静岡県静岡市 神部浅間神社
Kanbeasamajinja,Shizuoka City,Shizuoka
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静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813) 七間社流造、本瓦形銅板葺
棟札1枚、駿府浅間惣社御造営御勘定帳2冊、棟札3枚、社中絵図1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 南中門 重文
近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813) 一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 北中門
重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813) 一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社浅間神社 南透塀 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813) 折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 中透塀 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813) 折曲り延長七間、瓦棒銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 北透塀 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813)
折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 拝殿 重文 近世以前/神社
江戸後期 文化7(1810) 桁行七間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦形銅板葺 棟札1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社浅間神社 舞殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政3(1820) 桁行二間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺 絵図2枚、棟札2枚
19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 楼門 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化13(1816)
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦形銅板葺、南北各三間透塀附属 棟札1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 南回廊 重文
近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813)
折曲り延長二十八間、梁間二間、一重、入母屋造、西端西の間に接続、北端切妻造、神饌所及び西の間 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
棟札1枚、絵図1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 北回廊 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化10(1813)
折曲り延長二十九間、梁間二間、一重、入母屋造、西端直会所に接続、南端切妻造、神符調整所及び直会所 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 総門 重文 近世以前/神社 江戸後期 文化14(1817)
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦形銅板葺 棟札1枚、絵図1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 神厩舎 重文 近世以前/神社
江戸末期 万延元(1861) 桁行三間、梁間三間、一重、切妻造、桟瓦葺 棟札1枚 19990513
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 宝庫
重文 近世以前/神社 江戸末期 嘉永7(1854) 桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、桟瓦葺 棟札1枚 19990513
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社浅間神社 麓山神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政5(1822) 三間社流造、本瓦形銅板葺 絵図2枚、棟札1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 麓山神社拝殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政7(1824)
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺 絵図1枚、棟札3枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 麓山神社中門 重文
近世以前/神社 江戸後期 文政5(1822) 一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 麓山神社透塀
