JAPAN GEOGRAPHIC

島根県津和野町 鷲原八幡宮

Washibara Hachimangu,Tsuwano town, Shimane

Category
Rating
Comment
 General
 
 
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
 
 Facility
 
 Food
 

鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 八幡宮 本殿 重文 近世以前/神社 室町後期 永禄11(1568) 三間社流造、向拝一間、向唐破風造、こけら葺 20111129

鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 八幡宮 拝殿 重文 近世以前/神社 江戸中期 正徳元(1711) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、鉄板葺、南面潔斎橋附附属、神饌所 桁行二間、梁間二間、切妻造、鉄板葺 20111129

鹿足郡津和野町鷲原イ632-2 八幡宮 楼門 重文 近世以前/神社 室町後期 永禄11(1568) 一間一戸楼門、入母屋造、向拝一間、茅葺及び檜皮葺、左右翼廊 各桁行二間、梁間二間、切妻造、こけら葺 20111129


May 25,2017 瀧山幸伸

Edited Movie Download YouTube

source movie

八幡宮は、津和野城跡の南西麓に鎮座する神社で、鷲原八幡宮とも呼ばれる。現在の社殿は、16世紀中頃に再建された社殿を基本として、18世紀初頭に手が加えられたものである。

 社殿の構成は、本殿、拝殿、楼門を一直線上に並べ、拝殿と楼門の間に池を設けて橋を架ける。本殿と楼門は、室町時代の永禄11年(1568)の建築で、細部の様式や技法に室町時代後期の特徴をよく示す。拝殿は、江戸時代の正徳元年の建築で、南面に楼門から渡る潔斎橋を付属する。

 八幡宮は、本殿と楼門が永禄年間まで遡る数少ない社殿であるとともに、社殿の構成や翼廊をもつ楼門の形式に顕著な地方的特徴を有しており、中国地方西部における神社建築の展開を理解する上で重要である。

(文化財データベース)

                                                                                                                          


Feb.2017 蒲池眞佐子 source movie

撮影:Apr.10,2016

鷲原八幡宮流鏑馬馬場

この流鏑馬馬場は永禄十一年(1566)吉見氏により鶴ヶ丘八幡宮が勧請された際にその馬場に倣ったものといわれている。

馬場は参道に対して直角に交わり、南北の長さ百三十八間(約251m)、中央部の幅十五間(約27.3m)の長方形となっている。東部外側一帯緩斜面となっており、ここに藩主をはじめ藩士が臨席した。南西北の三方には高さ数尺の堤で囲まれており、さらに長方形内に南北に走る一条の中堤があり、長円形状の歩道を形作っている。

中堤には、東に面して設けられた三か所の的場がある。的場は歩道より一尺五寸(約0.45m)余りのたかさがありそれぞれ底辺二十尺(6m)から四十尺(12.1m)の幅で弧線を描き窪形に作られ背面は堤より四尺(1.2m)程の高さがある。

この流鏑馬馬場は、鶴ヶ丘八幡宮の馬場に倣ったものと伝えながら、地形の制約を受けて八幡宮に対し横馬場となっていることが特徴である。また、現在みる史跡は、県道開設の折、西側堤が若干切り崩されてはいるものの、そのほかは当時の遺構をそのまま残している、日本でも唯一のものである。(由緒書きより)

鎌倉の鶴岡八幡宮を勧請して社殿が建立され600年の歴史を持ち、日本でただ一つ原型を残す横馬場形式で、島根県の史跡に指定されている。

                                  

   All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中