Japan Geographic

看板考 柚原君子


「梶田氷室」(東京都墨田区) 

昭和30年代初め、父が東京の下町に大衆食堂を開店したその二、三日前のこと。木製冷蔵庫が厨房の隅に据えられた。表ではリヤカーに積んできた氷の塊の弧をのけて、氷屋さんがシャシャシャ!という音をたててのこぎりを引いていた。くぎ抜きのような大きな鉄製の道具で綺麗な長方形になった氷を引っ掛けて地面に降ろすと、大きなタオルで包んで抱えて家に入り、新品の木製の扉を開けて、ガシッガシッと音を立てて木製冷蔵庫の上部に収めた。

当時電気冷蔵庫はとても高額で、父は買えなかったのだろう。冷蔵庫というよりは保冷箱に近いその大きな木製の冷蔵庫はかなり長く厨房にあったような気がする。

子どもの頃、父には内緒で冷蔵庫の氷の上に手ぬぐいを置いて、首に巻いてみた記憶がある。ある日、手ぬぐいを置こうと思ったら、父のタオルが置いてあってあわてて引っ込めた。衛星管理上冷蔵庫の開け閉めを厳しく言われていたから、子ども心に大人はずると思ったが、ちょっぴり父をかわいくも思えた。ここ数年続く酷暑の夏には保冷剤を入れたタオルを首に巻くように推奨されているが、すでに50年も前に巻いていた私の(多分父も)“ドヤ顔”を思い出してしまう。

木製冷蔵庫はその後に、霜がたくさんついて常時かき出さねばならない、便利だけれどちょっと厄介な電気冷凍冷蔵庫が入り、姿を消した。そしていつの間にか氷屋さんは来なくなり、町の氷屋さんの仕事もめっきり減ったのか、何故だかどこも同じ様にもんじゃ焼き屋さんを兼ねるようになっていった。

昔、氷はとても高価なもので、身分の高い人しか口に入らなかったそうだ。朝廷に差し出す蔵氷・賜氷の制度があったそうで、奈良の氷室神社はその流れ。

江戸時代になると土蔵造りの氷室が市中にも作られるようになり庶民に氷が提供されるようになった、とある。

おもしろいのは<年寄りの冷や水>という言葉が生まれたのはこの氷がらみとのこと。江戸市中で冷や水を売る水屋があった。水は玉川上水より汲んだ水。それに氷を浮かべただけだったので、衛生面から高齢者がおなかを壊したそうで、ここから<年寄りの冷や水>という言葉が生まれたそうな。

……でも、無茶なことをする、という意味合いで使われる<年寄りの冷や水>と、高々氷を浮かべた水を飲むことが、大胆さに通じるのというはいささかオーバーな気がしないでもないが、発展途上国を旅行するのに水道水をのめるのか、となると、矢張りソノヨウナ無茶ハデキナイ、となる。

氷室と書かれた懐かしい看板を墨田区に見つけた。……やはりお好み屋さんを兼ねていました。

 


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