重文 近世以前/神社 江戸後期 文政5(1822) 一周延長三十間、本瓦葺、潜門一所を含む 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社浅間神社 八千戈神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保9(1838)
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、本瓦形銅板葺 絵図3枚、棟札1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
神部神社浅間神社 八千戈神社中門 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保9(1838) 一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 八千戈神社南透塀 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保9(1838) 折曲り延長十間、本瓦形銅板葺
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静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 八千戈神社北透塀 重文 近世以前/神社 江戸末期 天保9(1838)
折曲り延長十間、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 神部神社浅間神社 少彦名神社本殿 重文 近世以前/神社 江戸末期
嘉永3(1850) 桁行三間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺 絵図1枚、棟札1枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1
大歳御祖神社 本殿 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政9(1826) 三間社流造、本瓦形銅板葺 絵図1枚、棟札2枚 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 大歳御祖神社 中門 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政9(1826) 一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺 19710622
静岡市葵区宮ヶ崎町102-1 大歳御祖神社 透塀 重文 近世以前/神社 江戸後期 文政9(1826) 一周延長三十八間、本瓦形銅板葺、棟門一所を含む
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Dec.7,2022 中山辰夫
1804 静岡浅間神社
静岡市葵区宮ケ碕102-1
静岡浅間神社は、賤機山(しずはたやま)の南端にあって、「おせんげんさん」 の愛称で親しまれていますが、正式には神部神社、浅間神社、大歳御祖神社(おおとしみおや)の3本柱を総称した呼びかたです。
往古より駿河国の総社として、時の権力者から保護されてきました。とくに徳川家康が浅間神社への保護を強め、家光が1634年に大造営を行いました。
その社殿の華麗さを、貝原益軒は「日本にて神社の華麗なること、日光を第一とし、浅間を第二とする」と評したとされます。
その社殿は火災で焼失し、現在の社殿は1804年に着手し、1866年に再建されたものです。26棟の社殿が国重要文化財に指定されています。
■総門 国重文 建立:1817 三間一戸 桁行三間 梁間二間 八脚単層門 木造平屋 切妻 本瓦形銅板葺 外部は朱色 仁王像
華美な装飾の少ない質実な建物
上層部に高欄が巡り、細部に精緻な立川流の彫刻が施されています。その数は111個とか。江戸後期の貴重な楼門建築の遺構とされます。
外部内部共に多くの彫刻が並びます
外部彫刻
□欄間彫刻
総漆塗で、彫り物には「水飲みの龍」 「虎の子渡し」等があります。二層部に扁額が揚げてあります。
「水飲みの龍)は、名工と知られた左甚五郎の作と伝えられます。1773年の火災の際には龍が池の水を飲み社殿に吹きかけ延焼を防いだとされます。
■手水舎 国重文 木造平屋建 切妻造 本瓦形銅板葺 外壁は四隅柱のみの吹き放し 朱色 妻面や蟇股の彫刻は極彩色
手の込んだつくりです。大瓶側の左右には「波に泳ぐ鯉」 四辺に配された蟇股は「水に水仙」と水に関わる題材です。
■舞殿 国重文 建立:1820 桁行三間 梁間二間 一重 正面軒唐破風付 入母屋造 妻入 銅板葺 彫刻が目一杯ならんでいます。
金の金物や立川流の彫刻が随所に施されていますが、彩色が無く、唯一素木造りです。
細部 彫刻は内部・外部ともに施されています。
正面
貫の上には波の意匠の彫刻、木鼻には獏の彫刻
内部
あちこち
■大拝殿 国重文 建立:1814 桁行七間 梁間四間 切妻 本瓦堂板葺屋根に千鳥破風 楼閣 浅間造の代表 は笠25m 殿内は132畳敷きの広さ
1804年から60年の歳月をかけて立川流一門に造営されました。
建物全体に精緻な彫刻が施され極彩色で彩られ、金物は金箔で仕上げられ、境内を象徴する大規模社殿建築です。
江戸時代後期の神社拝殿建築の遺構として大変貴重な存在とされます。
□妻壁 二階~一階~一階
屋根は総瓦葺で、浅間造(せんけんづくり)とよばれる重厚な建築様式です。
細部
一階部分
蟇股は身舎に配されています。
工事報告書からの転記です
■南回廊 国重文 建立:1813 折曲り延長二十八間、梁間二間、一重、入母屋造、本瓦葺
■本殿 国重文 建立:1813 七間社流造、本瓦形銅板葺
神部神社、浅間神社の二つが社殿を共有しています。右が神部神社、左が浅間神社です。
