滋賀県野洲市 石仏めぐり
(Stone Buddhist Images, Yasu City, Shiga Pref.)
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比較的アクセスのよい質の高い摩崖仏 | |
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August 29, 2020 野崎順次 source movie
三上山の北隣の妙光寺山を400m登る。
岩神大龍神、ドルメンのようだが、後期古墳の石室を利用している。
妙光寺山地蔵磨崖仏 鎌倉時代後期 高155cm 花崗岩
国道の「小篠原」バス停から南方約一キロ。松の茂る妙光寺山を目指し、野洲中学校の所から右手へ登る。野洲町小篠原の内、山ノ脇集落背後の山の中腹、急斜面の崖に露出する巨岩に、畳一枚ほどの大きさに長方形の切り込みを作り、中に右手に錫杖・左手胸前で宝珠をもつ地蔵立像を厚肉彫し、両足に沓をはいている。切り込みの下に蓮座を彫出し、切り込み上部の上に山形の線がある。像容も蓮弁も鎌倉のしっかりした様式を示している。像の右と左に各一行として、元亨四年(1324)甲子七月十日、大願主経貞」と刻む。近江の数少ない
磨崖仏中の在銘の秀作である。向って右にも小さい長方形の切り込みがあるが、文字など見当らない。
(川勝政太郎「新装版日本石造美術辞典、1998」より)
麓に戻り、北へ、野洲中学校の裏へ進む。
福林寺跡摩崖仏
このあたりは「堂山」といわれ小摩崖仏群が点在しています。中でも入口より約五十m進んだ右手奥には、岩に平肉彫りされた約四十五cmの地蔵立像が十三体あります。
(現地説明板)
また一番見事な摩崖仏は如来像二体と観音立像一体が刻まれており、特に観音立像は旧も美しい姿をしているといわれ、室町時代初期の作品であります。
(現地説明板)
もう一つの十三体摩崖仏など
他にもたくさんの摩崖仏があったとされますが、大正九年の調査報告書に「近年コノ礎石ニ彫刻セル仏像ヲ割取ラムトセルモノアリ」と書かれています。しかし当時すでに仏像の大部分は、大阪方面の富豪の庭に持ち去られたといわれ、いまに残る一番見事な摩崖仏もノミのあとが痛々しく残っています。
(現地説明板)
路傍の地蔵石仏とミノムシ
行畑1丁目あたりの中山道
唯心寺 阿弥陀如来板碑
市指定文化財
背くらべ地蔵(右)
阿弥陀如来立像(左)
この大小の石仏二体は鎌倉時代のもので、中山道を行き交う旅人の道中を護ったといわれています。また、当時は乳児がよく死んだので子を持つ親たちが「わが子もこのお地蔵さんくらいになれば、あとはよく育つ」と背くらべさせるようになり、いつしか「背くらべ
地蔵」と呼ばれるようになりました。
(現地説明板)
中山道と朝鮮人街道の分岐点
その他
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