文化公園、湖東の山々、鈴鹿の山、伊吹山、比叡山、比良山、湖南の山が見える。

妙光寺山は270mと高くはないが、所々厳しい箇所がある。5月初め頃はツツジが登山道の両側を埋める。田中山、相場振山が隣り合っている。

三上山の裏側が真前に見える。山の姿がいつも見る形状と異なっており目新しく感じた。

登り始めは三上山の裾野の山道を登る。

三上山の中段の道から外れ、北尾根縦走路を進む。

正三角形の三上山が見えだす。びわ峠からの遠望。ここから見る三上山の表情は険しく、神奈備の姿に相応しく感じる。

石のトンネル、古代峠

近くの幼稚園児(年長組さん)が登ってきました。ここまでは遊歩道となっている。

山道は幾分急坂となり、滑り易い箇所も見受けられる。

妙光寺山と磨崖仏方面との分岐点に至る。三上山の姿も見慣れた形に戻りつつある。

巨石を組んだ祠があり岩神大龍神が祀られている。

■■妙光寺山磨崖仏

■磨崖地蔵

大きな岩が重なる岩神の前を道なりに進むとすぐに磨崖地蔵の足下の前にでる。

高さ6mの巨岩に四角彫りこみを設け、等身大の地蔵立像を厚肉彫りしている。地蔵は至宝を見守るように、りりしい姿で立っている。短い鈴杖を持ち木沓を履くのが中世における近江の地蔵の特色とされている。

また、風化による摩耗も少なく、全体としてよく整った美しい石仏である。像の銘から1324年の造立とわかり、鎌倉後期の近江石仏として貴重とされる。

山を下りてきたところが一般歩道の入口である。

■妙光寺山不動磨崖仏 推定:南北朝時代

山道の途中、妙光寺山方面と出世不動明王方面の分岐点がある。今回は行けなかったが、そこの不動寺には不動磨崖仏(推定南北朝時代)がある。

礼拝堂の奥の岩肌に不動が刻まれている。顔の部分のみが浮彫りで、身体は線彫りである。特異な石仏で貴重である。

■■福林寺跡三体磨崖仏・他

妙光寺山磨崖仏から1kmほど離れた所にある。

野洲中学校裏山の山道を200m程入った雑木林の中にある。湖の林中は福林寺という廃寺の墓地であったとされ、小型石仏や一口五輪塔などが散乱している。

■福林寺は、『東寺文書』によると創建は天武天皇(在位671〜85年)の代に石城村主宿禰(いわきのすぐりのすくね)が鎮護国家を祈念して建立された寺院とされ、七堂伽藍を具備した大寺として隆盛し、永禄年代(1560年代)の争乱が起こるまで存続したとされています。

一角には十二所神社(現・稲荷神社摂社古宮神社—国重文」が存在した。

現在の野洲中学校のあたりに、境内があったとされ、中学校設立時に境内遺跡など無くなったのか詳細は不明である。

■三体磨崖仏 推定:室町時代

山のような形の巨岩に、観音・阿弥陀・地蔵が刻まれている。木立に中に佇んで、美しく魅力的である。

■十三体磨崖仏 推定:江戸時代

鏡餅のような巨岩に13体の仏が彫られた磨崖仏。像容は愛嬌たっぷりの合掌する田舎のおじさんといった素朴な感じである。近江では珍しい民間信仰のにおいがする磨崖仏として貴重とされる。

■地蔵十体仏

左面に5体、後面に5体、ずれの地蔵菩薩も合掌し同じような形をしているが、微笑・瞑想・目を見開くものなど表情は様々である

その他雑多な小磨崖石仏

参考資料≪石のほとけたち 近江、石仏讃歌、他≫


Sep. 2009 撮影/文:中山辰夫

 

三上山(標高432m) 御上山、御神山、神影山、三神山、とも書かれる。いずれも「みかみやま」とよまれる。

野洲川の東に開ける野洲の平野は、見渡す限りの田園である。

そこに君臨するごとくに立つ三上山の秀麗な姿は、旅人の心をとらえて止まなかったろうと想像できる。

今も円錐形の山容にかわりはない。

標高約430m、決して高い山でないが、平原の中に聳える山容は親しさの中にも威厳を感じさせてきた。

湖水を隔てた湖西からも、常に見えるこの山は、近江富士ともよばれて、近江のシンボルの一つにもなっている。

しかし何といっても野洲郡で見る三上山には魅力を強く感じる。

この山頂に孝霊天皇6年(西暦前285)天御影命が出現されたのをまつったが、養老元年(717)に山下の三上の森に移したと伝え、神の山である三上山頂には、今も奥宮を奉祀する。

古代この地に居住した御上君一族(みかみにきみ)が、祖神を祀った神社である。 

[歴史と文化 近江より抜粋]

むかし琵琶湖が出来たとき、それを掘った土で富士山が築かれ、残りの土で三上山が造られたという伝えがある。

西麓に鎮座する御上神社の神体山として古くから信仰を集めてきた。

西行法師(1118~90)の歌にも“篠原の三上の嶽を見渡せば 一夜の程に雪ぞつもれる“というのがある。

旧東海道・旧東山道(のちの中山道)からも眺望することができるためか、古代から多くの和歌集・紀行文にたびたび登場する。

この山中に住む大ムカデを退治した、俵藤太藤原秀郷の伝説もよく知られている。この伝承から「むかで山」とも呼ばれた。

*写真は[近江名所図会] [日本名山図会]より抜粋しました。

御上神社奥宮の小祀を祀る頂上までは徒歩約一時間で登れ、山頂から開ける琵琶湖や比良・比叡の連山の眺めが素晴らしい。

御上神社から国道8号線を渡って表登山道から登る。

民家そばの石段を登ると「魚釣岩」とよばれる岩が目に入る。

更に進むと「妙見堂跡」があり、常夜灯や基壇が残っている。

山道を進むと岩が散在する。急なヶ所も点在する。

更に登ると道の右側に「割岩」とよばれる巨岩群に出くわす。

巨岩が割れたように見受けられ、岩と岩との間をかろうじて通ることが出来る。

急な岩場の上を、手すりを頼りに登る道となる。かなりの急坂である。

山の外見から受ける優しい印象からは、想像できない

荒々しさを感じながら登ると頂上に至る。

距離にして約1kmであるが結構長く感じた。

山頂からの眺めの素晴らしさが疲れを吹き飛ばす。

琵琶湖大橋をこえて比良・比叡がまる見えだ。

湖東平野の田圃がドンドンつぶされて開発がすすむ様子が手に取るようにわかる。

田園が蜿蜒と続いた往古の眺めが想像できないのが残念である。

山頂は大少二つの頂きに分かれているが、高い方に古代祭祀の場であった磐座がある。

その傍に御上神社の奥宮が祀られている。

これからも三上山が典型的な神体山(神奈備山かんなびやま)であったことがわかる。

御上神社の本殿の背面に扉が設けられ、扉を開けると三上山を遥拝することが出来る形式となり、奥宮の三上山と相対している。

社殿は三上山の山麓における祭祀場に当たっていたのであろう。

神体山信仰を現在に伝える貴重な遺構である。

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