1987年3月31日。国鉄という名称が消えた日はいまから26年前のことです。この年の社会的事象としては年明けに東証株価指数が2万円に乗せ、南極捕鯨が終了し、利根川進さんがノーベル賞受賞をした年です。またマドンナやマイケルジャクソンが来日し、石原裕次郎が亡くなり、秋にはあの恐るべしブラックマンデーがやってきた年。そして私の大好きだった向田邦子さんが大韓航空爆破事件の乗客だった年……そんな年の3月31日に国鉄という名称が消えました。ですからこの看板は少なくとも今から26年前に立てられたことになります。
国鉄の名称はその後は<E電>に変わったのですが、<E電>はあまり定着せずに、当時の国鉄の代替名称であった<JR>が定着してしまいました。それなのでE電の名称が残っている看板やパンフレットは希少価値とも言われています。どこかで見つけてみたいなぁと、東京のガード下など歩く時に目を皿にしているのですが<E電>の文字はまだお目にかかったことがありません。
それはとも角として、友だちに地下鉄の車掌さんがいます。
「ねえねえ、次は○○なのに××です、って言い間違えたことないの?」
と訊いてみました。
「あるよ。一つ早い駅で銀座って言ってしまって訂正した。で、次の駅で大変失礼しました。次は銀座!銀座!です、って言ったよ」
「乗客から反応あった?」
「あったよ。『銀座も広くなったもんだ』って言われた」
「あははは♪」
車掌の友だちは続けて言います。
「ほんとか嘘か知らないけれど、JRの車掌友だちは<駒込>を一つ早い駅で言ってしまって、次の駅の案内で、<次も駒込、次も駒込!>ってご丁寧に連呼したって話が残っているよ」
「あははは♪それもおもしろいね。車中が和んだかもしれないね」
<次も駒込!>のフレーズは山手線に乗るたびに思い出します。その逸話、国鉄時代だったのかJR山手線と呼ばれる時代になってからだったのかは聞き忘れたけれど。
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