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静岡県 天竜浜名湖鉄道

Tenryu Hamanako Rail

 
 

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のどかに走る田舎の鉄道、古い駅舎が多い。
 Nature
 
 
 Water
 
 
 Flower
 
 
 Culture
 
録有形文化財が豊富 
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Feb.25,2018 野崎順次 source movie

静岡県湖西市、浜松市北区・浜北区
天竜浜名湖鉄道

今回は新所原から西鹿島までの西ルートである。登録有形文化財の説明は同鉄道ウェブサイトから引用させていただいた。

パンフレットと西ルート1日フリーきっぷ 

          

新所原駅

       

新所原から三ヶ日

                                    

国登文 三ケ日駅本屋 昭和11年
浜松市北区三ケ日町三ケ日1148-3
造平屋建、寄棟造、厚型ストレート葺の本屋が北面し、正面右寄りには玄関が突き出ている。背面(南面)及び西面には下屋、鉄板瓦棒葺、旅客上屋がある。窓は木製建具、上りプラットホームへ出る建具は吊り戸からなる。外壁は建板張り、待合室の西面一杯に当初造付け木製ベンチが残存する。床は小幅板張りで、天井は合板市松張りである。現在、車両の乗降をスムーズにするため、プラットホームは2段嵩上げされている。建物財産票によると、この駅舎の建設は昭和11年4月で、新所原・三ヶ日の開通(昭和11年12月1日)に間に合わせて建設された最初期の駅舎の一つである。

              

右に猪鼻湖、浜名湖を見ながら、さらに進む。

                              

国登文 西気賀駅待合所 昭和13年
浜松市北区細江町気賀10185-3
木造平屋建、片流れ、波形ストレート葺の建物。外壁は縦板張り、その上に後補の波形鉄板張り。待合所の正面は開放され、両袖付き。三方に窓が開いて、木製のガラス戸が嵌めこまれ、ベンチが残存する。隅には、腰当ての板が打たれている。背面の軒桁と梁は、木製の水平ブレースで補強され、軒先の梁の先端は曲線に加工され意匠的に特徴を示している。

            

国登文 西気賀駅本屋 昭和13年
浜松市北区細江町気賀10185-3
木造平屋建、寄棟造、赤色の洋瓦葺が南面する。南東の隅にトラス状に組まれた鉄骨持送りによる庇が付け降ろされている。背面は下屋、波形ストレート葺、鉄製の円柱で屋根を支える。正面入口と背面ホーム側に、当初の引き分け木製吊り戸が残存する。外壁はモルタル塗りで、腰横板張り。待合室の東面一杯に造り付けのベンチがあり。当初の木製改札口が良く残されている。

                         

国登文 気賀駅上屋およびプラットホーム 昭和13年
浜松市北区細江町気賀427-1
木造平屋建、切妻造、波形ストレート葺の建物で、小屋組は柱2本の上の部分にトラスを組み、棟木・母屋・桁からなる。妻面の上部の外壁は縦板張り。東端から1間おいて次の1間は、柱間の幅を狭くしている。柱に窓の敷鴨居仕口の痕跡が見られるので、東端の2間は、もとは乗降場待合室であったことが判る。現在は、壁を撤去して開放されている。

                

国登文 気賀駅本屋 昭和13年
松市北区細江町気賀427-1
造平屋建、寄棟造、赤色の洋瓦葺が北面する。外壁はモルタル塗り、腰タイル張り。待合室からホームにかけての外部には、布基礎状にタイルが張られている。正面入口及び改札口にもタイルを貼って意匠的な枠となっている。待合室内部の両面に当初の造り付け木製ベンチ、当初の木製改札口がそのまま残存する。そして、ベニヤ板を市松模様に張った天井も見られる。駅務室の中には営業開始当初の「昭和拾参年四月壱日気賀驛営業開始」という札が張られている。

                   

国登文 金指駅上屋およびプラットホーム 昭和13年
浜松市北区引佐町金指1033-2
木造平屋建、切妻造、波形ストレート葺の旅客上屋に、プラっとホームが一体となっている。妻面の上部は建板目板張りと腰横板張り。乗降場中央に、傾斜した柱を立てて三角形を形成する構造体を三組設置している。その上部は、トラスを組み、棟木・母屋・軒桁を支えている。なお、上屋は全線開通の8年後(昭和23年)に建設された。

                               

国登文 都田川橋梁 昭和15年
浜松市北区都田町4064-7、4502-46
フルーツパーク駅から西へ100メートル余の都田川に架かる橋梁である。水中に浸かる2本の橋脚は他と異なり、底部が円形で脚部も円柱である。低水位ラインから線路面までは14メートル20もあり、かなりの高さである。2連の製作プレートは、いずれも昭和13年に八幡製鉄所の鋼材を用いて制作されているが、1連は川崎車輌株式会社、もう1連は日本橋梁株式会社の製作である。

   

フルーツパーク駅を過ぎて

    

