Japan Geographic

看板考 柚原君子


「調理師紹介所 大京会」


銀座三原橋近く
町歩きに古いものを探す楽しみを持っている。老いぼれた猫(古い!)。袋戸のある昭和の建物、トイレであろうと思しき場所に下窓のある古い家。大正モダン建築風の古い洋館……そのほかにどういうわけか私は古い看板が好きで、当時の人々がその看板の奥からヒョコヒョコと出てきそうで、立ち止まって眺めてしまう。
銀座はメイン通りばかり話題に上るが、裏通りが下町っぽくって私は好きである。
私の父は大衆食堂を営んでいたので、飲食店の調理場の出口が裏路地にあったりすると、飲食店特有の換気扇の匂いと共に、なんだか父が出てきそうで嬉しくなる。だから徘徊する。建設中の歌舞伎座を右に見て、三原橋の交差点を渡って左奥の方角に行くと、右手に丸いビルが見える。一見ガード下の飲み屋街……旧三原橋をそのまま残して晴海通りをまたいでいるとのこと。それを過ぎて左前方を見ると<三原小路>がある。戦前の建物か、とにかく古い。レトロ。室外機も窓枠も配線もごたごたと乱雑であるが、なぜか血が通った庶民のたくましさの香りがする。正面の中華三原は行列ができるお店。ラーメンは400円。味は素朴。見上げると看板がいっぱい。バー<ビルゴ>の看板も見える。アニメ「新機動戦記ガンダム」に出てくる架空の人型機動兵器だから、中はアニメチックなのかしら、と想像する。
その中の一つの看板は<調理師紹介所 大京会>とある。
昭和2年に関西出身の料理人達により設立した東京における関西調理師組合の草分けで、日本料理の調理師さんを紹介するところだそうである。事務所のある二階への階段を見上げると、80代とおぼしきご老人がきちんとネクタイをして、革の鞄を斜め掛けにして、ごっつい手で階段の手すりにつかまりながら、ゆっくり降りてこられるところだった。
私の父が墨田区業平橋で食堂を始めたのは昭和35年。調理師の免許がないので調理師紹介所からコックさんを派遣してもらっていた。真っ白な白衣と真っ白なコック帽をかぶって、派遣されてきたM調理師さんに、鯖の味噌煮やてんぷらの挙げ方を教わっている父の後姿を覚えている。私は小学校5年生。当時は子供と言えども立派な労働力で、私はコックさんの横でてんぷら鍋に小麦粉を足したり、菜ばしを洗いに走ったりした。当時は住み込みが主で業平橋の食堂にも三階の小部屋があって、下働きのちょっと智恵遅れのお兄ちゃんとM調理師さんは同じ部屋で寝ていた。クーラーもなく今にして思えば劣悪な環境であったのに、派遣されてきたM調理師さんはおとなしい人で、そして少し病弱で、住み込みの部屋で時々風邪で寝込んでいた。40代後半の色の白い、線の細い独身の調理師さんだった。野菜の煮物が得意だった。年老いた母が郷里にいるということで10年ばかり勤めたところで退職して田舎に帰られた。その後に母が亡くなり、後を追うように自死したらしいということだった。父が「死なんでもいいのになぁ」と香典袋に名前を書いていた記憶がある。
町を歩く、いろいろな看板に出会う。忘れていたような懐かしい人にも出会うこともある。

 

 


 All rights reserved 無断転用禁止 登録ユーザ募集中