島根県益田市 萬福寺
Manpukuji, Masuda city, Shimane
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益田市東町25-33 万福寺本堂 重文 近世以前/寺院 室町前期 応安7(1374) 桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、桟瓦葺 棟札7枚 19040218
January 9, 2022 野崎順次 source movie
島根県益田市東町25-33
時宗
清瀧山 浄光院 萬福寺
(Manpukuji Temple, Masuda City, Shimane
Pref)
時宗益田道場として平安時代に建立され、当初は安福寺と号し益田川河口付近にありました。しかし大津波で流出していまい、後の1319年、游行4代呑海上人が再興しました。1374年には益田七尾城11代城主が現在の地に移築して萬福寺と改称、益田家の菩提寺と定められました。
その後、1479年に15代城主益田兼堯が歌聖・雪舟を招き、石庭を造らせました。1866年長州征伐益田口戦争の際には、幕府軍の陣営となり総門は焼失しましたが、本堂や庫裏はそのまま残っています。鎌倉時代の建築様式の本堂(重要文化財)、雪舟が築いた庭園(史跡及び名勝)、仏教の教えを表す「二河白道図」(重要文化財)、南蛮貿易によりもたらされた「華南三彩壺」など、中世益田文化を代表する文化財が集まる寺院です。
(益田市観光ガイド)
パンフレットと現地説明板
遠景と総門あたり、
国重文 本堂 室町前期(1374)
桁行七間、梁間七間、一重、寄棟造、桟瓦葺
(建物外観)
国史跡及び名勝 万福寺庭園 室町 池泉回遊式
今本庭を一覧すると、本庭は当時の方丈書院の後庭(東庭)で、面積は約二百八十坪ほどあり、池泉回遊式の庭となっている。後部に築山を設け、これに蓬莱式の豪華な石組を設けはなはだ手法が傑出している。
池庭は一種の鶴形の地割に似ているが、鶴形の池ではなく、蓬莱山水としての池である。築山下をはじめ、池畔には多くの護岸石組があり、向かって右奥部に枯滝石組があって、やや荒廃しているが豪健な石組である。そしてまた、築山の向かって左手には三尊石組を保存しているが、よく室町期の手法を語っていて、文献はなくとも、本庭が伝称のとおり雪舟の作庭であることが判明する。特に雪舟作庭と伝称する亀石坊、常栄寺、医光寺と本寺の四庭の石組には、全く共通した手法が見られるから、この四庭だけは雪舟の作庭として間違いないであろう。まことに傑出した名園である。
(重森三玲「日本庭園歴覧辞典、昭和49年」より)
細部を撮る。左から三尊石
君臣石
左下の尖ったのが明王石、一番高いところに須弥山石、その直下に不老石
座禅石
奥の高いところに蓬莱石
枯滝
本堂の外廊下に寺宝を集めた部屋がある。
市文 流仏三体像(千手観音、持国天、多聞天) 平安
万寿三年(1026)大津波で流され、災後安福寺(萬福寺の前身)に安置されていた。
千手観音像
持国天像
多聞天像
県文 書院襖絵 紙本墨画山水図十二面 江戸時代 (雲谷派)
国重文 絹本著色二河白道図 鎌倉
華南三彩壺
本堂外陣
本堂内陣
第二次長州征伐 石州口の戦 鉄砲の弾痕
本堂内展示
帰途
May 29,2021 瀧山幸伸
コロナ騒ぎのため拝観できず
Oct.20,2019 蒲池眞佐子
萬福寺の前身は平安時代に「安福寺」として建立されるが大津波で流出、その後道場として再興され、室町初期の1374年に益田七尾第11代城主によって現在の地に萬福寺として移築。室町中期の1479年に雪舟により石庭が作られた。
寺とその内部
雪舟庭園
Aug.2010 瀧山幸伸 source movie
A camera
本堂
Hondou
庭園
Garden
B camera
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