「途中入場できます」
今時の映画館は座席の予約をしてから出かけるのが普通。そのシステムのない映画館は開始時間前に行くと通路や階段脇に並ばされる。並んでいると分厚い扉の奥から音楽が漏れてきて、クライマックスの盛り上がり感が伝わってくる。いづれにしても入れ替え制なので途中では入れないようになっている。それなのに、<途中から入れます>の看板を銀座三原橋地下道の映画館で見た。へぇ、今時珍しい看板!思わず写真を撮ってしまった。三原橋の下が通路になっていて飲食店や床屋さんや映画館があるなんてそれだけだって珍しいのにね。しかし閑散とした様子でした。
昔の映画館。ほとんどどこも混んでましたね。人々がお正月のお飾りのように三段重ねになって観ている状態でしたよ。座頭市なんか観ている人達もみんな斜め上白目むいていて、子供心に怖かったです。通路にも人がしゃがみこんでいて、すごいきゅうくつ感。消防法なんてどこ吹く風。人ごみ疲れているのに、一本目が終わるとキョロキョロして席を探さなければいけない。なんせ三本立てなので。いやはや、かなりの体力がないと映画は観られなかった昔。でもね、何か懐かしいです。人と人との間がそれほど離れていなくって、あったか感がありました。それになによりも数少ない娯楽に貪欲でしたから、根性こめて映画を観ていたものでした。
祖母が大川橋蔵と三波春夫の大ファンで(けっこう面食いじゃん)、真っ白に顔を塗った(と、当時小学生だった私は思った)三波春夫のチャンチキオケサと俵星げんばの♪槍を蹴立ててサクサクサク!なんて場面を小学生の身で歌舞伎座ぶよく行きました。(俵星現場の朗局長のところも含めて全部歌える子どもでした。
その関係で初めて見た映画は大川橋蔵の『雪之丞変化』←誰か知っている人いますか(笑)。大川橋蔵の女形は子供心にもきれいだなぁと思った。この映画も通路に人があふれ、祖母の傍らで立って観たことも多かったです。
父は私たち子ども三姉弟妹を浅草六区街によく連れて行ってくれました。映画が混んでいると父の膝に弟と妹が順番に座り、アイスクリーム売りがくると買ってくれました。映画が終わると、父は洋画が好きだから字幕が読めない私たちは連れて行かれないと、私と弟と妹を三人セットで歩いて家に帰るようにいつも言いましたが、大人になって考えてみると、父はストリップショーを観にいったのに違いないと、確信を持っています。ところで、映画が終わると出演者や関係各位の字幕がどんどん流れ出ます。邦画は読めるので、へぇ、撮影地は矢張りあそこだったのね、まぁ、何とかホームの方々が協力されたのね、と撮影の背景を楽しみながら余韻に浸ります。洋画の場合はほぼ確実に読めないので(笑)、読む振りしながら音楽の余韻をひたすら楽しむことにしています。
映画を観る流儀としてそれらが全て終わってから、ぼーっと灯りがついてからさてと席を立つのが映画を観るマナーだと思うのだけれど(そういう楽しみを持っている人の邪魔をしないように、まっ静かに座ってとも角明るくなるのを待つ。途中でドタバタ帰るんじゃないよ、と……思うのだけれど。いつでも入れますの映画館は……どうなっているんだろうか……。
銀座三原橋下南側入り口附近
頭上は三原橋、晴海通り
銀座三原橋下北側入り口附近
晴海通りより
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