■斎館
■社務所
立川流
静岡浅間神社は、初代立川和四郎富棟、二代富昌と三代富重と三代にわたり社殿の彫刻を手掛けています。その彫刻は代表作とされます。
立川流については、Wikipedia,立川流彫刻 研究所 などに詳しく記載されています。
■1826 大歳御祖(おおとしみおや)神社 本殿
静岡県静岡市葵区宮ケ崎町
大歳御祖神社は静岡浅間神社の境内に鎮座している神社です。創建は273年とされ、703年には「安倍の市」の市神として信仰されました。
その後927年には延喜式神名帳にも式大社として記載され、古くから続く格式の高い神社として崇敬されてきました。
江戸時代に入ると幕府から崇敬庇護され、数度に渡り幕府直営で社殿が造営されたようです。
現在は神門・拝殿・唐門・本殿で成り立っています。
本殿、中門、透塀は江戸時代末期の社殿建築の遺構として重要文化財に指定されています。
■神門~拝殿
■中門、透塀、本殿 僅かな隙間から写すだけです
中門は一間一戸平唐門、本瓦風銅板葺、 透門は一周延長38間、本瓦風銅板葺
■本殿 国重文 再建:1826 三間社 流造 本瓦風銅板葺 組物・彫刻は極彩色
□本殿 「引用」
2014年、20年かけてて化粧直しが終了しました。
以下は工事報告書からの転記です。 (1977~1988年発行)
□向拝の蟇股
□向拝隅斗栱
□手挟
□身舎の蟇股
1844 麓山(はやま)神社 本殿
静岡県静岡市宮ケ崎
麓山神社は静岡浅間神社の境内に鎮座しています。創建は不詳ですが静岡浅間神社が勧請される以前から鎮座していたとされます。
祭神は静岡浅間神社の主祭神の木之花咲耶姫命の御父神である大山祇命、配祀として日本武尊を祀っています。
本殿は極彩色に彩られています。います。神社の拝殿、本殿、中門(平唐門)は重要文化財に指定されています。
□麓山神社は賤機山上にあります。約100段の石段を上ります。
■拝殿 国重文 建立:1824) 桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
主要構造部は朱色、戸扉は黒色に塗られ、木鼻や蟇股、木組に施された精緻な彫刻や軒下廻りは極彩色に彩られています。
細部
□妻部
蟇股は向拝と身舎の周囲に配されています。
□向拝と周辺
蟇股
□身舎の蟇股と周辺 極彩色の彫刻が並びます。
蟇股 身舎軒下の四面にに配されています。工事報告書より引用
■中門 国重文 建立:1822) 一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺
■透塀 国重文 建立:1822) 一周延長三十間、本瓦葺、潜門一所を含む
本殿は外からしか写せません。 部分々の撮影です。
■本殿 国重文 建立:1822
三間社流造、本瓦形銅板葺 古来、賤機山上に鎮座。「山宮」と称せられ、本社の別宮でした。
拝殿同様に、主要構造部や外壁は黒色に塗られ、木鼻や蟇股、木組に施された精緻な彫刻や軒下廻りは極彩色に彩られています。
1850 少彦名(すくなひこな)神社 本殿
静岡県静岡市葵区宮ケ崎102-1
少彦名神社派静雄邪浅間神社境内に鎮座しています。本社神部神社の元の14社の神々を祀っています。神宮寺薬師社と称された古社です。
現在の本殿は1850年に建立されました。漆喰極彩色、十二支の蟇股が有名です。本殿は江戸末期の建築遺構として国重文に指定されています。
■本殿 国重文 建立:1850 桁行三間 梁間二間 木造平屋 入母屋造 本瓦風銅板葺 漆塗り極彩色 蟇股の十二支の彫刻が有名
医薬・酒蔵の神・芸能の神として信仰され、参拝が絶えません
外壁は真壁造黒漆喰仕上げ、木鼻や組物、蟇股(十二支の彫刻)、桁などは極彩色で彩られています。
細部
□蟇股は社殿内(2個)と身舎の周り(10個)配されています。立川流干支の彫刻です。干支中「子」「丑」は内部にあり、普段はうかがえないです。
□社殿内は「子」「丑」です
□身舎まわり
本殿内部の蟇股 補修工事が完了しました。 引用
1838 八千戈神社 (やちほこ)
静岡県静岡市葵区宮ケ崎町
八千戈神社は静岡浅間神社の境内に鎮座しています。境内社で規模は両社本殿に次ぐ大きさです。
徳川家康の念持仏、摩利支天像を安置するため創建されたのが始まりとされ当初は摩利支天社と称していました。
江戸時代は幕府の庇護のもと社運も隆昌していましたが、神仏分離と廃仏毀釈で、八千戈神社に改称しています。
本殿、中門、透塀は江戸時代後期の社殿建築で、意匠に優れた遺構として国重文に指定されています
■八千戈神社
外壁は真壁造黒漆仕上げ、中門は平唐門、本瓦風銅板葺、透塀は本瓦風銅板葺、南側延長10間、北側延長10間。
細部は立川流の彫刻が施され極彩色で彩られています。
■中門 国重文 一間一戸、本瓦形銅板葺の平唐門で、南透塀及び北透塀はいずれも折曲り延長十間、本瓦形銅板葺である。
■唐門
特に唐門格狭間に施された「麒麟」の彫刻が優れているとされています
■本殿 国重文 建立:1838 桁行三間 梁間四間 一重 正面千鳥破風 三間軒唐破風向背付 入母屋造 銅瓦葺
内部は見えません
□妻壁と正面千鳥破風~側面妻壁
□向拝の蟇股
□身舎内は極彩色
□蟇股は向拝と身舎に配されています。
蟇股は二十四孝を題材とした彫刻が付けられ、立川流の円熟した技が見られます。
□身舎の蟇股 (工事報告書より転記)
玉鉾神社
静岡県静岡市葵区宮め崎102-1
本社の北側に摂社。社殿は伊勢神宮の御古材を用いて1975年に再建されました。
明治9年(1876年)県内の神官により官許を得て創始され、受検・学問の神と仰がれています、
Feb.1,2022 瀧山幸伸
総門
神厩舎
楼門
神部神社・浅間神社
水舎
回廊
本殿
舞殿
少彦名神社
玉鉾神社
八千鉾神社
宝庫
麓山神社拝殿
麓山神社 本殿
賤機山古墳(史跡)
大歳御祖神社 本殿、中門、透塀
拝殿
June 20,2015 野崎順次
静岡県静岡市葵区
静岡浅間神社
(Kanbejinja-Asamajinja, Aoiku, Shizuoka City,
Shizuoka Pref.)
