静岡県浜松市天竜区 光明山古墳
Komyosankofun,Tenryuku,Hamamatsu City,Shizuoka
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Jan.20,2026 瀧山幸伸 source movie
国指定史跡
浜松市天竜区山東
5世紀中葉に天竜川(てんりゅうがわ)東岸の丘陵先端に築かれた前方後円墳。眼下には遠江(とおとうみ)と信濃(しなの)を繋ぐ陸上交通路である秋葉街道(あきはかいどう)が通じ,丘陵を隔てた西側には天竜川が南流するなど,交通の要衝に立地する。墳長83m,後円部径48m,後円部高8.5m,前方部高8.3mで,墳丘は2段築成(ちくせい)である。丘陵先端を切断して構築しており,墳丘の周囲幅10mほどを平坦に造成している。墳丘斜面には葺石(ふきいし)を施し,特に後円部北側上段では基底部(きていぶ)から墳頂部(ふんちょうぶ)まで6m以上を一直線に結ぶ区画石列(くかくせきれつ)が確認されるなど,葺石の遺存状態が極めて良好な箇所がある。円筒埴輪(えんとうはにわ)と朝顔形埴輪(あさがおがたはにわ)が出土しており,どちらも2条の突帯(とったい)を巡らす3段構成で,製作技法としていわゆる淡輪技法(たんのわぎほう)が用いられている。
当該時期において東海地域でも屈指の規模を誇る前方後円墳であり,特徴的な埴輪を採用するなどの独自性を持ちつつそれまで古墳の築造がみられなかった内陸交通の要衝の地に突如として築かれている。古墳時代中期におけるヤマト政権の交通政策の変革に伴う古墳築造の在り方の転換と,そうした在り方を受容した地域首長の動向を明瞭に示す事例として重要。
(文化財データベース)
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