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滋賀県野洲市 宗泉寺(そうせんじ)

Yasu Sosenji


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Oct. 2009 撮影/文: 中山辰夫

野洲市妙光寺234

浄土宗

野洲駅の南東約1.5km、国道8号線バス停三上前のタバコ屋を左手に、国道を渡ると妙光寺山の集落となりその西腹にある。

三上山の北に続く低い山が妙光寺山である。

通りから山に向かって歩く。距離はわずかである。屈曲する道を辿るとお寺がある。境内は左側が墓地となっている。

正面高台に薬師堂が建つ。45段のやや急な石段を登る。薬師堂の右側に石燈籠が建っている。

この地にはもともと三上郷内大寺の東光教寺があった。

妙光寺の山腹から麓にかけて19の僧房が立ち並ぶ大寺であったとか。建久元年(1190)源頼朝がこの寺を参詣し、近江守護職の佐々木定綱に堂舎の修理を命じたという。

しかし、寛正元年(1460)、延暦寺宗徒の攻撃を受け、かつ大永4年(1524)の戦乱で大伽藍の全てが焼失した。

この時難を免れた仏像は、宗泉寺の創建によって伝存された。

そのあと宗泉大徳によって大永4年(1547)に宗泉寺が開基されたと伝える。

江戸時代の中期、浄土宗−宗泉寺として再興された。

石燈籠が国重要文化財である。また、彫刻数点が国重要美術品である。

寺域は約3,400㎡、堂宇は本堂・庫裏・薬師堂・不動堂・鐘楼などをそろえる。

薬師堂からながめる三上山がすばらしく美しいとされる。が、残念ながら今は竹と雑木で見晴らしが利かない。でも美景であったろう。十分に想像できた。

          

薬師堂

本堂前の石段、40数歩登る。結構急な勾配であった。

雑草が生い茂っているためか余り広くは感じなかった。

かなりの高台にあるため見晴らしは良好。だが今は雑木で視界が悪くなって見えない。

堂に向かって右側に石造燈籠が立っている。

     

石造燈籠

国認定重要美術品:工芸品:指定 1948・04・29

鎌倉時代の作

頼朝が建久元年(1190)上洛の途次(とじ)、東光寺へ参詣し、そのとき近江守護佐々木定綱が寄進したという社伝がある。

宝玉、竿以外は建立当初のままとされる。

火袋の火口を除く四面には板扉の形が刻まれていて、その定規椽には半球形の座金付きの飾り金具が打ってあるところまで、見事に浮き彫りにされている。

              

木造薬師如来坐像

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05

薬師堂の中央厨子内の秘仏 一木彫 藤原末期の作 お顔や衣文は鎌倉に近くなっている。

木造:古色:

像高:87.0cm

 

木造毘沙門天立像

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05

向かって左厨子の像、大きさは90cmばかり、一木彫 ところどころに截金模様のあとがある。藤原風を残す鎌倉時代の作

木造:彩色:

像高:66.7cm

 

木造不動明王及び両童子立像3体

国重要文化財:彫刻:指定 1909・04・05

90cmばかり、一木彫、不動明王は三井寺の黄不動の形式で、膝から下を露出している。鎌倉末期の作

木造:彩色:像高:(不動)95.1cm (矜)42.1cm (制) 42.1cm

 

参考資料:【野洲町史通史編】【歴史と文化 近江】【滋賀県神社誌】【野洲市教育委員会】【野洲町物語】【仏像集成】より抜粋

 

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