神部神社・浅間神社(二社同殿)及び大歳御祖神社の三社を総称して、静岡浅間神社(通称おせんげんさま)と申し上げる。
神部神社は第十代崇神天皇の御代、約2100年前に駿河開拓の祖神・駿河の国魂の大神として鎮座され、延喜式内社であり、平安時代には駿河国総社となる。『国内神名帳』には美和明神と記され、『類聚国史』に従一位と記載されており、この地方最古の神社である。
浅間神社は延喜元年(901)、醍醐天皇の勅願により富士山本宮より分祀され、爾来富士新宮として国司の尊崇を受ける。
大歳御祖神社は応神天皇4年(273)今から1700年ほど前に、古代この地方の物流の拠点、商業の中心地であった「安倍の市」の守護神として創祀され、延喜式内社であり、『国内神名帳』に正二位奈古屋明神と記され、静岡市の地主神である。
三社とも朝廷をはじめ国司・武将等の崇敬すこぶる篤く、駿河国総社・静岡の総氏神さま、駿河の大社として広く信仰されている。
御本社神部神社・浅間神社・大歳御祖神社のほかに境内には、麓山神社・八千戈神社・少彦名神社・玉鉾神社の四境内社が鎮座している。
(静岡浅間神社ウェブサイト「御由緒」より)
現地説明板と石鳥居
国重文 神部神社浅間神社 総門 江戸後期 文化十四年(1817)
三間一戸八脚門、切妻造、本瓦形銅板葺
総門回り
国重文 神部神社浅間神社 神厩舎 江戸末期 万延元年 (1861)
桁行三間、梁間三間、一重、切妻造、桟瓦葺
国重文 神部神社浅間神社 楼門 江戸後期 文化十三年(1816)
三間一戸楼門、入母屋造、本瓦形銅板葺、南北各三間透塀附属
国重文 神部神社浅間神社 南回廊 江戸後期 文化十年(1813)
折曲り延長二十八間、梁間二間、一重、入母屋造、西端西の間に接続、北端切妻造、神饌所及び西の間 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 北回廊 江戸後期 文化十年(1813)
折曲り延長二十九間、梁間二間、一重、入母屋造、西端直会所に接続、南端切妻造、神符調整所及び直会所 桁行七間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 舞殿 江戸後期 文政三年(1820)
桁行二間、梁間三間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 拝殿 江戸後期 文化七年(1810)
桁行七間、梁間四間、二重、入母屋造、本瓦形銅板葺
神部神社浅間神社の本殿関連重要文化財は次の通りであるが、両横から少し見えるだけである。
国重文 神部神社浅間神社 本殿 江戸後期 文化十年(1813)
七間社流造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 南中門 江戸後期 文化十年(1813)
一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 北中門 江戸後期 文化十年(1813)
一間一戸向唐門、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 南透塀 江戸後期 文化十年(1813)
折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 中透塀 江戸後期 文化十年(1813)
折曲り延長七間、瓦棒銅板葺
国重文神部神社浅間神社 北透塀 江戸後期 文化十年(1813)
折曲り延長十五間、棟門、潜門各一所を含む、瓦棒銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 少彦名神社本殿 江戸末期 嘉永三年(1850)
玉鉾神社
国重文 神部神社浅間神社 宝庫 江戸末期 嘉永七年(1854)
桁行三間、梁間二間、一重、寄棟造、桟瓦葺
国重文 神部神社浅間神社 八千戈神社本殿 江戸末期 天保九年(1836)
桁行三間、梁間四間、一重、入母屋造、正面千鳥破風付、向拝三間、軒唐破風付、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 八千戈神社中門 江戸末期 天保九年(1836)
一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 八千戈神社南透塀 江戸末期 天保九年(1836)
折曲り延長十間、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 八千戈神社北透塀 江戸末期 天保九年(1836)
折曲り延長十間、本瓦形銅板葺
麓山神社と賤機山古墳へは百段階段(実際は106段とのこと)を登る。
国重文 神部神社浅間神社 麓山神社拝殿 江戸後期 文政七年(1824)
桁行五間、梁間四間、一重、入母屋造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 麓山神社本殿 江戸後期 文政五年(1822)
三間社流造、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 麓山神社中門 江戸後期 文政五年(1822)
一間一戸平唐門、本瓦形銅板葺
国重文 神部神社浅間神社 麓山神社透塀 江戸後期 文政五年(1822)
一周延長三十間、本瓦葺、潜門一所を含む
国史跡 賤機山古墳
昭和24年に、後藤守一・斎藤忠両博士により初めて考古学的調査が行われました。その結果、古墳の形は直径約32m、高さ約7mと推定される円墳で、内部には巨石を積み上げて造られた巨大な横穴式石室があり、石室内には大型の刳抜式家形石棺が置かれていることが明らかになりました。
石棺内は既に盗掘により荒らされ、人骨や副葬品はほとんど残っていませんでしたが、石棺のまわりからは土器や武器、武具、馬具など質・量ともに豊富な副葬品が出土しました。遺物の検討などから、古墳は6世紀代の当地方の最有力豪族の墓であると考えられています。
(静岡市ウェブサイトより)
国重文 大歳御祖神社本殿、中門、透塀は改修中
Dec.2013 瀧山幸伸 source movie
Feb.2008 瀧山幸伸
Mar.2005 瀧山幸伸 source movie
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