国登文 宮口駅待合所および下りプラットホーム 昭和15年
浜松市浜北区宮口119-2
木造平屋建の片流れ、波形鉄板葺の建物で、外壁は縦板張りでペンキ塗りされている。両面は開放され、三方に木製引き違いのガラス窓及びベンチがある。前面桁と背面桁・母屋を斜めの繁梁で支えている。天井は小幅板の化粧流し張り、ペンキ塗りの仕上げとなっている。

国登文 宮口駅本屋および上りプラットホーム 昭和15年
浜松市浜北区宮口119-2
造平屋建、切妻造、桟瓦葺の本屋が南面する。正面右寄りに葺き降ろしの車寄せが突き出ている。背面には乗降場の上屋を兼ねた屋根となっている。コンクリート製布基礎を廻し、外壁は縦板張り。待合室出入口及び改札口には当初の引分け腰付板戸がある。東面の梁間一杯にベンチ、当初の木製改札口の一部が残存する。背面西端には物置があるが、屋根は駅本屋と一体になっている。宮口駅は、二俣線全通に併せて建設された駅本屋である。

       

国登文 岩永寺駅待合所およびプラットホーム 昭和15年
浜松市浜北区根堅1730-2
木造平屋建、切妻造、波形ストレート葺の建物である。妻面は小壁の縦板張り。当初は背面・側面の外壁は無く上屋のみで、平成3年に外壁が設けられた。二俣線全通に併せて建設された上屋は、特徴的に造られており、5本の単立柱を利用して、変形のトラスで屋根を支えている。さらなる安全を計り、柱には、古レールを使用した補強が施されている。

 

西鹿島駅に近づいてきた。

    


Jan.20,2018 野崎順次 source movie

静岡県掛川市、周智郡森町
天竜浜名湖鉄道
掛川駅から天竜二俣駅

東ルート共通1日フリーきっぷ

  

掛川駅

               

それから

   

国登文 桜木駅本屋及びプラットホーム 昭和10年
掛川市富部251-5
木造の平屋建、切妻造、厚型ストレート葺の建物である。改札口には当初の片引き木製建具、待合室には駅務室の切符売場が突き出し、西面には当初のベンチが残存する。二俣線として、最も早い昭和10年4月17日に開通した3ヶ所の駅の一つである。開通当初の駅名は「遠江桜木」であった。

        

国登文 原谷駅本屋 昭和10年
掛川市本郷1416-2
木造平屋建、切妻造、厚型ストレート葺の建物である。北面に当初のベンチが残存する。今も建設当初の木製改札口が現存し、レトロ感をかもし出している。天井は小幅板の鏡張り、背面下屋を支える頬杖が連子状になり特徴的である。二俣線として最も早い昭和10年4月17日に開通した3ヶ所の駅の一つである。

              

手を振ってくれた。

   

国登文 原野谷川橋梁 昭和10年
掛川市本郷2154、掛川市幡鎌138-3
原野谷川に架かる橋長105メートルの銅製橋梁である。日本橋梁株式会社によって昭和9年に支間12メートル90、連数2の鈑桁が製作された。また、支間19メートル20、連数4の鈑桁は、八幡製鉄の材料、株式会社横河橋梁により昭和9年に製作されたものと判っている。

       

トンネルを越えて進む。

           

国登文 太田川橋梁 昭和10年
周智郡森町睦実1677-4、森町森621-5
戸綿駅のすぐ西側を流れる太田川に架かる橋長192メートルの銅製橋梁である。緩やかな曲線を描くこの橋梁は、河川部に架かる上路鈑桁と道路上に架かる下路鈑桁1連で構成されている。河川部に架かる上路鈑桁橋梁は、日本橋梁株式会社により昭和9年(1934)に製作され、道路上の下路鈑桁橋梁は、川崎車両橋梁株式会社が昭和8年に製作した。

    

国登文 遠州森駅本屋及び上りプラットホーム 昭和10年
周智郡森町森980-2木造平屋建の本屋、待合室、駅務室からなる。正面右寄りに切妻造の車寄せを突出する。南面には当初のベンチが残存し、窓の木製建具には当初の古い歪ガラスが嵌められている。改札口の二枚引き腰付ガラス戸も残っている。この駅舎は、二俣線として掛川から遠州森までの最も早い昭和10年4月17日に開通した3ヶ所の駅の一つであり、当時の駅舎がほとんど改変されずに残った貴重な遺構である。開通当初は、「遠江森」という駅名であった。

                

それから

      

国登文 遠江一宮駅本屋 昭和15年
周智郡森町一宮2431-2
木造平屋建の本屋が北面する。正面出入り口には、当初の引き分け腰付ガラスが残存し、正面右寄りに片流れの車寄せを突出させて桟瓦を葺き降ろす。待合室に駅務室の切符売場が突き出し、西面梁間一杯に当初のベンチが残存する。背面には桁行の下屋があり、外壁は縦板張りでできている。二俣線全線が開通する、昭和15年6月に合わせて建設された駅舎である。

             

茶畑を見て、トンネル二つ通って、天竜二俣駅に近づく。

             



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