静岡県三島市 三島大社
Mishimataisha,Mishima City,Shizuoka
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三島市大宮町二丁目1-5 三島大社本殿、幣殿及び拝殿 重文 近世以前/神社 江戸末期 慶応3(1867)
本殿 三間社流造、銅板葺 幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺 拝殿 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅板葺
棟札1枚 20000525
Mar.29,2023 瀧山幸伸
桜の盛り
東海道
Feb.1,2022 瀧山幸伸 source movie
Feb.21,2015 野崎順次 source movie
東海随一の神格だったと考えられている三嶋大社。創建年は不詳。祭神は、大山祇命(おおやまつみのみこと)・積羽八重事代主神(つみはやえことしろぬしのかみ)。平治の乱に敗れ伊豆国へ流されていた源頼朝は、三嶋大社を崇敬し、「源氏再興の旗挙げの日」を三嶋大社の例祭の日と定め、1180年(治承4年)8月17日、伊豆国の目代山木兼隆を討ち取った。その後、石橋山の戦いでは敗れたものの、海路安房(源頼朝上陸地)に渡って軍を整え、鎌倉に入り、見事、武家の都市を創り上げている。宝物館には、北条政子奉納という国宝「梅蒔絵手箱」が残されている。
(鎌倉手帳ウェブサイト「源頼朝・北条氏ゆかりの地 伊豆・箱根の旅 三嶋大社」より)
その後の江戸期の社殿の様子を示す史料は多く、絵図では五重塔や護摩堂・経蔵といった仏教施設も見える。しかし嘉永7年(安政元年、1854年)に発生した安政東海地震によってほとんどは倒壊したため、社殿は幕末の慶応4年(1868年)にかけて再建された。その後は、大正12年(1923年)の関東大震災、昭和5年(1930年)の北伊豆地震による被害の修復を経て現在に至っている。
(ウィキペディア「三嶋大社」より)
東海道新幹線より、比良山、伊吹山
石鳥居、たたり石、神池、神馬舎
総門あたり
市文 神門 江戸末期 慶応三年(1867)
総檜造
市文 舞殿 江戸末期 慶応二年(1866)
国重文 本殿、幣殿及び拝殿 江戸末期 慶応三年(1867)
何れも総檜造
本殿 三間社流造、銅板葺
幣殿 桁行三間、梁間一間、一重、両下造、銅板葺
拝殿 桁行七間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、銅板葺
本殿、幣殿及び拝殿社のディテール
天然記念物 金木犀
その他境内
境内の梅
帰途、三島の町と文学碑
三島駅近くの居酒屋「直よし」にて
Nov.2011 柚原君子
Mar.2008 高橋久美子
Mar.2007 瀧山幸伸 source movie
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